あと2週間も経てば、きっと、花粉症の症状が出始めることだろう。
面白いこと? に、症状は、目覚めたときに「きょうからだ…」と分かる。
吸い込んだ空気が、きのうとはちがうのだ。
自分が反応するのは、スギ花粉のみ。
だから、こんなタイトルにした。
半分は自虐、もう半分は「あきらめ」である。
ん?
どちらも、同じような意味か。
つまりは、開き直っているということで。
気持ちとしては、サガン(トップ画像)の名著『悲しみよこんにちは』の冒頭なのである。
意味が分からない?
うん、自分も意味が分からない。
ただこの複雑性こそが、花粉を待ち受ける患者の性なのだった。
…………………………………………
ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。
その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義的な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。
ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。
今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人間から離れさせる。
…………………………………………
訳者の力も大きいが・・・
世界中の小説のなかで、漱石の『草枕』に次ぐ完璧な冒頭は『悲しみよこんにちは』だと思っている。
何度読み返しても、唸ってしまう。
狙って書いたのだろうが、自分の場合、文章は狙えば狙うほど(持ち味の?)リズムを失ってしまい、駄文になる。
肩の力を抜いていたほうが、躍る文章が書けると「何度も失敗して」気づいた。
話を戻して。
ほんとうは通院したほうがいいのだろうが・・・
とりあえず、これないと死んでしまう花粉対策の飴ちゃん、薬局で購入した「自分にいちばん適している」錠剤だけは準備した。
これで、「ひきつった」笑顔で「こんにちは」といえる、、、と思う涙
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『とんだチキン野郎だぜ』
面白いこと? に、症状は、目覚めたときに「きょうからだ…」と分かる。
吸い込んだ空気が、きのうとはちがうのだ。
自分が反応するのは、スギ花粉のみ。
だから、こんなタイトルにした。
半分は自虐、もう半分は「あきらめ」である。
ん?
どちらも、同じような意味か。
つまりは、開き直っているということで。
気持ちとしては、サガン(トップ画像)の名著『悲しみよこんにちは』の冒頭なのである。
意味が分からない?
うん、自分も意味が分からない。
ただこの複雑性こそが、花粉を待ち受ける患者の性なのだった。
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ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。
その感情はあまりにも自分のことだけにかまけ、利己主義的な感情であり、私はそれをほとんど恥じている。
ところが、悲しみはいつも高尚なもののように思われていたのだから。私はこれまで悲しみというものを知らなかった。けれども、ものうさ、悔恨、そして稀には良心の呵責も知っていた。
今は、絹のようにいらだたしく、やわらかい何かが私に蔽いかぶさって、私をほかの人間から離れさせる。
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訳者の力も大きいが・・・
世界中の小説のなかで、漱石の『草枕』に次ぐ完璧な冒頭は『悲しみよこんにちは』だと思っている。
何度読み返しても、唸ってしまう。
狙って書いたのだろうが、自分の場合、文章は狙えば狙うほど(持ち味の?)リズムを失ってしまい、駄文になる。
肩の力を抜いていたほうが、躍る文章が書けると「何度も失敗して」気づいた。
話を戻して。
ほんとうは通院したほうがいいのだろうが・・・
とりあえず、これないと死んでしまう花粉対策の飴ちゃん、薬局で購入した「自分にいちばん適している」錠剤だけは準備した。
これで、「ひきつった」笑顔で「こんにちは」といえる、、、と思う涙
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明日のコラムは・・・
『とんだチキン野郎だぜ』