ここのところ、CDコレクションが増えていかない。
いや訂正、少しずつ減り始めている。
そう、滅多に買わなくなった。
買うのは「ジャケットもほしいから」という理由でperfumeのCDくらい、あとは現代らしくダウンロードで済ませてしまうのであった。
「焼く」ことはあるから、自作CDが増えることはあるけれど。
市販のCDは「ほんとうに大切」と思われるもの以外、ぜ~~んぶ売ってしまったよ。
というわけで今回の初体験シリーズは、お盆の特別企画として三夜連続で「初めて購入した音楽ソフト」を展開してみたい。
第一夜はカセットテープ、第二夜はレコード、第三夜はCD。
これを思いついたのは、先日の『タモリ倶楽部』(テレビ朝日、8.08)で「自作カセットテープ発掘祭」という企画が放送されていたから。
みうらじゅんや泉麻人が少年~青年のころに創ったオリジナルテープを再生してみる、、、というもの。
ラジカセそのものが希少となってしまったから、気軽に再生することも出来ないものねぇ、現代ならではの好企画だと思った。(そして、みうらじゅんのデビュー前の歌声が聴けて得をした!!)
自分が生まれて初めて買った音楽ソフトは、レコードではなくカセットテープだった。
家にレコードプレーヤーはあったが、ねいちゃんの部屋に設置されており「気軽さ」はなかった。
だから、敢えてカセットテープを選んだのだと思う。
その記念すべき1本目は、さあ、なんだった―?
アイドル?
否。
アニメ主題歌?
否。
当時はまっていたプロレス、その選手入場曲を集めたものだった。
※ミル・マスカラス…『スカイハイ』は、プロレスとは無関係に誰もが知っている曲だろう
※スタン・ハンセン…あのころ、世界でいちばん強いと信じていた
たぶん、2500円くらいしたと思う。
小学2~3年生のころだから大金である、しっかり元を取ろうと思ったか、それともほんとうに気に入ったのかは覚えていないが、朝から晩まで聴いていた。
斉藤由貴や明菜に魅かれたり、成龍のたどたどしい日本語の歌声に微笑んだり、ちんちんいじりながら「おニャン子」
を聴くようになるのは、もう少しだけ先の話なのだった。
「昔っから格闘技が好きだったんだねぇ」といわれることも多いが、このあと、プロレスのことが「一時的に」大っっっっっっっっっっっっっっっっ嫌いになる。
100%ガチンコの真剣勝負、そう信じていたからねぇ。
本気でやったら60分1本勝負なんて身体が持たないとか、ロープに飛ばされ戻ってくるのは不自然だとか、信じていると気づかないものである。
ショウだと知ったときは、サンタが居ないことをねいちゃんから知らされたときの3倍は驚いたし、悲しかった。
そうして自分はプロレスへの興味を失い、ふと気づけば、プロレスブームそのものも平成のころには終焉を迎えていた。
90年代に入り、ガチンコを売りにしたK-1やPRIDEが誕生する。
あのときの反動もあったのだろう、自分はすぐに飛びついた。
「プロレスとはちがうから」―そう思って夢中になったが、ガチンコブームを支えるファイターたちの半数ほどが「プロレス出身者」だった。
どっちもプロなんだ、地続きなんだと気づいたとき、プロレスのことが再び好きになった。
勝手に好きになったり、嫌いになったり。
これまた青春、ではある。
つづく。
※成龍の、たどたどしい日本語の歌
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(88)』
いや訂正、少しずつ減り始めている。
そう、滅多に買わなくなった。
買うのは「ジャケットもほしいから」という理由でperfumeのCDくらい、あとは現代らしくダウンロードで済ませてしまうのであった。
「焼く」ことはあるから、自作CDが増えることはあるけれど。
市販のCDは「ほんとうに大切」と思われるもの以外、ぜ~~んぶ売ってしまったよ。
というわけで今回の初体験シリーズは、お盆の特別企画として三夜連続で「初めて購入した音楽ソフト」を展開してみたい。
第一夜はカセットテープ、第二夜はレコード、第三夜はCD。
これを思いついたのは、先日の『タモリ倶楽部』(テレビ朝日、8.08)で「自作カセットテープ発掘祭」という企画が放送されていたから。
みうらじゅんや泉麻人が少年~青年のころに創ったオリジナルテープを再生してみる、、、というもの。
ラジカセそのものが希少となってしまったから、気軽に再生することも出来ないものねぇ、現代ならではの好企画だと思った。(そして、みうらじゅんのデビュー前の歌声が聴けて得をした!!)
自分が生まれて初めて買った音楽ソフトは、レコードではなくカセットテープだった。
家にレコードプレーヤーはあったが、ねいちゃんの部屋に設置されており「気軽さ」はなかった。
だから、敢えてカセットテープを選んだのだと思う。
その記念すべき1本目は、さあ、なんだった―?
アイドル?
否。
アニメ主題歌?
否。
当時はまっていたプロレス、その選手入場曲を集めたものだった。
※ミル・マスカラス…『スカイハイ』は、プロレスとは無関係に誰もが知っている曲だろう
※スタン・ハンセン…あのころ、世界でいちばん強いと信じていた
たぶん、2500円くらいしたと思う。
小学2~3年生のころだから大金である、しっかり元を取ろうと思ったか、それともほんとうに気に入ったのかは覚えていないが、朝から晩まで聴いていた。
斉藤由貴や明菜に魅かれたり、成龍のたどたどしい日本語の歌声に微笑んだり、ちんちんいじりながら「おニャン子」
を聴くようになるのは、もう少しだけ先の話なのだった。
「昔っから格闘技が好きだったんだねぇ」といわれることも多いが、このあと、プロレスのことが「一時的に」大っっっっっっっっっっっっっっっっ嫌いになる。
100%ガチンコの真剣勝負、そう信じていたからねぇ。
本気でやったら60分1本勝負なんて身体が持たないとか、ロープに飛ばされ戻ってくるのは不自然だとか、信じていると気づかないものである。
ショウだと知ったときは、サンタが居ないことをねいちゃんから知らされたときの3倍は驚いたし、悲しかった。
そうして自分はプロレスへの興味を失い、ふと気づけば、プロレスブームそのものも平成のころには終焉を迎えていた。
90年代に入り、ガチンコを売りにしたK-1やPRIDEが誕生する。
あのときの反動もあったのだろう、自分はすぐに飛びついた。
「プロレスとはちがうから」―そう思って夢中になったが、ガチンコブームを支えるファイターたちの半数ほどが「プロレス出身者」だった。
どっちもプロなんだ、地続きなんだと気づいたとき、プロレスのことが再び好きになった。
勝手に好きになったり、嫌いになったり。
これまた青春、ではある。
つづく。
※成龍の、たどたどしい日本語の歌
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(88)』