前作「運命の日」では、兄たちから離れていたが、当時13歳だったジョーのそれから。
「運命の日」から時代は少し移って、今度は三男のジョー(ジョセフ)が主人公になっている。
父がボストン市警の警視正という家庭で育ったが、13歳のとき、悪がき三人でニューススタンドに火をつけ、小金を稼いだ。
父がボストン市警の警視正という家庭で育ったが、13歳のとき、悪がき三人でニューススタンドに火をつけ、小金を稼いだ。
それを皮切りにジョーの生活は夜に向かって滑り出す。出あった街のボスの情婦に一目で恋をする。
20歳、銀行を狙って警察に追われるが、恋人に気をとられていたこともあり、仲間が裏切ったかもしれない状況でミスをしてしまう。 父親の機転で警官殺しは免れたが、5年の実刑で刑務所に入る。
刑務所にはメキシコ湾岸を牛耳る大物マソ(ペスカトーレ)がいた。が刑務所の中でもファミリー同士の小競り合いはあった。マソが出所し、外からの攻撃を仕掛け、マソの下で、ジョーは刑務所内で密造酒の腕を持つ一派と話をつけた。
出所したジョーはタンパから葉巻の街イーボーに落ち着いた。 灼熱の街イーボーに着くと幼馴染のディオンが生きて待っていた、彼はウラのつながりにも街の裏道にも馴染んでいた、そこでラムの密造を始める。ラムの材料が横流しで手に入らなくなった。それを対立するボスのゲーリー・スミスを追放することで解決する。
「どちらかを選べ、その汽車に乗るか」 「われわれが汽車の下敷きにするかだ」
車に戻りながら、ディオンが言った。「本気なのか」 「ああ」ジョーはまた苛立っていた。理由はわからない。ときどき闇に取り憑かれる。突然こういう暗い気分に押し包まれるのは刑務所に入ってからだと言えるといいが、じつのところ、記憶が始まる昔から闇は下りて来ていた、ときになんの理由も、予兆もなく。だが今回は、スミスが子どもの話をしたのがきっかけだったように思う。
ジョーは船を使ってメキシコ湾沿岸の密造酒を牛耳るようになる。 最初の女エマの死は信じられないままだったが、彼はキューバの活動家の妻と住み息子が出来る。 キューバと妻のためにアメリカの海軍戦艦を襲い大量の銃を盗る。
ジョーは無法者と名乗っていたが次第にギャングと呼ばれるようになる。 多くの死を見る度に、そのことが心から離れない。成功はしたが彼はどこかに、同時代に生きた「ギャッツビー」的悲哀をにじませている。 満たされることが無いままに選んだ夜の生き方。縄張り争い、地位の奪いあいの日々。それが輝いて見えたとき以来、犯罪に憧れスリルを求め、漬かり、流されてもがいて来た生き方である。
ギャング小説も、ノワールという分野も異世界に感じるが、読めばその人の生き様に入り込んでしまう。感情移入が強すぎるかも知れないが、登場人物に親しみがわいてくる。 この小説の類型を見つけるのは簡単かもしれない、育ちの良さや、父親の影から完全に抜け出ることが出来ない若者の話は多い。
貧しい移民や人種の混交の街で、法の枠外に生きることがたやすかった若いころ、優れた頭脳は犯罪にも向いていた。だが成長してさらに深みの底に溜まっている汚泥を見れば、やがて将来は心の枷になってくる。当然、彼が生きる境界線は法律だと心の底では気づいている。 ルヘインは非情な場面に叙情を絡ませた表現をする。人の弱さを見せる。主人公の苦しみは読む人にもだぶるところがある。
最後の牧歌的記述が少し長かったようだが、それまでの一気に進んできた後の緊張がゆるんだ一時、ほっとする面もある。
2014に読んで掲載のシリーズをリライトしました。