7月9日0時すぎにミルコこと、ユキくんが亡くなったことはChieさんのブログでご存知かと思います。
私が初めてユキくんと飼い主さんのWさんに会ったのは、2009年11月の八王子いぬ親会でした。
ユキくんは、なんというか、こことは別の世界にいるような不思議な雰囲気をもった、物静かでなんとも愛らしいわんこでした。
ユキくんの様子からお母さんを信頼しきっていることが分かりました。
ミルコ捜索のときに寄せられた情報からChieさんに保護された偽ミルコ(笑)の1匹、ららちゃんとご対面。
(すべてももははさん(パパさん?)撮影)
ユキくんといっしょだと、ほんわかららちゃんがきりりっと見えます。
ららちゃんはわが家の須かりっ子でした。偶然にも、私がつけた預かり時代の名は幸(ゆき)ちゃん。
このいぬ親会で展示した「再会を願い続けた598日の記録 ーーミルコとの再会に至るまで」はこちら。
Chieさんの捜索ブログ『迷い犬ミルコ』のファイルはこちら。
さて、いぬ親会終了時に差し上げた捜索ブログ『迷い犬ミルコ』のファイルはWさんによって自費出版され、本になりました。
そして、
次の八王子いぬ親会(2010年5月)ではその本の展示のコーナーを設けました。
Wさんはユキくんを連れて、ペットタクシーで会場にきてくれました。
ユキくんはあまり具合がよくないとのことで、ずっとお母さんにだっこされてました。
ペットタクシーのドライバーのSさんはがんで闘病中、ユキくんとともにがんばるといわれてましたが、
その年に亡くなられてしまいました。
弱々しく見えたユキくんですが、あれから2年あまりがんばりつづけたのです。
それはWさんのがんばりでもありました。通院、酸素テント、車椅子でのお散歩などなど。
昨年10月からは寝たきりになって、うんちを自力では出せなくなって、いつお別れでも不思議でないのに、
ユキくんはがんばりつづけました。
変ないい方ですが、なぜユキくんはこんなにがんばるのだろう?と思うほどでした。
きっとがんばるほどにユキくんとWさんの絆は強くなっていくでしょうから、それが切れたら
こわいように感じもしました。
ユキくんは自分がいなくなったら、お母さんが悲しむ、ペットロス状態になると本能的に分かっているのか?
Wさんと近い位置にいるとはいえない私にもそれは心配でした。
篠崎のいぬ親会でChieさんに冗談半分「2頭目のわんこがいた方がいいのでは?」といったら、
Chieさんの答えは「ミルコみたいにおとなしい子はいない」でした。
でも違ったんです。お悔やみメールへのお返事と電話のお話で知ったのですが、
Wさんの一番の気がかりはペットロスなんかでなくて、ユキくんが亡くなるとき苦しむのでは
ないかということでした。でも、Wさんの願い通りユキくんは苦しむことなく逝ってくれたそうです。
天国へ? 虹の橋へ? Wさんが感じたのはちょっと違うんです。
ユキくんとの一体感なんだそうです。亡くなったけれど、自分に戻ってきてくれてるということ
でしょうか。
だから、ユキくんが亡くなっても、Chieさんの応援団の一員として応援すると。
それから、私がうれしかったのは、
電話でお話したとき、Wさんはユキくんは自分にはわがままをいったと言われたこと。
ユキくん、ほんとに心を許してたのですね。心から愛されていることが分かってたから、
ユキくんはいつまでもがんばれた、そう思うのです。
Wさんのお友だちがユキくんのことをブログに書かれています。
http://ameblo.jp/tomfluer/entry-11298758623.html
私が初めてユキくんと飼い主さんのWさんに会ったのは、2009年11月の八王子いぬ親会でした。
ユキくんは、なんというか、こことは別の世界にいるような不思議な雰囲気をもった、物静かでなんとも愛らしいわんこでした。
ユキくんの様子からお母さんを信頼しきっていることが分かりました。
ミルコ捜索のときに寄せられた情報からChieさんに保護された偽ミルコ(笑)の1匹、ららちゃんとご対面。
(すべてももははさん(パパさん?)撮影)
ユキくんといっしょだと、ほんわかららちゃんがきりりっと見えます。
ららちゃんはわが家の須かりっ子でした。偶然にも、私がつけた預かり時代の名は幸(ゆき)ちゃん。
