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「俊寛」 芥川龍之介 青空文庫

2019-11-16 | 読書

 

芥川龍之介の「俊寛 」

鬼界が島を訪ねた有王が語る俊寛。俊寛が流刑の経緯を語るところなど、芥川の煌めく機智と人生観が短い中に詰まっていて圧倒される。
わたし、有王自身の事さえ、飛んでもない嘘が伝わっているのです。現についこの間も、ある琵琶法師が語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、狂い死にをなすってしまうし、わたしはその御亡骸を肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様はあの島の女と、夫婦の談らいをなすった上、子供も大勢御出来になり、都にいらしった時よりも、楽しい生涯を御送りになったとか、まことしやかに語っていました。前の琵琶法師の語った事が、跡形もない嘘だと云う事は、この有王が生きているのでも、おわかりになるかと思いますが、後の琵琶法師の語った事も、やはり好い加減の出たらめなのです。
そんな書き出しで始まる芥川の俊寛は、機智と中世文学に対する造詣とが溶け込んださすがの短編名人でおもしろかった。

 読み比べなんてすれば奥が深く、探すと「平家物語」「源平盛衰記」近松門左衛門の歌舞伎「平家女護島」などの参考書も出てきた。二番煎じだけれどメモ代わりにはなると短編を集めて長々と書いてみた。
芥川の余暇は百科事典を読んで過ごすことだと「侏儒のことば」(だったか)の参考文で読んだが、鬼才の「俊寛」は時代考証とともに逆説的で面白く読みごたえがあった。

 先の二作を琵琶法師の語りとしてでたらめと揶揄しながらも、その嘘のうまい事は、わたしでも褒めずにはいられません。と先の二人をフォローしている。琵琶法師は平家物語を語り伝えたが、時と場所によって話が変化していたということだし。

有王が訪ねていくと寂しい浜辺に居た俊寛は涙ぐんではいたがゆったりと迎えた。島の人たちは俊寛が通るとお辞儀をし、小屋には土着民の童を一人置いていた。
その時また一人御主人に、頭を下げた女がいました。これはちょうど木の陰に、幼な児を抱いていたのですが、その葉に後ろを遮られたせいか、紅染めの単衣を着た姿が、夕明りに浮んで見えたものです。すると御主人はこの女に、優しい会釈を返されてから、「あれが少将の北の方じゃぞ。」と、小声に教えて下さいました。 わたしはさすがに驚きました。
「有王。おれはこの島に渡って以来、何が嬉しかったか知っているか? それはあのやかましい女房のやつに、毎日小言を云われずとも、暮されるようになった事じゃよ。」
海でとれた魚や琉球芋をふるまわれ、都の話をすると、姫には会いたいと漏らした。 だが、この世で、島に流された寂しさは我一人にあらず、世間には苦行が満ちている。
一条二条の大路の辻に、盲人が一人さまようているのは、世にも憐れに見えるかも知れぬ。が、広い洛中洛外、無量無数の盲人どもに、充ち満ちた所を眺めたら、――有王お前はどうすると思う? おれならばまっ先にふき出してしまうぞ。おれの島流しも同じ事じゃ。
流刑になった二人とは何を話しても通じない境地にいた、俊寛は逆境と引き換えに生きる自由を得たと話した。
過去の出来事を縷々語りながら、俊寛は自土即浄土と思う自力の信者だといった。 残された女を思い船を返せと叫んだことも都に帰りたさに狂いまわったと伝わったのだろうと笑っていた。
暫くして有王は都に帰った。
私(有王)が言うのですから間違いありません。


短い話の中には菊池寛の楽天も倉田百三の究極の苦しみもない。しかしそこに至るまでの日々、俊寛は芥川の心の中で様々に形を変え、荒れた孤島に生きる様子を自分に置き換えてこんな結びにしたのだろうか。
早逝のわけは、俗人が思う所にはなく、あるいは健康に恵まれなかった、過去、家庭はあっても肉親から距離があった境遇や、書く事の苦しみなどがいまになって感じられるだけだが、この俊寛の境地が判っていながらやはり芥川にとっては、悟りは自身の物にはならなかったのだろうと人間的な悩みの深さ思った。

 侏儒の言葉が何かヒントになるかと読んでみたが、多岐にわたる言葉の中に引き込まれ、とうとう俊寛を忘れそうになった。 長いメモも残しておこう。

 一国民の九割強は一生良心を持たぬものである 兎に角宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云う意味も失われるから、罪人に対する我我の態度は寛大になるのに相違ない。 古典の作者の幸福な所以は兎に角彼等の死んでいることである。(古典)
人生は地獄よりも地獄的である。(地獄)
ドストエフスキイの小説はあらゆる戯画に充ち満ちている尤もその又戯画の大半は悪魔をも憂鬱にするに違いない。
 
(ドストエフスキイ) *今「地下室の手記」を読んでいるのですが、憂鬱についてはこれの右に出るものがないくらいだと芥川さんに共感します。
 
ウエルテル、ロミオ、トリスタン――古来の恋人を考えて見ても、彼等は皆暇人ばかりである(多忙)
文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。(文章)
何よりも創作的情熱である。創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。(作家)
 自由にと云う意味は必ずしも厚顔にと云う意味ではない。(芸術)
 宿命は後悔の子かも知れない。――或は後悔は宿命の子かも知れない。(宿命)
 何と言っても「憎悪する」ことは処世的才能の一つである。(処世的才能】
天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。(醜聞)

 

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