◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 十字架に掛かられるまえの最後のイエスの説教。そろそろ終わりに・・・
118回目だからもういいや(118)という訳にはいかん。だんだん最後、えーとつまり、イエスが十字架に掛かられるという大事件が近づいて、俄然、歩みが止まってしまったな。
◆それにしても、何度も書いてなんですが、よく読むと本と実は初めから、イエスはどういう方であるのかということが、ご自分で何度も話しておられるのです。それに他の福音書と違って、長生きヨハネさんだから妙に具体的に書かれているところは何故なのか気に掛かるところだ。それから余り後ろ向きのことを書いても、現存するイエスの霊に栄光が増し加わることもあるまいと、むしろ送られている真理の霊について、積極的に書き表そうと努めたように思われるな。(他の福音書で書いているところも、今さら書いてもという感じ、重要なのは神の”わざ”、それに聖霊、真理の霊、助け主・・・。一言では言えないイエス昇天し、今、居られる霊、生き、動き、働いている霊にあずかりつつその言葉で表し得ない表現を積極的に読者へも語り書けるように筆を進めたと思われるな。さて、
◆気に留めたところ2~3書いておくことにしよう。それで、後ろ向なことをあまり書いても(つまり、イエスが十字架に書かれた経緯などを詳しく書いても、ヨハネさん自体があまり喜ばんと思う。もう既に2000年以上は、とうに経過しているが、ヨハネさんが今でも(読む者に言わんとしていることは)、イエスは再び来られるまでに、そして今を生きており、教え下さり(真理の霊によって)、再び迎えに来ると言われた彼を信じなさいと。総括してこれが教会でとなえられるところ”使徒信条”となっている>
◆結論を捜せば、ヨハネさんが福音書を書いた理由は彼は総括してこう述べている。「これらのことを書いたのはあなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じてイエスの名によって命を得るためである」。(20:31)
そろそろヨハネ伝も終わりにしないと行けないと思う。で、もとい気になるところ。
◆(18:15)ヨハネ伝のこの節は何なんだ。ヨハネ伝の中に出てくる、愛された弟子とか、もう一人の弟子とかの表現は、一応この福音書の記者であったはずではなかったか。それなのに、ここに来て、もう一人の弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスの後をペトロと一緒について大祭司の中庭に入ったとある。ええっ! 知り合いであったって! 敵側とつるんでいたのこのヨハネさんは!長生きして確かに金持ちではあったとは聞き及んでいたが・・・。 つづく
118回目だからもういいや(118)という訳にはいかん。だんだん最後、えーとつまり、イエスが十字架に掛かられるという大事件が近づいて、俄然、歩みが止まってしまったな。
◆それにしても、何度も書いてなんですが、よく読むと本と実は初めから、イエスはどういう方であるのかということが、ご自分で何度も話しておられるのです。それに他の福音書と違って、長生きヨハネさんだから妙に具体的に書かれているところは何故なのか気に掛かるところだ。それから余り後ろ向きのことを書いても、現存するイエスの霊に栄光が増し加わることもあるまいと、むしろ送られている真理の霊について、積極的に書き表そうと努めたように思われるな。(他の福音書で書いているところも、今さら書いてもという感じ、重要なのは神の”わざ”、それに聖霊、真理の霊、助け主・・・。一言では言えないイエス昇天し、今、居られる霊、生き、動き、働いている霊にあずかりつつその言葉で表し得ない表現を積極的に読者へも語り書けるように筆を進めたと思われるな。さて、
◆気に留めたところ2~3書いておくことにしよう。それで、後ろ向なことをあまり書いても(つまり、イエスが十字架に書かれた経緯などを詳しく書いても、ヨハネさん自体があまり喜ばんと思う。もう既に2000年以上は、とうに経過しているが、ヨハネさんが今でも(読む者に言わんとしていることは)、イエスは再び来られるまでに、そして今を生きており、教え下さり(真理の霊によって)、再び迎えに来ると言われた彼を信じなさいと。総括してこれが教会でとなえられるところ”使徒信条”となっている>
◆結論を捜せば、ヨハネさんが福音書を書いた理由は彼は総括してこう述べている。「これらのことを書いたのはあなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じてイエスの名によって命を得るためである」。(20:31)
そろそろヨハネ伝も終わりにしないと行けないと思う。で、もとい気になるところ。
◆(18:15)ヨハネ伝のこの節は何なんだ。ヨハネ伝の中に出てくる、愛された弟子とか、もう一人の弟子とかの表現は、一応この福音書の記者であったはずではなかったか。それなのに、ここに来て、もう一人の弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスの後をペトロと一緒について大祭司の中庭に入ったとある。ええっ! 知り合いであったって! 敵側とつるんでいたのこのヨハネさんは!長生きして確かに金持ちではあったとは聞き及んでいたが・・・。 つづく