このいぬ親会で展示した「再会を願い続けた598日の記録 ーーミルコとの再会に至るまで」はこちら。
Chieさんの捜索ブログ『迷い犬ミルコ』のファイルはこちら。
ミルコ捜索のパネルとブログのファイルはももははさんが展示用に作ってくださったものです。
ももははさんは当時ミルコの捜索状況・情報をブログ「捜索日誌」に整理し、捜索に走り回るChieさんご夫妻を
支えつづけました。
私は個人的には、ミルコの捜索はおそらく、日本一の迷子捜しだったと思っています。
なによりすごいのは、情報のあった土地に出かけ、そこで保護した犬がミルコでないと分かっても
保護し、連れて帰って、預かり先を見つけ、新しい飼い主を募集し、その子が新しい犬生を歩み出せるようにしてあげたことではないでしょうか。これができたのは、ちばわんだからではないでしょうか。あれこれあったとしても、基本はわんこの幸せのためならの基本線とおおらかさかな。
ももははさんは当時ミルコの捜索状況・情報をブログ「捜索日誌」に整理し、捜索に走り回るChieさんご夫妻を
支えつづけました。
私は個人的には、ミルコの捜索はおそらく、日本一の迷子捜しだったと思っています。
なによりすごいのは、情報のあった土地に出かけ、そこで保護した犬がミルコでないと分かっても
保護し、連れて帰って、預かり先を見つけ、新しい飼い主を募集し、その子が新しい犬生を歩み出せるようにしてあげたことではないでしょうか。これができたのは、ちばわんだからではないでしょうか。あれこれあったとしても、基本はわんこの幸せのためならの基本線とおおらかさかな。
さて、いぬ親会終了時に差し上げた捜索ブログ『迷い犬ミルコ』のファイルはWさんによって自費出版され、本になりました。
そして、
次の八王子いぬ親会(2010年5月)ではその本の展示のコーナーを設けました。
Wさんはユキくんを連れて、ペットタクシーで会場にきてくれました。
ユキくんはあまり具合がよくないとのことで、ずっとお母さんにだっこされてました。
ペットタクシーのドライバーのSさんはがんで闘病中、ユキくんとともにがんばるといわれてましたが、
その年に亡くなられてしまいました。
弱々しく見えたユキくんですが、あれから2年あまりがんばりつづけたのです。
それはWさんのがんばりでもありました。通院、酸素テント、車椅子でのお散歩などなど。
昨年10月からは寝たきりになって、うんちを自力では出せなくなって、いつお別れでも不思議でないのに、
ユキくんはがんばりつづけました。
変ないい方ですが、なぜユキくんはこんなにがんばるのだろう?と思うほどでした。
きっとがんばるほどにユキくんとWさんの絆は強くなっていくでしょうから、それが切れたら
こわいように感じもしました。
ユキくんは自分がいなくなったら、お母さんが悲しむ、ペットロス状態になると本能的に分かっているのか?
Wさんと近い位置にいるとはいえない私にもそれは心配でした。
篠崎のいぬ親会でChieさんに冗談半分「2頭目のわんこがいた方がいいのでは?」といったら、
Chieさんの答えは「ミルコみたいにおとなしい子はいない」でした。
でも違ったんです。お悔やみメールへのお返事と電話のお話で知ったのですが、
Wさんの一番の気がかりはペットロスなんかでなくて、ユキくんが亡くなるとき苦しむのでは
ないかということでした。でも、Wさんの願い通りユキくんは苦しむことなく逝ってくれたそうです。
天国へ? 虹の橋へ? Wさんが感じたのはちょっと違うんです。
ユキくんとの一体感なんだそうです。亡くなったけれど、自分に戻ってきてくれてるということ
でしょうか。
だから、ユキくんが亡くなっても、Chieさんの応援団の一員として応援すると。
それから、私がうれしかったのは、
電話でお話したとき、Wさんはユキくんは自分にはわがままをいったと言われたこと。
ユキくん、ほんとに心を許してたのですね。心から愛されていることが分かってたから、
ユキくんはいつまでもがんばれた、そう思うのです。
Wさんのお友だちがユキくんのことをブログに書かれています。
http://ameblo.jp/tomfluer/entry-11298758623.html