創作欲というものが衰えることは「まず」ないが、
西川美和の傑作『夢売るふたり』を観て、こんなことじゃいけないな・・・と、脱ぎかけのパンツを元に戻して? パソコンのモニターに向かった。
第一稿を終え放置されたままになっている新作シナリオを、なんとかしなければ、、、と。
創作欲を刺激してくれる作品・作家って貴重だ。
映画漬けの日々を送っていても、刺激をもらうことは稀だから。
スコセッシやリンチの作品は、あくまでも「堪能するもの」であって、「よし、自分も!」という気にはさせてくれない。
いやむしろ、その完璧過ぎる世界観に落ち込むことのほうが多く、精神的にはあんまりよくない。
ほどよい刺激を提供してくれるのは、やはり、自分と同世代であったり、ひとつ上あるいは、ひとつ下の世代の作品。
負けてられるかっ! という気持ちが起こるから。
というわけで、シナリオ第二稿の創作をスタートさせた。
140分くらいの映像を計算して紡ぐ長編だが、これはシナリオが「基本的に」ひとりで創られるものだから、シロートでも完成までこぎ着けられる長さ。
これが映像作品となると、この長さを完成させるのは、なかなかに難しい。
予算もあるしね。
そうはいっても、30年前に比べれば容易にはなっているわけだが。
なぜならデジタル化の隆盛によって、予算が大幅に軽減出来ているから。(驚いたのは・・・閉幕したばかりのベネチア映画祭で、フィルム上映された公式出品作はポール・トーマス・アンダーソンと、北野武の作品だけだった、、、ということ。武が意外と意固地「出来ればずっと、フィルムでやりたい」―であったことは、うれしいけど)
未来の映画監督たちは、名刺代わりの意味で短編映画を制作する。
これまでは「名刺だから、短く完結に」という理由のほかに「予算的に、長編は無理」という事情もあったが、デジタル化によって後者はなくなるかもしれない。
日本の劇場は「日米」が主流ではあるものの、世界中の映画を上映してくれる―という点で恵まれてはいるが、短編映画には優しくない。
映画小僧はともかく、
一般の映画ファンは、好きな俳優が出ていないかぎり、レンタル屋さんで借りようと思うひとも少ないだろう。
小説では短編も長編も同じように受け入れられるのに、これじゃあ短編映画が不遇である。
料金の問題?
分かるけど。
だったら、3本立てくらいにすればいいだけで。
以下に挙げる短編映画は、短編にカテゴライズするには長過ぎる作品も含まれる・・・が、自分のなかで「長編とはいえない」と思っている、、、ということで。
野心的な映画小僧が習作として撮ったものもあれば、ベテランが敢えて撮ってみたものもある。
ただ一点だけ共通するものがあって、それはもちろん、映像の力を信じている、ということ。
素晴らしいじゃないか。
それだけでもう、なんというか、泣けてくるじゃないか。
『カルネ』(94)
世紀の傑作『カノン』(98)の前日譚。
約40分だが、くだらねー長編に触れるのだったら、これ3回くらい観返したほうが人生「確実に」得をする。
『π』(97)
数学的パラノイアを描いた、ダーレン・アロノフスキーの劇場デビュー作。
尖った感じが、いかにも新人っぽくていい。
『担え銃』(18…文末動画を参照)
チャップリン短編時代の代表作のひとつ。
のちの『独裁者』(40)に通ずる描写が散見されて興味深い。
『アルファベット』(68)
これ一本で、デヴィッド・リンチはアート界の「ときのひと」に。
何度観てもわけが分からないが、リンチらしさ全開で飽きない。
『ニューヨーク・ストーリー』(89)より、『ライフ・レッスン』
変化球として選出。
いわゆるオムニバスで、ニューヨーク派と称される三巨匠―スコセッシ、コッポラ、ウディ・アレン―が愛しの街を背景に物語を綴っている。
『ライフ・レッスン』は、もちろんスコセッシが担当したもの。
『ラ・ジュテ』(62)
静止画像を繋げて展開される、静謐で幻想的な物語。
ここからヒントを得て制作されたのが、テリー・ギリアムの『12モンキーズ』(95)。
『四月物語』(98…トップ画像)
岩井俊二が松たか子を起用して制作した、小さな小さな物語。
しかし。
ひょっとすると、自分のなかで岩井映画の最高傑作か、、、と。
『フランケンウィニー』(84)
ティム・バートンがディズニーに在籍したころに撮った、「らしさ」に溢れたファンタジー。
チョイ役で、いまをときめくソフィア・コッポラが出演している。
そして本年、セルフリメイクしたゴージャス版の『フランケンウィニー』が公開される。
『アンダルシアの犬』(28)
鬼才ルイス・ブニュエルと、画家のサルバドール・ダリによる共作。(個人的にコラボってことば、恥ずかしくて使えない)
物語のない16分の映像だが、インパクトという点で21世紀でも充分通用する。
『アリス』(88)
ヤン・シュヴァンクマイエルが独自に変態的に解釈した、『不思議の国のアリス』。
深夜に偶然観て、「これは!」と唸った。
※器用な不器用、チャップリンの面目躍如
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『アイリスに恋をして』
