Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(195)

2017-02-07 00:10:00 | コラム
くらいまっく「す」→「す」けーる

小津さんが『風と共に去りぬ』(39)を観て、「米国に勝てっこない」と呟いたとされるのは有名な話。

上映時間の長さといい、見たこともなかったであろう色彩の鮮やかさといい、金のかけかたといい。

そのスケールのでかさに、無条件降伏したと。


黒澤じゃなくって、小津さんというのがいいよね。

基本的に家屋のなかで展開されるドラマを(敢えて書くけど)チマチマ創りつづけたひとだから、余計に説得力がある。


スケール(scale)とは、規模の意味。

大小の両方を指すので、スケールが大きい/スケールが小さい、、、というような用いかたをする。


自分が小津さんと同じような、脱力にも似たスケールの大きさを感じた米映画は、『ベン・ハー』(59)になると思う。

二輪戦車競走のダイナミズム!

あれ観ちゃったら、当時の日本映画のガンファイトやカーアクションなんか、学芸会レベルに思えてもしょうがない、、、のかもしれない。


長谷川和彦(ゴジ)が『太陽を盗んだ男』(79)を撮ったとき、外国のプロデューサーにいわれたそうである。

「こんなに面白い映画なのに、なぜ途中で、あんな安っぽい銃撃戦やアクションを入れたんだ?」



バカヤロウ! こっちは必死で撮ってあのレベルなんじゃい!!

ゴジの自虐性が、笑えて、ちょいと切ない。

資金面の問題もあろうが、スタントのレベルのちがいもあったのではないだろうか。

米国のスタントの歴史は古い。
スタントマンの権利も保障されているので、人材は豊富、技術もきっちりと継承されているのだった。

そしてハリウッド黄金期には、ウィリアム・ワイラーやセシル・B・デミル、ジョン・スタージェスなどなど、「スケールでけぇ映画なら、俺に任せろ!」みたいな映画監督が沢山居た。
現在のハリウッド映画も大作が多いけれど、CG主流であり、「この監督だからスケール大きい」ということにはなり難いのかもしれない。

そんななかにあって、CGだろうが実写オンリーだろうが無関係にスケールの大きさを感じさせる監督って、ジェームズ・キャメロンくらいなのではないか。


さて逆に、スケールの小ささで感心した映画はなにか。

『デスペラード』(95)の前編にあたる、『エル・マリアッチ』(93)をまず想起する。

低予算を逆手に取ったというか、それを強調したというか。

マリアッチに寄り添うように登場する、カメさんの存在が大きいのかも笑




まぁいってしまえば、低予算映画は、低予算ゆえにスケールは小さくなりがちである。

ただ逆に、監督たちの野心は予算に反比例して大きいもので。


映画小僧は、そんな野心の大きさにリアルタイムで立ち会うことを最大の快楽としている―そういうヘンタイなのです。






あすのしりとりは・・・
すけー「る」→「る」んば。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(196)』
コメント (3)
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