◆世界のベストセラー聖書を読む◆
M.ルターさんご推奨のヨハネ伝を読んできてイエスの受難、十字架の場面でえらく脱線し始めた。沢山イエスの言葉の解説本はあるが、最初に聖書の配置から、多くの人は真っ先に読むであろうマタイ、マルコ伝のイエスの十字架上の最後の言葉を読んでどう思うだろうと老婆心ながら思ってしまうのだ。多くの人にイエスの言葉を読んでもらうには、そのような(先に書いたような神学者さんの一方的見解なる)障害を取り除かないといけないとなぜか僕は勘違いしているかもであるが、そう思ってしまう。
◇他をさしおいてもヨハネ伝ですