marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(121回目)

2016-09-05 19:27:08 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆  
さて、ヨハネ伝の記者、ヨハネさんの謎については、また書くぞ。その前に、気になっているところの続きについて書くね。
◆(18:37)そこで、ピラトはイエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな」。イエスは答えられた。「あなたの言うとおり、わたしは王である。わたしは真理についてあかしをするために生まれ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」。(このあと)、(18:38)ピラトは言った、「真理とは何か」。(ここで、以降、あれこれ書いていないところがpoemだな! 実は、疑い深いトマスさんには、この答えを語っていたでしょ。(14:6)「わたしは道であり、真理であり、命である」と。
◆僕は、実はここのイエスが”王”と返答したところに「?」をつけていたな。初め、イエスが”王”というのは何なのだと・・・。しかし、これは、”この世の王”ではなくて、天のみ国での”王”であることが、少し分からなかったのね。原語で読むと分かるらしいよ。それと、前の節に関連つけないと不明に読んでしまう箇所ではある。つまり(18:36c)しかし、事実、わたしの国はこの世のものでは無い、とあるが、イエスは、わたしの”国=天の父なるみ国”ではわたしは”王”なのであると言ったのであると言ったのでした。原文では、
◆(18:33)ピラトは呼び出しイエスに言う、「あなたはユダヤ人の王(定冠詞つき)であるか」。以降に出て会話のななの”王”は(無冠詞!)であるとのことだ。
◆さて、宗教改革500年、プロテスタント開祖、M、ルターさんのお言葉に準じ福音書を読むのであればヨハネ伝ということで長々と書いてきたがそろそろ僕の疑問に思う所も無くなってきた。だがしかし、イエスというお方そのものよりも、むしろ一番長生きしたと言われる著者のヨハネさん、あんたが一番謎のように思えてきたな! 僕らはヨハネ伝はあなた一人が書いたものだとばかり、殆どの人が思っているよ。しかし、聖書は他のものもそうだけど、このヨハネ伝は、イエスの言葉集を集め(そういう書き留めた記録集あって、それを直截にイエスと会って生活を共に開いた弟子達が、当時の習わしに従い、物語風に書き留めたのだが)あなたは他の福音書とは毛色が異なり実働3年というイエスの働きのそれが神の子のわざであるといことの実証をできたとうのその人でもあったことだ。そのことを何としても知らしめ、信じてもらい、その人たちが永遠の命を得ることが願いだった。実証できる人々が今目の前の群れにいる。・・・つづく 

世界のベストセラーを読む(120回目)

2016-09-05 00:32:28 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今回、脱線します。
ヨハネ伝そろそろ終わりにさしかかりと言いつつ、行きつ戻りつくだくだと・・・。最後になって来たからばっさり書くことあるけど、ピュアー(純粋)に読もうとする方は読まないでね。多少、書いてる人のガス抜きもあるから。さて、
◆(18:34)イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか、それとも他の人々が、わたしのことをそう言ったのか」。
◇僕は随分、早くからこの言葉に線を引いていた。仕事の上でもそうだけど、自分の意見をはっきり言える人が少ないのだな。このイエスの答えから今のビジネスマンにアドバイスなどという本が書けそうな気がしますね。本当にそう思う。自分の結論を出さずに、その前の準備の思考段階で、かちゃかちゃPCには向かっているけれどそれだけで満足して仕事だと思って時間をつぶしている方もおられるし、勉強不足で直截、資料を読んで頭で総括、言いたいことはこれだとまとめられないで、報告の為の報告書を書かせるような上の方、みんなで渡れば怖くないないなのか、烏合の衆的な回答まちで、だから結局どうなのよが出てこない時間つぶしの会議。大企業病まだある、そのうち脱線して書こうと思う。リスクの先が読めないのか・・・急に話が大風呂敷を広げるようになるけど、僕が少しかかわった仕事の上で、それ見たことかで残念に思うことあるのね。なぜ、シャープという会社がああなちゃったの。パナソニックのTVがあんなに投資したどでかい工場まで建てていたのに駄目になったの。国内山形米沢で何で中国レノボ製造してるのさ? いろいろ、僕が少しくかかわったと言っても小さな部品造ってただけだけど先、読めましたね。聖書を読んでね、それから派生された人類の歴史の中で今まで人に委ねられた神の言葉への責任。被造物である人間に神の言葉が委ねられて、解体されて、人類の責任は非常に重くなっていると考えますね。明日が無いくらいに! 
◆前に書きましたが、ヨハネさんは妙にどうでもいいようなと(今では)思われることを具体的に書いたのだろうなと思うところがあるな。例えば、イエスのお墓に行ったときの場面など・・・。それは具体的に書くことによって、その出来事の当事者である自分の行動がこうであったと事実性を強調したかったのだと理解したい。それから、最後の方ね、これね、きっとドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟に出てくるゾシマ長老のようにこのひとは愛された弟子だから死なないという噂がヨハネの群れの中にわき上がったたんだろうなきっと(これ逆、ドスさんの方が聖書から学んだことだ)。ペテロさんの死に方で栄光を表すなどは、この時点ではすでにペテロさん殉教していたのだね。”事後預言”の書き方が聖書は得意なのね、それはいい加減ではなくてね、人というのは自分の言葉でイエスの全体の物語もそうだけど、後になって分かるものなのよ。・・・