前にこの本を見て、一時大きな話題になったツイン・ピークスというドラマから、当時盛んに見たデヴィッド・リンチ監督の作品を思い出した、この本はファントム、日本のファントムか、と思ったが読むのを忘れていた。
舞台は北アルプス、常念岳の麓に広がる樹林や渓谷など、穂高を東に見て梓川の西、麓の素朴な農家などが集まっているところ。
美しく爽やかな高原の風景、作家の持ち味だと思われる情感の中に静謐さをもった風景描写から始まる。
思い出のほとんどはこういった山に置いて来たような気がする今は、こんな静かですべての音が消えたようで密かに自然だけが息づいている始まりは、もうそれだけでこの本に入り込んでしまった。大糸線から見えるこのあたりは、登山とも言えないようなフィールドワークの起点だった。知った地名や山間の寂しい温泉の名前も懐かしかった。
安曇野の地に移住した夫婦、特に妻は日々の自然の移ろいの中で巡ってきた秋の木漏れ日を楽しんでいた。夫が臨時の仕事に出かけた日、キノコを採りに山に入った妻に襲い掛かった大きな影、そして妻は消えてしまった。
妻を必死で探しながら、今は林道で作業中の周平に半年後に訃報がもたらされた。探し尽くしたと思っていた妻の遺体が離れた渓で見つかった。妻は頭部だけだった。
周平は、雇い主の生駒建設、生駒社長の気遣に感謝しながらも妻の事故という見方に納得がいかなかった。
土地の警察、管轄の役所、特に信州大学の野生動物研究会の助手山口凛子。彼女は鳥獣保護を主にサルの検察をしている。妻の探索を兼ねて山に入った周平と出会い事件に加わることになる。
キャンプに来た四人組の一人で、渓流釣りに出た青年の背後で、愛用のカメラのシャッターを押していた彼女がふっと消えた。
五日後一旦帰省した青年が犬を連れて探索に来た。探す術も尽きたころ犬が彼女のスニーカーをくわえて来た。血溜まりができるほど血で汚れた靴を見て希望も消えたことを悟った。
その後、土地の老人が、娘と孫が下草を刈っていた間に消えたと言って来た。
捜索活動が雨で中断したそのとき、阿修羅のような形相の女が女の子を背負って近づいていてきた、「なんて親子だこんな時に山に入るなんて」
だが母親と見えたのは凛子だった。子供の体は魂が抜けた様にこわばり言葉を失っていた
「神隠しではないか」続く蒸発事件にそんな言葉が飛び出した。
日赤病院にいる女の子が、テレビに映ったクマを見て叫びだし手に負えないということだった。
また近くの養豚業者は高価な餌を何者かに食われ、養蜂業者も蜂洞を二つ荒らされた。
出たばかりのリンゴの木の花芽をサルにくわれた。ほかに大きな被害も出ている。
一方、定年退職した夫婦が信州を巡り安曇野まで来た。夫は蕎麦屋で新聞を見て「神隠し」「魔の山」などという惹句に興味を持ち、「行ってみないか」と妻を誘った。
梓橋に沿ったお決まりの林道から車は道を西に取った。常念、蝶が岳の登り口の駐車場で休み、妻はビデオを回し、夫は次は山歩きをしようかといっていた、その時車の前に大きな影が覆いかぶさり、夫はブレーキのつもりがアクセルを踏み片側の渓に転げ落ちて行った。
作業中音に気づいて周平が駆け付けた時妻はもう手遅れ、夫は死亡していた。
妻のビデオに一瞬黒い大きな獣のような影が映っていた。
凛子は半信半疑ながらクマではないかというが、それにしても大きい。
信大から専門の研究者が来る。
そして、手始めに倒産した観光クマ牧場から調査を始める。
怪物のような猛々しい獣を追い詰める人々の死闘が生々しい。被害者の描写は精細な風景を描く人に似合わない、血なまぐさい死者の姿まで書いている。書き出しの静謐さとはまるで異なった視点に少し戸惑う所もあるが、悲劇の現場はこうなのだろうと読み終わる。
もしこれが現実的なストーリーでなくて、書き始めの雰囲気をリンチ風に持ち続けていたら、もっと刺激的ではなかったかと思ったりした。
