◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 例により前半脱線、後半本命。
さて、今の僕らは衣食住が満たされて、この生身の生き物である自分自身のことを客観的に言葉で考えて思ってみるということ自体、ほとんどしていないのではないかと思う。「自分は自分だ」とまでは言うが、その自分をとらえるその基準と言葉はどこからのものか、いやぁ「生まれたきたままの俺の言葉だ」というところで止まっているだろうと思うのだね。「それで何が悪い!」という尾ひれまでついていてね。まあ、こういう議論はドツボに嵌りそうだからやめよう。
◆イエス曰く、私が声を掛けた者以外は分からないだろう。←んで又、こういう分かったようなことを書くとカルヴァンさん(この人もご存じのようにルターさんが出てくると顔見せる)の予定説とやらがとても人気がなかったのが感じられるでしょう。
◇2016年の今、この国に生きている日本人としては、誰でも「んなぁこたあぁ、おめえに言われたくねえよ!」と思うのは誰でもだがねぇ(何弁ダ?)実のところ、こういう人間の正直な感覚から西欧の哲学が生まれてきたともいえるのだな。なぜなら選択枝がそれしかなかったから・・・。人の世記の大発見たる”言葉”、中でもイエスの言葉が霊であり命であると言うのであれば、人は自分の言葉でそれを何としても解明したいものだと苦心讃嘆な努力をしてきた訳で科学も哲学もそのベースにはイエスの言葉があったのね。この話は後で・・・。
◆では、ここから短く本命! 僕が読んだ神学書の中でここを断定的に話された方の神学的ご見解はなかったように思うので書きますぞ。ルターさんが使徒ヨハネを読めといったのは、聖書一冊についても学ぶのはパラダイスから始める旧約聖書としても、御子が現れその時間経過の中で最も読む者にとって最も近く、時間的には新約聖書の中で最新の内容だからである。新約27巻のうちで彼の書いたものは最新の大使徒として(使徒としては最後の)の証言と奨めであるからである。天で生きておられるイエスが真理の霊送り給うておられるならば、最もHOTな教えに学ぶべしと。その使徒の神の目で見、手で触れる”わざ”を体現しその群れを維持し、守り、伝えんとする大いなる証言があったと読み取れると確信したからなのである。・・・Ω
さて、今の僕らは衣食住が満たされて、この生身の生き物である自分自身のことを客観的に言葉で考えて思ってみるということ自体、ほとんどしていないのではないかと思う。「自分は自分だ」とまでは言うが、その自分をとらえるその基準と言葉はどこからのものか、いやぁ「生まれたきたままの俺の言葉だ」というところで止まっているだろうと思うのだね。「それで何が悪い!」という尾ひれまでついていてね。まあ、こういう議論はドツボに嵌りそうだからやめよう。
◆イエス曰く、私が声を掛けた者以外は分からないだろう。←んで又、こういう分かったようなことを書くとカルヴァンさん(この人もご存じのようにルターさんが出てくると顔見せる)の予定説とやらがとても人気がなかったのが感じられるでしょう。
◇2016年の今、この国に生きている日本人としては、誰でも「んなぁこたあぁ、おめえに言われたくねえよ!」と思うのは誰でもだがねぇ(何弁ダ?)実のところ、こういう人間の正直な感覚から西欧の哲学が生まれてきたともいえるのだな。なぜなら選択枝がそれしかなかったから・・・。人の世記の大発見たる”言葉”、中でもイエスの言葉が霊であり命であると言うのであれば、人は自分の言葉でそれを何としても解明したいものだと苦心讃嘆な努力をしてきた訳で科学も哲学もそのベースにはイエスの言葉があったのね。この話は後で・・・。
◆では、ここから短く本命! 僕が読んだ神学書の中でここを断定的に話された方の神学的ご見解はなかったように思うので書きますぞ。ルターさんが使徒ヨハネを読めといったのは、聖書一冊についても学ぶのはパラダイスから始める旧約聖書としても、御子が現れその時間経過の中で最も読む者にとって最も近く、時間的には新約聖書の中で最新の内容だからである。新約27巻のうちで彼の書いたものは最新の大使徒として(使徒としては最後の)の証言と奨めであるからである。天で生きておられるイエスが真理の霊送り給うておられるならば、最もHOTな教えに学ぶべしと。その使徒の神の目で見、手で触れる”わざ”を体現しその群れを維持し、守り、伝えんとする大いなる証言があったと読み取れると確信したからなのである。・・・Ω