marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(126回目)

2016-09-09 20:42:00 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 大切だなと自分では思っている脱線。
福音記者ヨハネさんは、解説でも当時のど田舎(エルサレムに較べて)とはいえ、かなり裕福であったと書かれていたから、なるほど、さもありなん・・・だな(などど不謹慎なことを考えては駄目?)それだからかヨハネ伝には”金持ちの青年”(マタイ19:16-30、マルコ10:17-31、ルカ18:18-30)の話が無い!「金持ちが天国に入るのは難しい」などという話は一切出てこない。神の国の為にあれこれ捨てろというイエスの話も出てこない。(マタイ19:29、マルコ10:29-30)。どうです。長生きしていると沢山の信者も集まり、小乗仏教と同じで厳しいことは言えなくなるのね。
◆いいえ、この答えはマタイ6:33と僕は思う。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」。イエスが当時の弟子、群衆に向かって話したことであるということを忘れてはいけない。イエスが厳しいことをいう箇所で俄然、キリスト教は嫌だな、みんな捨てろなんぞというから・・・とは思わないで欲しい。優先順を大切にしないと行けませんよということ。だって本来、「儲ける」という漢字は「信」に「者」の合体ですからね。優先順を間違わなければ、もっと本来、心から喜んで沢山お金儲けが出来るし神様もお恵み下さるのだよというめでたしのお話なのだ・・・。ここから時代は、かなりくだり、ジョン・ウェスレーの「富と家庭」やウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」まで派生してくる訳だ・・・わぁー何という飛躍。でも今の時代はまったく金儲け優先で逆転しているのが悲劇。 さて、脱線したので元にもどり・・・
◆母は偉いのか、教育ママで権威志向があったのかこのヨハネとヤコブ兄弟の母は、イエスが王座につくとき二人を座れるようにとイエスに願う(マタイ20:20-28、マルコ10:35-45)。これもすごい話だなぁ。だから、これほどすごいお母ちゃんがいれば、ユダヤ人であれば、いくらガリラヤの漁師でも”かなりの金持ち”になる訳だ。信者で金持ちは、怖い者なしだ! で、当然、こういう話もヨハネ伝には書かれていない。
◆こういうことから推察するに、神学的にはマタイ伝は「われに従え」とイエスに言われた取税人マタイが書いたとの言い伝えであるが(推察)、「金持ちは神の国に入るのは難しいぞ」(マタイ19:24)とかあれこれ捨てろと強調するのは、マタイさんにしてみれば(当時のユダヤ人は、イエスが神殿でお怒りになたように兎に角、お金持ちには断トツの世的才能があった訳、マタイさんはその上を行っていた人物で取税人は誰彼できないその筋では優秀な方しか出来なかったのよ)当然の強調された箇所のようにも思えてくるのだな。・・・つづく 

世界のベストセラーを読む(125回目)

2016-09-09 06:11:23 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 先回の後半部からの続き・・・です。
使徒ヨハネはゼベダイの子であり、ヤコブの兄弟であった。彼の家はガリラヤのかなり裕福な漁師であった(マルコ1:19-20)。彼は「雷の子」と呼ばれた(マルコ3:17)ことから、激しい気性の持ち主であったように思われる。キリストの昇天の後、彼はペテロと共にエルサレム教会の指導者となった(使徒言行録3:1、8:14、ガラテヤ人への手紙2:9)。晩年にはエペソにいたが、迫害により捕らえられてパトモス島に島流しにされた。しかし、後に釈放され、エペソで死んだと伝えられている。・・・ここまでが、いのちのみことば社の新改訳聖書のヨハネの福音書の「著者」紹介です。(初めの方は”先の回”の後半から読んでください) 
◆福音書ヨハネ伝のヨハネさんはそもそも誰だったのか?この疑問は、自分の言葉で考えながら読んできたが、文章の”誰、彼”、対応する”会話の相手”、そして返答の内容からも、今まで思いこみで考えていたヨハネさんが実は違う実像であった、それはヨハネ伝が一人ではなく、長命であったと言われたヨハネさんであったからこそと言うべきかヨハネの群れの一員も大いにその編集にかかわっていたことが推察できた。そこで、そこでやはり119回(内容は119番の電話番号に近い驚き内容だ)に書いた、その節をもう一度、新改訳で見てみよう。(18:15-17です)
◆(18:15)シモン・ペテロともうひとりの弟子はイエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭に入った。(18:16)しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出てきて、門番の女に話して、ペテロをつれてはいった。(18:17)すると門番のはしためがペテロにあなたもあの人の弟子ではないでしょうね。」と言った。
◆ここで、その”もうひとりの弟子”について、15-16の引照説明を見ると、「大祭司の知り合いで官邸に自由に出入りできたことから、ゼベダイの子ヨハネ(福音記者である)のようなガリラヤ出身の弟子よりも、エルサレム出身の弟子と考えた方がふさわしい。」とある。そして、(19:35)の目撃者もこの弟子ではないかと書いている。ここでもやはり、他の箇所の通常”もうひとりの弟子”と書かれているところは、記者ヨハネと読めるが・・・とこの解説者も認めている訳だ。ところで門番の”はしため”が”あなたも”とペテロに話しているということは、その前のその”もうひとりの弟子”はイエスの弟子であることが既に分かっていたというふうに読めるぞ。なんだこの”もうひとりの弟子”!、この門番のはしために金でもつかませていたのか?・・・つづく