とーく・れでぃ「お」→「お」ぐり・こうへい(小栗康平)
生き急ぐかのように新作を連発する映画監督が居て、ファンとして嬉しい反面、息切れしないのかと心配になることがある。
一時期の大島渚や黒沢清、現代でいうと「ひとりプログラムピクチャー作家」であろうとする三池崇史など。
(プログラムピクチャーとは簡単にいえば、映画館の「都合」によって制作される「時間調整的な」作品を指す。二本立てが基本だった80年代までの映画館で「重宝」され、つまり現代では「それを目的として」制作される作品はない)
心配とは書いたが、いつになっても新作が発表されない「寡作のひと」よりも深刻度は低い。
だって働いた分は、稼いでいるだろうから。
「寡作のひと」への心配は、「喰っていけんの?」という深刻度の高いものである。
まぁ、自分がいうことではないのかもしれない。
「オメーよりは、喰っていけるぜ」と返されそうだから。
喰っていけるから寡作なのか。
いや、そんなひとは稀で、その遅いリズムでしか映画を撮ることが出来ない、、、という体質なのだろう。
寡作のひとの代表格として挙げられるのは、(少し前までの)テレンス・マリックや晩年のキューブリック。
マリックに「少し前までの」とつけたのは、『ツリー・オブ・ライフ』(2011)が発表されたばかりなのに、既に新作『To the wonder』の公開が控えているから。
これは「たまたま」なのか、あるいは意識的なことなのか。
本人に聞くしか真相は分からないので、あれやこれやと推測しないことにする。
日本代表は、小栗康平と、現在の長谷川和彦で決まり。
ゴジこと長谷川は70年代にふたつの大傑作―76年の『青春の殺人者』、79年の『太陽を盗んだ男』―を発表したきり、新作を発表していない。
もはや伝説のひとであり、このくらい撮っていないと事実上の引退と解釈されるはずだが、本人は「いつか連合赤軍の映画を撮りたい」と元気にいっているし、伝説にすがりつく映画小僧たち(まぁ自分みたいなヤツ)もゴジに期待と幻想を抱き続けている。
ある意味で罪なひとだが、嫌々撮るよりかは「いま、ここだ!」というタイミングがくることを「気長に」待つべき、、、なのかもしれない。
小栗康平は自分と同じ群馬出身のひとで、寡作であるほかに、非商業的な映画を撮ることでも知られている。
81年の『泥の河』でデビューし、
84年に『伽倻子のために』、90年に『死の棘』(トップ画像)、96年に『眠る男』、2005年に『埋もれ木』・・・と、30年間のキャリアで5本しか映画を撮っていない。(『泥の河』で最も印象に残るのは、加賀まりこの艶っぽさではなく、クレジットに「小栗康平第一回監督作品」と記されていること、だった)
2年で5本を撮る三池監督と比べると笑ってしまうが、いろんなひとが居るから面白い。
ただ、そもそもが知名度の(比較的)低いひと。
マリックの場合は熱心な信者が「いよいよ新作がくるぞ!」と盛り上がってくれるが、小栗さんの場合は「やっと」出来た新作も、いつの間にか「ひっそり」と公開されているものだから、その非商業性が際立つ結果となっている、、、ような気がする。
もちろん余計なお世話だが、
『死の棘』の張り詰めた空気なんかタダモノではないと思うものね、
「これが映画だ」なんて煽っている惹句に負けず・・・と張り合う必要もないけれど、
配給会社さん、せめて「待望の」とか「満を持して」くらいの宣伝文句は考えてくださいね。
・・・って、そういうの、小栗さん本人が嫌がるのかも。
※ねぇ、元気に語っているでしょうゴジさん
次回のしりとりは、おぐり・こうへ「い」→「い」ざべる・あじゃーに。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『ツインテール症候群』
生き急ぐかのように新作を連発する映画監督が居て、ファンとして嬉しい反面、息切れしないのかと心配になることがある。
一時期の大島渚や黒沢清、現代でいうと「ひとりプログラムピクチャー作家」であろうとする三池崇史など。
(プログラムピクチャーとは簡単にいえば、映画館の「都合」によって制作される「時間調整的な」作品を指す。二本立てが基本だった80年代までの映画館で「重宝」され、つまり現代では「それを目的として」制作される作品はない)
心配とは書いたが、いつになっても新作が発表されない「寡作のひと」よりも深刻度は低い。
だって働いた分は、稼いでいるだろうから。
「寡作のひと」への心配は、「喰っていけんの?」という深刻度の高いものである。
まぁ、自分がいうことではないのかもしれない。
「オメーよりは、喰っていけるぜ」と返されそうだから。
喰っていけるから寡作なのか。
いや、そんなひとは稀で、その遅いリズムでしか映画を撮ることが出来ない、、、という体質なのだろう。
寡作のひとの代表格として挙げられるのは、(少し前までの)テレンス・マリックや晩年のキューブリック。
マリックに「少し前までの」とつけたのは、『ツリー・オブ・ライフ』(2011)が発表されたばかりなのに、既に新作『To the wonder』の公開が控えているから。
これは「たまたま」なのか、あるいは意識的なことなのか。
本人に聞くしか真相は分からないので、あれやこれやと推測しないことにする。
日本代表は、小栗康平と、現在の長谷川和彦で決まり。
ゴジこと長谷川は70年代にふたつの大傑作―76年の『青春の殺人者』、79年の『太陽を盗んだ男』―を発表したきり、新作を発表していない。
もはや伝説のひとであり、このくらい撮っていないと事実上の引退と解釈されるはずだが、本人は「いつか連合赤軍の映画を撮りたい」と元気にいっているし、伝説にすがりつく映画小僧たち(まぁ自分みたいなヤツ)もゴジに期待と幻想を抱き続けている。
ある意味で罪なひとだが、嫌々撮るよりかは「いま、ここだ!」というタイミングがくることを「気長に」待つべき、、、なのかもしれない。
小栗康平は自分と同じ群馬出身のひとで、寡作であるほかに、非商業的な映画を撮ることでも知られている。
81年の『泥の河』でデビューし、
84年に『伽倻子のために』、90年に『死の棘』(トップ画像)、96年に『眠る男』、2005年に『埋もれ木』・・・と、30年間のキャリアで5本しか映画を撮っていない。(『泥の河』で最も印象に残るのは、加賀まりこの艶っぽさではなく、クレジットに「小栗康平第一回監督作品」と記されていること、だった)
2年で5本を撮る三池監督と比べると笑ってしまうが、いろんなひとが居るから面白い。
ただ、そもそもが知名度の(比較的)低いひと。
マリックの場合は熱心な信者が「いよいよ新作がくるぞ!」と盛り上がってくれるが、小栗さんの場合は「やっと」出来た新作も、いつの間にか「ひっそり」と公開されているものだから、その非商業性が際立つ結果となっている、、、ような気がする。
もちろん余計なお世話だが、
『死の棘』の張り詰めた空気なんかタダモノではないと思うものね、
「これが映画だ」なんて煽っている惹句に負けず・・・と張り合う必要もないけれど、
配給会社さん、せめて「待望の」とか「満を持して」くらいの宣伝文句は考えてくださいね。
・・・って、そういうの、小栗さん本人が嫌がるのかも。
※ねぇ、元気に語っているでしょうゴジさん
次回のしりとりは、おぐり・こうへ「い」→「い」ざべる・あじゃーに。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『ツインテール症候群』