Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(13)

2012-09-13 00:15:00 | コラム
らるご・えんたていんめん「と」→「と」ーく・れでぃお(トーク・レディオ)

モノを書くときに、よくBGMとしてネットラジオを流す。

スマホの浸透と3.11の余波によって、ラジオアプリをインストールするひとが増えたというが、
確かに「これじゃ、有線なんか儲からないよ」と思うほどに、ネットラジオの発展は凄まじい。

だって、無料なんだもの。
自分が愛用しているのは世界中のラジオ番組が聴ける『TuneIn Radio』というアプリで、
自分にとっての懐メロ「80年代洋楽」をノンストップで聴けるのがうれしい。

リスナーとして、ラジオ番組のDJ(ディスクジョッキー)あるいはラジオパーソナリティに葉書を送ったこと、メールを送ったこと、電話をかけたことが何度かある。

映画監督の井筒和幸や評論家の宮崎哲弥にモノ申したかったからだが、受話器越しに持論を展開するだけでも難しいのに、議論なんて無理な話だった。
ただ喋っているだけのように見えるが、技術が必要なことを知った。
アイドルがアイドルというだけでラジオ番組を持つことはよくあることだが、十中八九、面白くないものね。アイドル映画は許せるのに、この点に関してだけはアイドルを擁護出来ない自分なのだった。

88年制作の『トーク・レディオ』は、実際に起こったラジオDJの殺害事件を通して米国の闇に迫った映画。
監督はオリバー・ストーンで、出世作『プラトーン』(86)と『7月4日に生まれて』(89)のあいだに「ひっそり」「こっそり」と制作された小品だが、インパクトという点では『7月4日』を凌駕しているかと。

ただこの作品の功績は、ストーンというより、脚本と主演を担当したエリック・ボゴシアンにある、、、といったほうがいいかもしれない。
リスナーすべてに喧嘩を売るかのような、DJによる人種・宗教・政治への毒舌。
毒蝮さんの「ばばあ!」には愛があるが、このDJにそんなものはない。行き着く先に「死、しかない」ことは誰の目にも想像がつき、映画は彼が殺されるまでの日常を淡々と描写する。

物語のほとんどがラジオ局内で展開されるという映画は、ほかに『ラヂオの時間』(97)くらいしか思い浮かばない。
DJが重要なキャラクターとして登場する映画は、いくつかあるけれども。

実在する人気DJ、ウルフマン・ジャックが本人役で出演した『アメリカン・グラフィティ』(73)、
ロビン・ウィリアムス扮するDJの目を通してベトナム戦争を捉える『グッドモーニング、ベトナム』(87)、
DJが物語の案内役に扮する『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)、
物語の前半部分は『トーク・レディオ』とかぶる『フィッシャー・キング』(91…トップ画像)、
ラジオ番組そのものを主題とした『パイレーツ・ロック』(2009)、

変り種としては、DJの声だけで効果を出す『レザボア・ドッグス』(91)、
日本映画ではDJとはいえないかもしれないが、『Little DJ~小さな恋の物語~』(2007)なんていうのもある。


どんな素材をも取り込むことが出来るといわれている、映像の世界。

電話ボックスや救命艇だけで展開される物語もあるのだから、ラジオ局なんて(面積的には)広いほうなのだろう。
要は使いかたで、監督や脚本家の腕の見せ所、ということ。

その点で『トーク・レディオ』は教科書的な作品であり、カメラワーク/編集などがひじょうに凝った創りとなっている。

ただ残念というか、まぁこれは愛嬌として許せる範囲なのだが、
あまりにもカメラを動かし過ぎたせいか、ちょくちょく録音用のマイクが見えちゃっているのだけれどもね!!


※ラジオを歌った曲といえば、これしかないでしょう。
ビデオがラジオスターを殺しちまった、、、と。





あすは、とーく・れでぃ「お」→「お」ぐり・こうへい。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(14)』

コメント (2)
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