まいぱん日記

身近なあれこれ、植物のことなど

久しぶりのダーチャ

2015年10月30日 | 全体
久しぶりにダーチャに日帰りで行ってきました。
ジュリアは家で留守番です。

行きに紅葉はどうかな?と少し先まで行って、八ヶ岳大橋で車を降りてみました。
まだ早いようですね。




ダーチャは夫の奮戦にもかかわらず草ぼうぼう。



この先に南アルプスが見えるはずなのですが・・・・



草取りをしたり、林でアカマツとカラマツの松ぼっくりを拾ったりしているうちに時間が過ぎていきました。

帰りの中央道では真ん前に富士山が現れました。



家ではいつも大声で鳴くジュリアはいないみたいに静かにお留守番していたそうです。
どうしていいかわからないくらい大感激して迎えてくれました。

ダーチャに咲いていたダリアとバラをマイに手向けました。



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ロシアの十月

2015年10月16日 | ロシア
   十月

1 冬の兆し
 十月の日は釣瓶(つるべ)落とし、籬(まがき)につないでおけ
 十月は昼食までが秋で、昼食後は冬
 十月は冬支度を完成させる
 十月は初雪の月
 十月はいちどきに雨も雪も降る
 十月は泣いたり、笑ったり
 十月は白雪の上に大きなぬかるみを頂く
 ぬかるみ月の十月は車輪も滑り木も好まない

2 婚礼月
十月は婚礼月
 四月は水が、十月はビールがふんだん
 九月はリンゴ、十月はキャベツがにおう
 ああ、おまえ、十月父さん、ビールたらふく、よいことばかり

3 予兆
 十月の雷は雪のない冬
 十月に白樺とオークの葉が完全に落ちたら楽な来年を待て、
厳しい冬を待て
十月に月が輪をかぶっていたら、乾燥した夏

冬の兆しがはっきりと現れる月。時として強い寒さが襲うが、暖かさの戻りがあり、九月に増して変わりやすい。雪が大地をおおい、橇(そり)道ができたと思うと泥濘になる。
十月は結婚シーズンで、農民は存分に飲み食いできる。
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マイの思い出(ショウブ鉢巻)

2015年10月16日 | マイ
今年の5月5日、元気で14年目を迎えるようにとの願いを込めたショウブ鉢巻の、りりしいマイです。
マイはなんでも似合うのでした。
マイは優しさ、りりしさ、りょほう持ち合わせていました。






「わたしもりりしい?」(J)



この日わが家ではいつもの年と同じようにショウブ湯をわかしました。
今のウクライナでは昔ながらに聖霊降臨祭〔復活祭後7週目(五〇日目)、今年は5月31日〕にはヤマナラシとヤナギを除いた様々な木々の枝で家々と教会を飾り、床にはショウブを敷きつめるそうです。


それから5日後、いぬ親会に京都からめぐちゃんが会いに来てくれました。



めぐちゃんと最後のお別れになりましたね。


11月の八王子いぬ親会は

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ジュリア、フィラリアの薬

2015年10月09日 | ジュリア
マイは2002年5月12日にわが家にやってきました。
それから13年と4カ月半、マイと私はほとんどいつも一緒にいました。

ジュリアが預かり犬としてやって来たのは、2008年4月10日。以来、ジュリアはマイと一緒でした。
当初、家に閉じ込められてパニックになっているジュリアからマイは少し離れて静かに見てましたっけ。
パソコン机の下はマイにとってもお気に入れの場所だったのですが、ジュリアにとられてしまいました。でも取り戻そうとか、悔しいとか、そんな様子はみせませんでした。

マイが亡くなるまでの間、すぐそばでマイの様子を見ていたジュリアには、なぜマイがいなくなってしまったのか、分かっているのでしょうか。

このところ、ずっとおとなしいんです。


              壁の傷はめぐちゃんがかじったあとでーす





なにを考えているのでしょうね?




ジュリアは2008年1月に千葉県の旭市で捕獲されました。そのとき1,2歳だったのですが、フィラリアは陰性でした。
マイは当時、何歳だったのでしょうか。募集欄では1歳とありましたが、獣医さんは3歳くらいと言われてました。フィラリア検査の結果は陽性で、心臓に親虫もいました。私はびっくりして、マイがかわいそうで、かわいそうでなりませんでした。
今ではフィラリア陽性でも、フィラリア予防薬を通年飲むことで陰性になることは、ちばわんの保護犬たちの治療経験によってだけでも分かっていますね。