西川美和の傑作『夢売るふたり』を観て、こんなことじゃいけないな・・・と、脱ぎかけのパンツを元に戻して? パソコンのモニターに向かった。
第一稿を終え放置されたままになっている新作シナリオを、なんとかしなければ、、、と。
創作欲を刺激してくれる作品・作家って貴重だ。
映画漬けの日々を送っていても、刺激をもらうことは稀だから。
スコセッシやリンチの作品は、あくまでも「堪能するもの」であって、「よし、自分も!」という気にはさせてくれない。
いやむしろ、その完璧過ぎる世界観に落ち込むことのほうが多く、精神的にはあんまりよくない。
ほどよい刺激を提供してくれるのは、やはり、自分と同世代であったり、ひとつ上あるいは、ひとつ下の世代の作品。
負けてられるかっ! という気持ちが起こるから。
というわけで、シナリオ第二稿の創作をスタートさせた。
140分くらいの映像を計算して紡ぐ長編だが、これはシナリオが「基本的に」ひとりで創られるものだから、シロートでも完成までこぎ着けられる長さ。
これが映像作品となると、この長さを完成させるのは、なかなかに難しい。
予算もあるしね。
そうはいっても、30年前に比べれば容易にはなっているわけだが。
なぜならデジタル化の隆盛によって、予算が大幅に軽減出来ているから。(驚いたのは・・・閉幕したばかりのベネチア映画祭で、フィルム上映された公式出品作はポール・トーマス・アンダーソンと、北野武の作品だけだった、、、ということ。武が意外と意固地「出来ればずっと、フィルムでやりたい」―であったことは、うれしいけど)
未来の映画監督たちは、名刺代わりの意味で短編映画を制作する。
これまでは「名刺だから、短く完結に」という理由のほかに「予算的に、長編は無理」という事情もあったが、デジタル化によって後者はなくなるかもしれない。
日本の劇場は「日米」が主流ではあるものの、世界中の映画を上映してくれる―という点で恵まれてはいるが、短編映画には優しくない。
映画小僧はともかく、
一般の映画ファンは、好きな俳優が出ていないかぎり、レンタル屋さんで借りようと思うひとも少ないだろう。
小説では短編も長編も同じように受け入れられるのに、これじゃあ短編映画が不遇である。
料金の問題?
分かるけど。
だったら、3本立てくらいにすればいいだけで。
以下に挙げる短編映画は、短編にカテゴライズするには長過ぎる作品も含まれる・・・が、自分のなかで「長編とはいえない」と思っている、、、ということで。
野心的な映画小僧が習作として撮ったものもあれば、ベテランが敢えて撮ってみたものもある。
ただ一点だけ共通するものがあって、それはもちろん、映像の力を信じている、ということ。
素晴らしいじゃないか。
それだけでもう、なんというか、泣けてくるじゃないか。
『カルネ』(94)
世紀の傑作『カノン』(98)の前日譚。
約40分だが、くだらねー長編に触れるのだったら、これ3回くらい観返したほうが人生「確実に」得をする。
『π』(97)
数学的パラノイアを描いた、ダーレン・アロノフスキーの劇場デビュー作。
尖った感じが、いかにも新人っぽくていい。
『担え銃』(18…文末動画を参照)
チャップリン短編時代の代表作のひとつ。
のちの『独裁者』(40)に通ずる描写が散見されて興味深い。
『アルファベット』(68)
これ一本で、デヴィッド・リンチはアート界の「ときのひと」に。
何度観てもわけが分からないが、リンチらしさ全開で飽きない。
『ニューヨーク・ストーリー』(89)より、『ライフ・レッスン』
変化球として選出。
いわゆるオムニバスで、ニューヨーク派と称される三巨匠―スコセッシ、コッポラ、ウディ・アレン―が愛しの街を背景に物語を綴っている。
『ライフ・レッスン』は、もちろんスコセッシが担当したもの。
『ラ・ジュテ』(62)
静止画像を繋げて展開される、静謐で幻想的な物語。
ここからヒントを得て制作されたのが、テリー・ギリアムの『12モンキーズ』(95)。
『四月物語』(98…トップ画像)
岩井俊二が松たか子を起用して制作した、小さな小さな物語。
しかし。
ひょっとすると、自分のなかで岩井映画の最高傑作か、、、と。
『フランケンウィニー』(84)
ティム・バートンがディズニーに在籍したころに撮った、「らしさ」に溢れたファンタジー。
チョイ役で、いまをときめくソフィア・コッポラが出演している。
そして本年、セルフリメイクしたゴージャス版の『フランケンウィニー』が公開される。
『アンダルシアの犬』(28)
鬼才ルイス・ブニュエルと、画家のサルバドール・ダリによる共作。(個人的にコラボってことば、恥ずかしくて使えない)
物語のない16分の映像だが、インパクトという点で21世紀でも充分通用する。
『アリス』(88)
ヤン・シュヴァンクマイエルが独自に変態的に解釈した、『不思議の国のアリス』。
深夜に偶然観て、「これは!」と唸った。
※器用な不器用、チャップリンの面目躍如
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明日のコラムは・・・
『アイリスに恋をして』