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「よだかの星」 宮沢賢治 青空文庫

2021-06-14 | 読書

 

 

絲山秋子さんの「海の仙人」を読んでいたら。
こんな台詞があった。
「僕は宮沢賢治が好きやった。『セロ弾きのゴーシュ』とか」
「『よだかの星』の、おまえはこれから『市蔵』と名乗れと言われたところとか、哀しかったよね」
「『よだかの星』は泣いたな、あんな悲しい話をこどもに読ませてええんかいな」


蛇足だけれど、いま、男は「安部公房」,
女は「司馬遼」を読むという話をする。
このあたりは導入部で特に意味はないが。

私は「よだかの星」で泣いた記憶がなかったので、あれは泣く話だったのか、と青空文庫で読んでみた。

どちらかといえば「セロ弾きのゴーシュ」の方をよく覚えている。シミジミとしみいる話だった。

「よだかの星」は分かりやすい。国語の教科書に載せる意味もありそうだ。私は習った記憶はないが。

醜いよだかは,たかとつく名前のために、鷹が遠慮会釈なく非難し、ののしり、名前を変えてあいさつ回りをしろという。よだかは悲嘆にくれる。

よたかは善良な気持ちの優しい鳥で、自分が醜いと言われ続けると、兄弟のカワセミやハチドリに比べて、兄弟なのにと醜い自分を恥ずかしく思ってしまう。

醜くてナンダよ悪いかなどとは思わない、開き直るほど強くない。

考えると飛びながら口に入る虫を餌にすることだって、生きるために命を奪ってしまっているのだと罪の意識にさいなまれる。

もう思いもここまでくると、生きていることができない。

太陽に向かって飛び上がると太陽に言います「あなたのところへ連れて行ってください、死んでも構いません」「夜の鳥だから星に頼んでごらん」

星は言います「おまえのはねでここまで来るには、億年兆年億兆年だ」
星も答えてくれなかったのですが、それでも上へ上へ飛び続けると、羽は疲れ力尽きたのです。
そこで「自分のからだが燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。」

飛び続けカシオペア座のそばで星になったのです。

悲しい話です。あざけり誹謗され仲間外れになったのです。それでも優しい心を失わず天に上ったのです。

この物語が子供の心に響いたのは宮沢賢治が、美しい心が得られるものを信じる生き方を、糧にしていたからでしょう。

この話をさりげなくあざとくなく会話にいれ込む絲山秋子さんの筆は物語の始まりを優しく美しくしています。まだ読み始めたばかりなので展開は判りません。

それが違和感なく話が進み読めればまだ宮沢賢治が描いたよだかの星が心を温かくしてくれると思えます。でも現代に書かれた絲山さんの話はやすやすと現代の善意と孤独を書き表しているでしょうか。先が楽しみです。

そうした宮沢賢治の世界を読み返すことも今の時代にあってはありなのでしょうが。いいきっかけになりました。
 
 
 
 

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