菊池寛の「俊寛」
創造の翼は、歴史の空白をどう埋めるか。菊池寛は
いたるところに青山あり。 前向きな俊寛は、サバイバルも辞さないで生き抜く。菊池文学。
絶海の孤島に置き去りにされた絶望から立ち上がった俊寛、その後の生き方は、突き抜けた悟りの境地と生命力があふれる。 もしかして鬼界が島に流されたことは、生きづらい貴族社会のしがらみから解き放たれた新天地だったのか。菊池寛が無限に広がる空と海に囲まれた俊寛のその後を、強くたくましく作り上げた書。遠い歴史の裏にある異説もよし、一面こうあってほしい世界。
定石かもしれない、文豪三者の読み比べから、まず菊池寛の著作。
一人取り残された俊寛は三人で暮らした今までの生活を振り返る。成親は流配時に出家し、康頼も後白河院の今様仲間で二人は流行りの熊野信者だった。俊寛は熊野信心にも加わらず、どことなくはみ出した寂しさを感じていた。それもあったのか取り残され、絶望の底に落ちた境遇から立ち上がれたのは、うっすらと感じていた孤独感が幸いしたのかもしれない。 彼は嘆き悲しむ中で昏倒し、目覚めるとどこからか水の香りが漂ってくるのに気づく。探してみると山の裾に木立や竹林があり、水が湧いていた。甘露に勝る水が彼をよみがえらせた。見上げると椰子の実までなっていた。これまでの豊かな貴族暮らしでも味わえなかった、すべての辛さを忘れさせるほどの天の恵みだった。
こここそ、ついのすみかだ。あらゆる煩悩と執着とを断って真如の生活に入る道場だ。そう思い返すと、俊寛は生れ変ったような、ほがらかな気持がした。 名もない花にも気が付いた。鳥は羽を広げておおらかに舞っていた。小屋に向かって走り出した。
新しい棲家を作るのだ。少ない道具で木を倒し竹で屋根を葺いた。丸太を積んで壁を作った。汗して鉞を振るった木が倒れる爽快さ。粘土で壁を塗り20日がかりで家を仕上げた。 疲れで熟睡し、硫黄が岳の煙の届かない土地を畑にした。労働は彼を逞しくした。 畑に植える麦と交換に土着民に小袖を差し出した。
生年三十四歳。その壮年の肉体には、原始人らしいすべての活力が現れ出した。彼は、生え伸びた髪を無造作に藁で束ねた。六尺豊かの身体は、鬼のような土人と比べてさえ、一際立ち勝って見えた。
豪快に4尺を超すぶりを釣った。3.4尾を引きずって小屋に帰り、油をとって灯にした。大魚を追って追って土着民の近くに来た時、そこに16.7の少女が佇んでいた。彼は時々微笑みかけて見せたりしていたが、距離を置いていつも少女はそこにいた。ある日奇妙な声がした。それは少女が歌っているようだ。 そしてとうとう少女は彼の妻になった。取り返そうと小屋を襲って来た土着民を威嚇する姿は頼もしかった。 言葉を教え、文字も教えた。妻はすぐに男の子を産んだ。そして女の子、また男の子に恵まれた。 小屋も立て直し平穏な暮らしが続いていた。
平家が滅びて早二年、既に俊寛の出来事もすっかり忘れられていたが、俊寛を慕う有王が困難な旅をして島にたどり着いた。 どこを探しても見つからず4日目になって、大和言葉を聞いた。
ひろびろと拓かれた畑で、二人の男女の土人が、並んで耕しているのであった。しかも、彼らは大和言葉で、高々と打ち語っているのであった。有王は、おどろきのあまりに、畑のそばに立ち竦んでしまった。有王の姿を見たその男は、すぐその鍬を捨ててつかつかとそばへ寄って来た。 その男は、じっと有王の姿を見た。有王も、じっとその姿を見た。その男の眉の上のほくろを見出すと、有王は、「俊寛僧都どのには、ましまさずや」 そう叫ぶと、飛鳥のように俊寛の手元に飛び縋った。 その男は、大きく頷いた。そして、その日に焼けて赤銅のように光っている頬を、大粒の涙がほろほろと流れ落ちた。二人は涙のうちに、しばらくは言葉がなかった。 「あなあさましや。などかくは変らせたまうぞ。法勝寺の就行として時めきたまいし君の、かくも変らせたまうものか」 有王は、そう叫びながら、さめざめと泣き伏した。
平家が滅んだと聞くとわずかに会心の笑みを漏らし、妻や子の死には涙したが帰路の勧めには応じなかった。
有王は物の怪が付いた者たちだと思おうとし、木彫りの像を受け取って船に乗った。俊寛が五人の子と妻とともに小屋に帰る姿はあさましくも見えたが、不思議な涙が頬を濡らした。
有王は物の怪が付いた者たちだと思おうとし、木彫りの像を受け取って船に乗った。俊寛が五人の子と妻とともに小屋に帰る姿はあさましくも見えたが、不思議な涙が頬を濡らした。
菊池寛を少し読んでいます。覚えているのは、、。 「恩讐のかなた」で罪を贖うために、危険な絶壁の道にトンネルを通した僧。 社内旅行でこの青の洞門を通った。洞穴が途中で外に向いて開けていた。誰かが、間違って掘った穴だといったのでそれを信じていたが、実は明り取りの穴だったことを後年知りました。
「父帰る」で貧しい家庭から逐電した父親が二十年ぶりに帰ってきた。激しく拒絶した長男は、悄然と出て行く父をついに追いかけた。
「忠直卿行状記」は少し前、生誕五十年だったかの市川雷蔵特集の映画を見た。暴君の前では口出しもできない家臣たち。おろおろと逃げまどい斬られて死んでいく。松平忠直のやり場のない悲哀と孤独が、獣のように荒れる。雷蔵の眠狂四郎が透けてみえるニヒルな美形ぶりが目に残っている。松平家はどう思うか、それでも映画もこの作品も好きだ。 菊池寛は大衆寄りの読みやすい作家だと思っていたが、この短編で作家の魂を見た気がした。 芥川の死をどこかの湯の宿(湯河原だったか伊豆だったか)で知って弔辞を読んだ。菊池寛。やはり実業家、そして優れた文筆家、文藝春秋を創った人だった。(蛇足までつけました)
能を見て、少し萎えた気持ちに光が差し込む菊池寛の「俊寛」