Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

令和版・海外俳優列伝(74)クリント・イーストウッド(中)

2023-05-20 00:10:00 | コラム
8人居る子どものうち・・・
アリソン、スコット、フランチェスカが積極的に俳優活動をつづけている。

とくに注目したいのがフランチェスカで、『ツイン・ピークス』の新章ではウェイトレスを演じていました^^


190cmを超す長身、ハンサムな顔立ちながらイーストウッドは最初からスターだったわけではなく。

何度もオーディションを受けるも落選つづき。

映画俳優デビュー作は、55年の『半魚人の逆襲』。
超のつく端役でした。

最初に注目されたのは、テレビシリーズ『ローハイド』(59~65)のロディ・イェーツ副隊長役。


このときすでに28歳、業界人の目は節穴だらけだぜ!!


映画俳優としての実質的スタートは、『ローハイド』の視聴率が下降気味となった64年のこと。

黒澤の『用心棒』(61)を「マカロニ」ウエスタン化した快作、セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』がイタリアでスマッシュヒットを記録する。

ん?
米国は?

「許可なくリメイクした」と東宝に訴えられたため、公開されたのは67年だったのです。

※口笛を吹きたくとも、出来ない( ノД`)


このヒットを受け、レオーネは再びイーストウッドを起用、
『夕陽のガンマン』(65)と『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66)を発表する―これがいわゆる、ドル箱三部作と呼ばれるシリーズ。

ゴタゴタがなんとか解決した67年、米国に三部作が上陸。
批評家からは愛されなかったものの、いずれの作品も好成績を残し、こうしてタフガイスターは誕生した。


『奴らを高く吊るせ!』(68)、(レオーネとともに)永遠の師匠となるドン・シーゲルと初めて組んだ『マンハッタン無宿』(68)、
戦争大作『荒鷲の要塞』(68)、『真昼の死闘』(70)、
逆紅一点の状況下をスリラーとして描く快作『白い肌の異常な夜』(71)、

そしてこの年に、『恐怖のメロディ』(71…トップ画像)で監督デビューを果たす。

もともと、監督気質があったひとなのでしょうね。
映画監督としてこのひとが面白いのは、テーマの一貫性というものが見えにくいところ。
主義主張や思想は「とりあえず置いておいて」物語として面白いから撮った、、、そんな風に思います。

さらに71年は大忙しで・・・

人気シリーズ『ダーティハリー』の第1作目が公開。
極悪人と対峙するには、法など守っていられない―ダーティなハリー・キャラハン刑事はアンチヒーローの象徴となったのでした。

73年にパート2、76年に3、83年のパート4は自らが監督、シリーズは5(88)までつづきましたが・・・

※個人的には、女性刑事と組まされる3作目が好き^^



作家エルモア・レナードが脚本を担当したことで知られる『シノーラ』(72)、
監督主演第2作『荒野のストレンジャー』(73)、
マイケル・チミノの初監督作『サンダーボルト』(74)、スパイ物に山岳アクションを取り入れた監督主演作『アイガー・サンクション』(75)、
さらに『アウトロー』(76)や『ガントレット』(77)などの監督主演作がつづく。

『ダーティファイター』(78)を経た79年、『アルカトラズからの脱出』に主演。


「ザ・ロック」の名前でも知られる刑務所から脱獄した実在の囚人をモデルに、気の遠くなるような主人公の「努力」を丹念に描いた、見応え充分の傑作だと思います。

そのいっぽうで軽めに楽しめる『ブロンコ・ビリー』(80)や戦闘機アクション『ファイヤーフォックス』(82)に監督主演し、映画監督としての実力もめきめきとつけていく。

自分が「こりゃ、すごい監督なのかも…」と思った最初の作品は、『センチメンタル・アドベンチャー』(82)。
じつに味わい深いロードムービーで、アクションを主軸に置かなくとも映画を創れることをきっちり証明した点で好きです。


サスペンス『タイトロープ』(84)、
当時大人気だったバート・レイノルズと組んだ『シティヒート』(84)、


・・・って、ここまでのキャリアを駆け足で追っていっても、これだけの文量になりました^^


あらためて、すごい…。

あすは、映画監督としての存在感が際立っていく近代になります。。。

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明日のコラムは・・・

『令和版・海外俳優列伝(74)クリント・イーストウッド(下)』
コメント
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