2023年回顧特集、映画篇の第三夜。
今宵は、いよいよ新作映画ベスト15の5位~1位を展開。
ではいくぜ!!
第05位 ザ・ホエール
272kgまで肥満化してしまったチャーリーは、歩行補助器がなければ室内移動も難儀している。
そんな彼は自身の死期がちかいことを悟り、疎遠になった妹に会いに行こうと決心するも…。
ブレンダン・フレイザーが一世一代の大熱演(テレビのリモコンさえ自力だけでは手に取ることが出来ない!)、俳優を再起させること?に定評があるダーレン・アロノフスキーによる快作×怪作。
スタンダードサイズを選択したアロノフスキーの意図は明白、それがじつに効果的で「喰って喰って喰いつづけた」結果、引きこもらざるを得なかった主人公の悲哀と閉塞感を表現する。
タイトルはメルヴィルの名著『白鯨』に由来し、物語とも深い関係性を持つ―ので、可能であれば本作を観る前でも観たあとでもよい、これに触れることで、最後に訪れる奇跡の瞬間が「より一層」味わい深いものになることでしょう。
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第04位 VORTEX
心臓の悪い映画評論家の夫(ホラー映画の伝説的巨匠ダリオ・アルジェントが演じる)と、認知症が悪化していく元精神科医の妻。
ふたりに訪れる最期の日々を双方の視点で描くためスプリットスクリーン(二分割)を用いた、変人ギャスパー・ノエによる「超」野心的「超」実験的な感動作。
老夫婦の死を見つめつづけるその視点は、『赤ひげ』の六助を描く黒澤のそれと同じように感じた。
映画はもうやり尽くした、新しい手法なんてない。というひとも居るが、まだやれること・やるべきことがあるはず―ノエほど映画の可能性を信じ、それを実践する映画監督をほかに知らない。
デ・パルマの名を出すまでもなく、スプリットスクリーンの技術は「かなり昔。」からあり、それを使うことは現代では「むしろ」古臭い、、、みたいな空気がある。
本年10位に選出した『月』にもそのシーンがあるが、残念ながら効果的とはいえなかった。
そんな技術をノエは「ほぼ全編」にわたって使用し、この手法でないと物語れない映画を創り上げてしまったのだ!!
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第03位 福田村事件
1923年、千葉県は福田村。
9月1日―関東地方で大地震が発生、混乱が収まらぬなか、利根川の渡し場にて発生した「ちょっとした諍い」がもとで村民たちが興奮し、それはやがて虐殺事件へと発展していく…。
ドキュメンタリー映画の異才・森達也が「葬られた過去」に焦点を当てるため、初めて劇映画に挑戦した勇気ある・意義のある労作。
井浦新や田中麗奈、永山瑛太、東出昌大など俳優陣はみな力演。時代物がよく陥る「ハダツヤが美しく、とてもあの時代を生きているひとに思えない」ツクリモノ臭もなく、ちょうどいい汚れ具合演出が徹底していて、開巻直後から観客はあの混乱の時代を追体験出来る。
常に性的な雰囲気が漂っているのは脚本に参加した荒井晴彦の色でしょう、
このあたりに否定的な意見もあろうが、「起こっていることをなかったことにする」本作のテーマを反転させた結果ともいえるので、この意地悪な構成にも乗ることが出来た筆者なのであった。
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第02位 キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
1920年代の米国はオクラホマ州―。
荒れ地に追いやられた先住民オーセージ族は石油の発掘により巨万の富を得るも、白人たちによって権利を剥奪されていく…デビッド・グランによる傑作ノンフィクション『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を、レオ×デ・ニーロの主演、スコセッシが206分をかけて「21世紀の視点」で捉え直した力作。
神がかった演出については、もう言及するのはよしておこう。
以下の一点を除いて。
降雨のため窓を閉めようとすると、モリーは「いいの。そのままにしておいて」。
じっと、雨の音を聞く。なにも話さない―この場面が、じつにいい。
エンディングロールは『沈黙 サイレンス』と同様に「自然音」が流れるが、降雨のシーンがここで効いてくるという仕掛けなのだった。
スコセッシ映画を音楽面から支えつづけたロビー・ロバートソンへあらためて合掌しつつ、この映画の真の主人公はリリー・グラッドストーンが演じたモリーだったのだなぁ、、、と「12回鑑賞し」つくづく思う。
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第01位 フェイブルマンズ
映画の王様スピルバーグが、プロとなりメガホンを持つ直前―までを自身で描いた青春映画。
学生時代、スピルバーグ少年はユダヤ出自がもとで徹底的にいじめられた。
憎悪は消えていない、その復讐のために「映画を撮っている」とまで発言している。
だからきっと、この映画はそこに焦点を当てているのだろうな…と思っていたのだが。
いじめの描写は、たしかにある。
だがしかし、スピルバーグが描きたかったことは「その先」にあった。
軽薄な筋肉馬鹿が、まるでギリシャ神話の英雄のように映し出される―これはウソだ、ツクリモノだ。あんなに無知で軽薄そうに見えたいじめっ子でさえ、映画が持つ「悪」「罪」に気づいた瞬間の残酷なことよ!
映像が有する功罪をきっちりと晒しつつ、それでもこの世界でしか生きていけない映画馬鹿の性を描く『ファイブルマンズ』こそ、映画小僧にとっての1位に相応しい作品だと確信している。
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明日のコラムは・・・
『愚か、を前提に。~2023映画回顧(4)~』
今宵は、いよいよ新作映画ベスト15の5位~1位を展開。
ではいくぜ!!
