Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

餅は餅屋、なのだろうけれども。。。

2018-07-30 07:36:38 | コラム
ナニゴトも、その道のプロフェッショナルがいちばん―そうあるべきだし、そうじゃないと、世の中いろいろ困ってしまう、、、というのは分かる。

自分も「基本的には」、ここ繰り返すね「基本的には」餅は餅屋という考えかた。

けれども。
ごく稀に、そうした、なんとなく出来上がったルールというか常識を打ち破る存在が出てきて、その世界を発展させることがあるのも歴史が証明している。

北野武の映画監督挑戦が、その好例でしょう。

ただし。
それはあくまでも「ごく稀」であり、ゆえに北野武と同時期に「映画監督、やってみた」系のひとたち―作家・椎名桜子、歌手・桑田佳祐、作家・村上龍、プロデューサー・秋元康―は、映画監督としての能力を発揮出来ず「この世界から、は消えていった」のだった。

松本人志が映画をやり始めたころ、期待値が異様に高かったのは北野武と同じにおいを感じたから、、、ではないのか。

少なくとも自分はそうだった。

しかし、松本映画は北野映画のようにはいかなかった。

「餅屋以外の、おいしい餅」は、このくらい「ごく稀」でいいのかもしれない。


日本のジョシカク(女子格闘技)選手で最も有名であろうRENAが、きのうのMMA興行『RIZIN.11』で敗戦、しばらく休業することが発表された。

RENAは打撃を主体とするシュートボクシングのチャンピオンで、厳密にいえば本業は「立ち技の格闘家」。
MMAとは立ち技だけでなく寝技も含まれる「なんでもあり」の競技であり、RENAにとっては(繰り返すが)厳密にいえば副業にあたる。

同じ格闘技でも細分化が進む現代においては、シュートボクサーがMMAに挑戦しただけで「餅は餅屋」と外野がうるさい。

自戒をこめていうが、格闘技ファンってそういうところがあるんだ。
映画ファンもアイドルファンも似たところがあるかもしれないが、格闘技ファンほど粘着質ではないと思う。
(MMAとプロレスを混同するひとたちに、そのちがいを熱心に説いたりするし)


たしかにRENAは、タックルされ寝技の展開になると「ザル」だった。

本来の能力を発揮出来ないでいた。

しかし彼女がMMAに初挑戦したとき、おおいなる可能性を抱かせてくれたのも事実だろう。


そもそもMMAというのは、なんらかの競技―柔道、レスリング、ボクシングなど―をベースとしたファイターたちが「競技を超えて」戦うために用意されたものだったはず。

餅は餅屋、という理屈なんか通用しないってこと。


いや、そうじゃなくって、いちど負けた対戦相手に半年ほどで再挑戦出来る「好待遇」が叩かれる原因にあったのは分かっている。

たしかに、えこひいきといわれればそうでしょう。

立ち技主体のファイターが半年ほどの練習でマスター出来るほど、寝技はラクじゃない。
付け焼き刃は火傷するだけだよって。


そんなこと、本人だって分かっていたのかもしれない。


しかしだね。
実績を残しているうえに「面白い」試合が出来るジョシカクの選手が、どれほど居るというのか。

RENAのほかに、中井りんくらいしか浮かばないよ自分は。


RIZINのジョシカク部門は、RENAから始まった。

手順を踏まぬ再戦に「物言い」がつくのも分からないではないが、RENAにはそれくらいの特権が許されてもいいと個人的には思う。


そうして浅倉カンナに返り討ちされ、休業を発表するにいたる。


「勘違いしている」「プロテクトされている」「ぜんぜんかわいくない」とか腐してた連中は、これで満足なのだろうか。

RENA不在のRIZINジョシカク部門が、どれほど盛り上がるのかという不安のほうが大きいけれどね自分は。


RENA、とりあえずおつかれさん。

ゆっくり休んで、もしモチベーションが上がるようなことがあれば、また戻ってきてください。

あなたから受けたケツへのキック、2日くらい便座に座れぬほど痛かったんですわよ笑


※彼女への取材は、2009年が最初だったかと



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明日のコラムは・・・

『声色が変わる』
コメント (1)
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