marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(132回目)

2016-09-14 23:12:03 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 少しづつ、神学的に宗教心理学的に・・・?
ヨハネ伝とヨハネの手紙第一の著者、ヨハネさんについて書いているところだ。プロテスタントの開祖M.ルターさんが読むのであればまずこの人のものをと”新約聖書への序言”で述べているからね。実は僕が聖書に線を引いている箇所の多さの2番目はこのヨハネの手紙第一なのだ・・・。
◆初めての人が、いやヨハネ伝を読んだ後にこれを読んだ人でも、少しきらきらした言葉がちりばめられているだけで、大変失礼ながらも少し気持ちのみが浮ついているように感ずるのは僕だけだろうか。そこに、つまり後の人がまずもってイエスの理解と読むその人の時代背景(つまり今)とをしっかりと考え、土台にして読み込まねばならないということを思わされるのだな。なぜってこれを読んで欲しいと出した手紙の相手は、イエスのわざも、真理の霊で教えられる人々もすでに多く起こされて、イエスが昇天されたエルサレムから遠く離れた町々にもイエスを信ずる群れが起こされていたとう時代背景を思いつつ、それらの人々に向けて書かれたものなのだということを思いながら読まないといけないからなのだ。
◆今までどうも今一度しっくり来なかったのは、これは僕の性格なのか(思うに読む人は誰でもだろうと思うけれども)、本当のところ他の福音書においてもだけど、イエスの言葉に永遠の命に入るにはかくかくしかじかせよと脅迫じみていると読めるところがだろう。それはその記者の存在している時代背景がそのように書かせたものなのか、我々がただ当時の時代背景をしらなかっただけからそのように読んでしまうのかという問題があるのではないかと思うな。ヨハネの手紙は(今は2016年だが)いまいち大げさに言えば、地球は終わるぞ、人類は破滅だぞと叫んでいるような脅迫神経症になるような思いにさせられることなのであった
◆しかし、今まで読んできたように、当時のヨハネの状況から言えば、当然、イエスの言葉に生かされた人々の群れの証しを将来、つまり今の僕たちにも、少し大げさに言えば、イエスが再来するまでその実体を”わざ”を証言して行かねばならなかったのだから、識別、保護、防衛をしなくてはいけなかったと言うことが歴然としていたからこそ、そのような危機感をあおった書き方にならざるを得なかったとも考えられる訳だ。
◆神にとっては”千日は1日の様だ”ともあるから、実際、当時から2016年経過した今も神の目からみれば、一瞬のことであり、世の終わりがくると言った記述も今の時代から見れば「もう時間がない!手遅れする愛する人々が多数いるではないか、伝道に励め!」とせっぱつまった思いを感じさせられてしまうのだ。・・・Ω