第05位 ザ・ホエール
272kgまで肥満化してしまったチャーリーは、歩行補助器がなければ室内移動も難儀している。
そんな彼は自身の死期がちかいことを悟り、疎遠になった妹に会いに行こうと決心するも…。
ブレンダン・フレイザーが一世一代の大熱演(テレビのリモコンさえ自力だけでは手に取ることが出来ない!)、俳優を再起させること?に定評があるダーレン・アロノフスキーによる快作×怪作。
スタンダードサイズを選択したアロノフスキーの意図は明白、それがじつに効果的で「喰って喰って喰いつづけた」結果、引きこもらざるを得なかった主人公の悲哀と閉塞感を表現する。
タイトルはメルヴィルの名著『白鯨』に由来し、物語とも深い関係性を持つ―ので、可能であれば本作を観る前でも観たあとでもよい、これに触れることで、最後に訪れる奇跡の瞬間が「より一層」味わい深いものになることでしょう。
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第04位 VORTEX
心臓の悪い映画評論家の夫(ホラー映画の伝説的巨匠ダリオ・アルジェントが演じる)と、認知症が悪化していく元精神科医の妻。
ふたりに訪れる最期の日々を双方の視点で描くためスプリットスクリーン(二分割)を用いた、変人ギャスパー・ノエによる「超」野心的「超」実験的な感動作。
老夫婦の死を見つめつづけるその視点は、『赤ひげ』の六助を描く黒澤のそれと同じように感じた。
映画はもうやり尽くした、新しい手法なんてない。というひとも居るが、まだやれること・やるべきことがあるはず―ノエほど映画の可能性を信じ、それを実践する映画監督をほかに知らない。
デ・パルマの名を出すまでもなく、スプリットスクリーンの技術は「かなり昔。」からあり、それを使うことは現代では「むしろ」古臭い、、、みたいな空気がある。
本年10位に選出した『月』にもそのシーンがあるが、残念ながら効果的とはいえなかった。
そんな技術をノエは「ほぼ全編」にわたって使用し、この手法でないと物語れない映画を創り上げてしまったのだ!!
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第03位 福田村事件
1923年、千葉県は福田村。
9月1日―関東地方で大地震が発生、混乱が収まらぬなか、利根川の渡し場にて発生した「ちょっとした諍い」がもとで村民たちが興奮し、それはやがて虐殺事件へと発展していく…。
ドキュメンタリー映画の異才・森達也が「葬られた過去」に焦点を当てるため、初めて劇映画に挑戦した勇気ある・意義のある労作。
井浦新や田中麗奈、永山瑛太、東出昌大など俳優陣はみな力演。時代物がよく陥る「ハダツヤが美しく、とてもあの時代を生きているひとに思えない」ツクリモノ臭もなく、ちょうどいい汚れ具合演出が徹底していて、開巻直後から観客はあの混乱の時代を追体験出来る。
常に性的な雰囲気が漂っているのは脚本に参加した荒井晴彦の色でしょう、
このあたりに否定的な意見もあろうが、「起こっていることをなかったことにする」本作のテーマを反転させた結果ともいえるので、この意地悪な構成にも乗ることが出来た筆者なのであった。
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第02位 キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
1920年代の米国はオクラホマ州―。
荒れ地に追いやられた先住民オーセージ族は石油の発掘により巨万の富を得るも、白人たちによって権利を剥奪されていく…デビッド・グランによる傑作ノンフィクション『花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を、レオ×デ・ニーロの主演、スコセッシが206分をかけて「21世紀の視点」で捉え直した力作。
神がかった演出については、もう言及するのはよしておこう。
以下の一点を除いて。
降雨のため窓を閉めようとすると、モリーは「いいの。そのままにしておいて」。
じっと、雨の音を聞く。なにも話さない―この場面が、じつにいい。
エンディングロールは『沈黙 サイレンス』と同様に「自然音」が流れるが、降雨のシーンがここで効いてくるという仕掛けなのだった。
スコセッシ映画を音楽面から支えつづけたロビー・ロバートソンへあらためて合掌しつつ、この映画の真の主人公はリリー・グラッドストーンが演じたモリーだったのだなぁ、、、と「12回鑑賞し」つくづく思う。
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第01位 フェイブルマンズ
映画の王様スピルバーグが、プロとなりメガホンを持つ直前―までを自身で描いた青春映画。
学生時代、スピルバーグ少年はユダヤ出自がもとで徹底的にいじめられた。
憎悪は消えていない、その復讐のために「映画を撮っている」とまで発言している。
だからきっと、この映画はそこに焦点を当てているのだろうな…と思っていたのだが。
いじめの描写は、たしかにある。
だがしかし、スピルバーグが描きたかったことは「その先」にあった。
軽薄な筋肉馬鹿が、まるでギリシャ神話の英雄のように映し出される―これはウソだ、ツクリモノだ。あんなに無知で軽薄そうに見えたいじめっ子でさえ、映画が持つ「悪」「罪」に気づいた瞬間の残酷なことよ!
映像が有する功罪をきっちりと晒しつつ、それでもこの世界でしか生きていけない映画馬鹿の性を描く『ファイブルマンズ』こそ、映画小僧にとっての1位に相応しい作品だと確信している。
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明日のコラムは・・・
『愚か、を前提に。~2023映画回顧(4)~』