真冬のトウヒの森で雛を孵すイスカを見つけた少年のお話です。作者は動物学者から児童文学作家になった
ゲオルギー・スクレビツキー です。
1903年にモスクワで生まれ、トゥーラ県で子供時代を過ごしました。自然のなか、そしていつも家にいた動物や鳥たちのことを書いた彼の作品は、子供ばかりでなく、大人にも愛されています。1988年に85歳で亡くなりました。長いし、まずい訳ですが、よかったら、読んでください。
冬の凍てのなかで
冬の靄の中、冷たくどんよりした太陽が昇ってきた。雪に埋もれた森は眠っている。生きているものは何もかも、この寒さに凍りつき、時おり木々が寒気にはじける音をたてる以外、物音ひとつしない。
ぼくは森の空き地に出た。空き地の向こうはうっそうとしたトウヒの古木の森だ。どの木々も大きな球果をぶらさげている。球果があまりに多いので、その重みで枝端がたわんでいる。
なんて静かなんだろう! 冬に鳥の歌声は聞こえない。今鳥たちは歌どころではないのだ。多くは南に飛び去り、残っている鳥たちはひっそりした場所に隠れて、猛烈な寒さをしのいでいる。
突然、凍てついた森の上を春風がピューっと吹いたように、鳥たちの一軍が楽しげに鳴き交わしながら、空き地の上を飛び去った。だってこれはイスカたち、生まれついての北国っ子だ! イスカたちはこの厳寒(マロース)なんかこわくない。
イスカたちはトウヒの天辺にたかった。小鳥たちは頑丈な爪で球果をつかみ、鱗片の下からおいしい種子を引っ張り出していた。球果が豊作なとき、冬の食糧難もこの鳥たちを脅せない。そこらじゅうで自由に食べ物を探し出す。
ぼくは空き地に立って、空中の食堂でイスカたちが奮戦する様子を観察した。
朝日が緑のトウヒの天辺と赤味をおびた球果の房と宴たけなわの鳥たちをぱっと輝かせていた。それでもう春が来たような気がした。ほら、今、雪融けの地面のにおいがしてきて、森は生き返り、太陽を出迎えて、鳥たちがさえずりはじめる。
イスカたちに見とれていると、不意にそのなかの1羽がトウヒの古木に飛んでいき、まるで雪穴に潜りこむように雪におおわれた枝のなかに隠れたのをぼくは見た。そこでぼくが思い出したのはこの鳥の生活のすばらしい特性、ぼくが今まで一度も確かめられなかった特性だった。とうとう今確かめるチャンスが訪れたのだ。
ぼくはこっそり、そのトウヒに近寄って、幹をつたって上へとよじ登りはじめた。鋭いとげに顔と手をひっかかれたけれど、ずんずん高く高くよじ登っていった。
もうてっぺんに近かったけれど、木の上にはなにもない。
降りはじめると突然ぼくの真ん前にもう見つかるとは期待していなかったものを見た――雪におおわれ、凍りついた枝の間に小さな巣がやっと見え、その中に、まるで春みたいに、緑色っぽい小鳥―イカルのメスが不安そうに羽を逆立てて、座っていた。
ぎこちない動きでぼくは枝を揺すった。驚いた小鳥はさっと舞い上がった。ぼくは前かがみになって、驚きのあまり凍りついた――巣のなかでたった今孵ったばかりの、裸の雛たちがうごめいていたのだ。
巣のすぐ上には雪をかぶった枝が垂れ下がっていた。森では凍てで木々が端端音を立てているのに、ここ、年老いたトウヒの大枝の間は、面倒見のいい母鳥が雛を生んで、もう春がきたみたいだ。
ぼくは、このすばらしい家族を不安にさせないように、できるだけ早く木を降りた。軽く雪の上に飛び下り、あたりを見回すと、冬の森は前のように陰気で死んでいるようには思えなかった。
木の下に立って、ぼくは毛のミトンのなかのかじかんだ手をこすり合わせている自分を笑い、ずーっとこの凍てを恐れない巣の中の裸のちびちゃんたちのことを考えるのだった。