でも若くして亡くなった著者が、風景を描く筆致はとても繊細で美しい、ご存命ならまだ読めただろう名作を思うと寂しい。
美しく爽やかな高原の風景、作家の持ち味だと思われる情感の中に静謐さをもった風景描写から始まる。
思い出のほとんどはこういった山に置いて来たような気がする今は、こんな静かですべての音が消えたようで密かに自然だけが息づいている始まりは、もうそれだけでこの本に入り込んでしまった。大糸線から見えるこのあたりは、登山とも言えないようなフィールドワークの起点だった。知った地名や山間の寂しい温泉の名前も懐かしかった。
安曇野の地に移住した夫婦、特に妻は日々の自然の移ろいの中で巡ってきた秋の木漏れ日を楽しんでいた。夫が臨時の仕事に出かけた日、キノコを採りに山に入った妻に襲い掛かった大きな影、そして妻は消えてしまった。
妻を必死で探しながら、今は林道で作業中の周平に半年後に訃報がもたらされた。探し尽くしたと思っていた妻の遺体が離れた渓で見つかった。妻は頭部だけだった。
周平は、雇い主の生駒建設、生駒社長の気遣に感謝しながらも妻の事故という見方に納得がいかなかった。
土地の警察、管轄の役所、特に信州大学の野生動物研究会の助手山口凛子。彼女は鳥獣保護を主にサルの検察をしている。妻の探索を兼ねて山に入った周平と出会い事件に加わることになる。
キャンプに来た四人組の一人で、渓流釣りに出た青年の背後で、愛用のカメラのシャッターを押していた彼女がふっと消えた。
五日後一旦帰省した青年が犬を連れて探索に来た。探す術も尽きたころ犬が彼女のスニーカーをくわえて来た。血溜まりができるほど血で汚れた靴を見て希望も消えたことを悟った。
その後、土地の老人が、娘と孫が下草を刈っていた間に消えたと言って来た。
捜索活動が雨で中断したそのとき、阿修羅のような形相の女が女の子を背負って近づいていてきた、「なんて親子だこんな時に山に入るなんて」
だが母親と見えたのは凛子だった。子供の体は魂が抜けた様にこわばり言葉を失っていた
「神隠しではないか」続く蒸発事件にそんな言葉が飛び出した。
日赤病院にいる女の子が、テレビに映ったクマを見て叫びだし手に負えないということだった。
また近くの養豚業者は高価な餌を何者かに食われ、養蜂業者も蜂洞を二つ荒らされた。
出たばかりのリンゴの木の花芽をサルにくわれた。ほかに大きな被害も出ている。
一方、定年退職した夫婦が信州を巡り安曇野まで来た。夫は蕎麦屋で新聞を見て「神隠し」「魔の山」などという惹句に興味を持ち、「行ってみないか」と妻を誘った。
梓橋に沿ったお決まりの林道から車は道を西に取った。常念、蝶が岳の登り口の駐車場で休み、妻はビデオを回し、夫は次は山歩きをしようかといっていた、その時車の前に大きな影が覆いかぶさり、夫はブレーキのつもりがアクセルを踏み片側の渓に転げ落ちて行った。
作業中音に気づいて周平が駆け付けた時妻はもう手遅れ、夫は死亡していた。
妻のビデオに一瞬黒い大きな獣のような影が映っていた。
凛子は半信半疑ながらクマではないかというが、それにしても大きい。
信大から専門の研究者が来る。
そして、手始めに倒産した観光クマ牧場から調査を始める。
怪物のような猛々しい獣を追い詰める人々の死闘が生々しい。被害者の描写は精細な風景を描く人に似合わない、血なまぐさい死者の姿まで書いている。書き出しの静謐さとはまるで異なった視点に少し戸惑う所もあるが、悲劇の現場はこうなのだろうと読み終わる。
もしこれが現実的なストーリーでなくて、書き始めの雰囲気をリンチ風に持ち続けていたら、もっと刺激的ではなかったかと思ったりした。
でも若くして亡くなった著者が、風景を描く筆致はとても繊細で美しい、ご存命ならまだ読めただろう名作を思うと寂しい。