NEST OF BLUESMANIA

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音盤日誌「一日一枚」#47 ジミー・ペイジ&ロバート・プラント「ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル」(マーキュリー)

2021-12-28 05:37:00 | Weblog

2001年6月3日(日)



ジミー・ペイジ&ロバート・プラント「ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル」(マーキュリー)

以前、プラントをホメまくったワタシだが、では最近の彼はどーなのか。

ペイジとプラントのふたりは、MTVのアンプラグド企画が縁で、1994年、実に14年ぶりに一緒に仕事をすることになる。

それを音盤化したのが「ノー・クォーター」なるライヴ・アルバムである。

そして、再結成企画はそれで終わらず、ふたりはワールド・ツアーに出ることになる。

各国で成功をおさめ、気をよくした彼らはいよいよ、スタジオ・レコーディングに入り、完成したのが98年発表のこのアルバムというわけである。

さて、その出来ばえはどうか、というと、実は疑問符が???と三つくらいついてしまうのである。

基本的には、前作でのリズム隊、ベースのチャーリー・ジョーンズ、ドラムスのマイケル・リーを引き続き起用しての四人編成によるバンド・サウンド。

全13曲、うちラストの「ウィスキー・フロム・ザ・グラス」は日本のみのボーナス・トラック。

一回目、通しで聴いて、どうもどの曲も印象に残らない。

一回きりだから印象に残らないのか、とも思い、何回か聴き直しているのだが、依然としてダメ。

演奏が下手になったとかそういうことでもないのに、どの曲も「及第点」をかろうじてクリアした程度の作りでしかない。

言い換えれば、シングルでヒットできそうにないんである。

音的には、HR/HM的なビートのもの(たとえば「サンズ・オブ・フリーダム」)もあるにはあるが、アコースティックっぽいサウンドに中近東音楽の要素を加味した、「ノー・クォーター」の延長線上にあるものが中心である。

ギターでなく、民族楽器がソロをとった「モスト・ハイ」などは代表例だ。

ストリングスを大きくフューチャーした「アポン・ア・ゴールデン・ホース」という曲もある。

全体的にアップ・テンポの曲より、ミディアムやスローが多く、「動」より「静」のイメージが強い。

個人的には「レヴィー・ブレイク」に少し似た、ワン・コード・ブルース的発想の「ハート・イン・ユア・ラウンド」のような黒っぽい曲が好みだが。

思うに、ペイジ/プラント、というかZEPの音楽の魅力とは、ボンゾの強力無比なグルーヴの上で踊る、ペイジのシンプルだがイカしたリフの繰り返し、そして官能的なプラントの超高音シャウト、さらには、「天国への階段」に代表される、耳に残るキャッチーなメロディであったと言えそうだが、今回のアルバムには残念ながらどのひとつもないのである。

寄る年波には勝てないのか、プラントの声も張りを欠いており、思い切ったシャウトが聴かれない。

ボーナス・トラックの「ウィスキー~」ではだいぶん無理してシャウトしているのだが、何だか別人のような、気合いを欠いた歌声である。実に残念。

ペイジのギターも、流して弾いている感じで、リフにも印象的な「発明」がない。

メロディもどうも凡庸で、ペイジのコンポーザーとしての旬も終わってしまったか、とつい思ってしまう。

もちろん、ドラムスのマイケル・リーも、パワーはともかく、タイム感覚や細かいオカズの入れ方などのセンスでは、ボンゾにかなうべくもない。どだい比較するのが気の毒なのだが。

要するに、五十オヤジたちのやる「趣味音楽」の域を超えていないってことやね。キツく言ってしまうと。

時代と真っ向から切り結ぶ音楽を作るには、齢を重ねすぎたのだ。14年のブランクは大きい。

彼らのワールド・ツアーでのエピソードだが、ツアーで新しいオリジナル曲をやっても余りウケず、結局ツアーが終盤に近づくにつれて、ほとんどZEP時代のナンバーの再演になっていったとか。

やはり、五十代になった今、オリジナル・サウンドで世に問うには過去の業績が余りに大き過ぎ、体力・気力的にも昔のままではなかったということか。

ということで、このアルバム、ペープラの出すものなら何でも聴きたいという、コアなファンのかた以外は、買う必要なし。

やはり、68年~80年のオリジナルZEPを超える音は、彼ら自身でさえ作りだすことは不可能であった。

ZEPとはまさに、あの時代そのものが産み落とした、最高のギフトであったのだ。