◆世界のベストセラー聖書を読む◆ ヨハネ福音書のそもそもヨハネさんとは?
先回はえらく脱線してしまいました。ヨハネ伝をずっと読んできました。読んできたといいましても、自分の言葉であれこれと自分なりの常識に沿って考えながら・・・疑問に思うところを。語ることはそれを語る人がいて、また聞く人がいて、その時代にそれらの語る人も聞く人も影響を某か受けていますが、兎に角、天地を創造された父なる神のみもとから来られたひとり子イエスの言葉でありますから、これは大変な僕ら被創造者である肉なる人間には考えが及ばない普遍性、永遠性を持っている訳です。それにユダヤ人たちは、異邦人ともことなるその天上界から自分たちの選ばれし人種の独特の使命はあった訳ですが、その延長上に、天上の神のひとり子イエス御自身が姿を現し、被創造物である人間の天国への帰還が始まった訳ですな。イエスはイスラエルの教師ニコデモに話します。地上のことを話して信じられないならどうして天上のことを話して分かろうかと(3:12)。今一度、ゆっくり毎日、自分の言葉で読まれて少しでも、まずは地上のこと、自分のことを考えられてはどうかと思われます、当時の状況に同化しながら・・・。さて、以下謎のヨハネさんについて、他の福音書も少し説明のため割り込ませて・・・<>の書き込みは僕。
◆ヨハネさんのことについて いのちのことば社の新改訳聖書から
この福音書の著者は、この書においては「イエスが愛された弟子」(21:20、24)と言われているだけで、誰であったかは具体的には明らかにされていない。しかし、著者はパレスチナのユダヤ人であり、イエスの生涯の目撃者であったことは明らかである。彼は、ユダヤ人の習慣について知っており(7:37-39、18:28)パレスチナのことについても知っていた。(1:44、46 5:2)。また、目撃者として詳細な点についても記述している(2:6、13:26、21:8,11)
イエスが愛された弟子としては、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの三人が考えられるが、ペテロは名前が明示され、愛された弟子と区別されているので(13:23-24、20:2-10)除外される。ヤコブもこの書が書かれた時点より前に殉教しているので(使徒12:1-5)除外される。結局残るのはヨハネであり、教父達の証言もヨハネを著者と認めている。(このヨハネが使徒ヨハネであったか、長老ヨハネであったかという問題についてはヨハネの手紙第一の同じく「著者」の解説に述べる)<洗礼者もヨハネという名前だったし、ここで長老ヨハネさんというのも出てきた。兎に角、長生きするといろいろな憶測がでてくるものであるなぁ>・・・つづく
先回はえらく脱線してしまいました。ヨハネ伝をずっと読んできました。読んできたといいましても、自分の言葉であれこれと自分なりの常識に沿って考えながら・・・疑問に思うところを。語ることはそれを語る人がいて、また聞く人がいて、その時代にそれらの語る人も聞く人も影響を某か受けていますが、兎に角、天地を創造された父なる神のみもとから来られたひとり子イエスの言葉でありますから、これは大変な僕ら被創造者である肉なる人間には考えが及ばない普遍性、永遠性を持っている訳です。それにユダヤ人たちは、異邦人ともことなるその天上界から自分たちの選ばれし人種の独特の使命はあった訳ですが、その延長上に、天上の神のひとり子イエス御自身が姿を現し、被創造物である人間の天国への帰還が始まった訳ですな。イエスはイスラエルの教師ニコデモに話します。地上のことを話して信じられないならどうして天上のことを話して分かろうかと(3:12)。今一度、ゆっくり毎日、自分の言葉で読まれて少しでも、まずは地上のこと、自分のことを考えられてはどうかと思われます、当時の状況に同化しながら・・・。さて、以下謎のヨハネさんについて、他の福音書も少し説明のため割り込ませて・・・<>の書き込みは僕。
◆ヨハネさんのことについて いのちのことば社の新改訳聖書から
この福音書の著者は、この書においては「イエスが愛された弟子」(21:20、24)と言われているだけで、誰であったかは具体的には明らかにされていない。しかし、著者はパレスチナのユダヤ人であり、イエスの生涯の目撃者であったことは明らかである。彼は、ユダヤ人の習慣について知っており(7:37-39、18:28)パレスチナのことについても知っていた。(1:44、46 5:2)。また、目撃者として詳細な点についても記述している(2:6、13:26、21:8,11)
イエスが愛された弟子としては、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの三人が考えられるが、ペテロは名前が明示され、愛された弟子と区別されているので(13:23-24、20:2-10)除外される。ヤコブもこの書が書かれた時点より前に殉教しているので(使徒12:1-5)除外される。結局残るのはヨハネであり、教父達の証言もヨハネを著者と認めている。(このヨハネが使徒ヨハネであったか、長老ヨハネであったかという問題についてはヨハネの手紙第一の同じく「著者」の解説に述べる)<洗礼者もヨハネという名前だったし、ここで長老ヨハネさんというのも出てきた。兎に角、長生きするといろいろな憶測がでてくるものであるなぁ>・・・つづく