今年のノーベル医学賞の大村先生の薬は犬のフィラリア薬にもなっているとももははさんから教えてもらいました。(今朝になって、テレビでもやってましたね。)そういえば、めぐちゃんのフィラリアのお薬は「ハートメクチン」でした。
かつてフィラリア重症のももちゃんを保護された経験のあるももははさんは、思わず「先生を拝んじゃった」そうです。

マイもフィラリア薬を投与しなかったら、とても13年は生きられなかったでしょう。

私もマイにかわって、大村先生にはいくら感謝してもしきれません。
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高尾霊園でほんとのお別れ

2015年10月05日 | マイ
10月2日朝、高尾霊園でマイを荼毘にふしました。
これからは胸の中にしかマイはいなくなったとの思いに、いよいよお別れのときはこみあげてくるものがありました。

 
わが家で最後の時間のマイ。




高尾霊園は緑に囲まれ、とてもいい環境にあります。







約1時間待つ間、境内を歩いてみました。

ペットの墓地もあります。


(上側の、横に長く伸びている場所です。)

ハルピン学院の碑があると書いてあったので、行ってみました。



ハルピン学院は戦前、満州のハルピン市にあったロシア語の教育機関です。



ハルピン学院で教鞭をとられていた染谷茂先生とポツタヴィナ先生は、その後日本の同じ大学で教師になられ、私はそこで教えていただきました。ロシア語の達人であった染谷先生は、終戦後スパイ容疑で11年間シベリアに抑留されていました。11年の抑留には駆け引きの苦手な、ご自分に不利になってもおもねったり、うそを言ったりできないお人柄があったと思います。それほど長い期間でなくてもハルピン学院の卒業生たちはみな外地でつらい経験をされ、その分結束は固かったのでしょうね。

マイのおかげで、この碑のことを初めて知り、帰ってきて調べました。碑建立の経緯→http://www.keigado.co.jp/p/haerbin/

碑の奥、墓地を3つおいた先に寺山修二のお墓がありました。



お墓の扉の両脇に2匹の犬の像があって、とってもいいんですよ。見とれてしまいました。
なでてくればよかった。






戻ってみると、マイは骨になっていました。
係の方が頭からていねいに拾い上げて、説明しながら並べてくださいます。
歯もほとんど残っていて、どこも悪いところはなかったように見えるから、老衰だったのでしょうねと言われました。

ほんとうにていねいに並べてくださるんです。
ブログにのせるものではないのかもしれませんが、最後に並んだしっぽが愛らしくて、いとおしくて・・・・。



火葬には小さなペットたち、ハムスター、亀、小鳥などもつれてこられるそうです。どの子もこうしてていねいに扱ってくださるのでしょう。

火葬に高尾霊園を選んでよかったです。


お骨になって家に戻ったマイです。



マイはみなさんに愛されていたんですね。
ありがとうございます。

ジュリアはひとりっこになってしまいました。
ずっといっしょにいたマイがいなくなって、なんだかおとなしくしています。














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えりさんがマイのことを書いてくれました

2015年10月03日 | マイ
えりさんが ブログ「現在いぬ親さん募集中」 でマイのことを書いてくれました。

もしマイがいなかったら、えりさんともシャチョウとも、お知り合いになることはなかったでしょう。
そしたら八王子でいぬ親会を開催することもなかったでしょうね。
今はお散歩大好きのめぐちゃんですが、お散歩できずに、まだわが家にいたかもしれません。

「もしマイがいなかったら」・・・・いろんなことが今とはちがっていたでしょうね。

マイがうちに来てくれて、よかったです。
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マイ亡くなりました

2015年10月02日 | マイ
9月30日午後5時すぎにマイは亡くなりました。

29日自分では水が飲めなくなって、自分で立っていられなくなりました。
30日午前は息が荒くなりましたが、午後は静かに眠っているように見えました。

用事で出かける予定をやめて、ずっとそばにいたのに、動かないとまた身体が固くなってしまうので、ちょっとだけ散歩に出かけて、もどってきたら、亡くなっていました。

息をひきとるときに、いてやれなかったことを悔やんでいましたが、マイちゃんはちゃんと分かっていて、そうしたんだと友人にいわれました。
そうでしたね、静かに状況を理解できる自立した、しっかりした子でした。でも息が荒くなったとき、なでてあげると治まって、安心する様子がありました・・・・

耳がぴんと立ったままで、毛並みもきれいで、生きているみたいなマイです。



不思議なことに、時間がたつごとに表情が穏やかになっていくのです。
今は身体も自由になって、天国でパンジーや仲間たちに会っているのでしょうか?

お世話になったみなさま、かわいがってくださったみなさま、ありがとうございました。
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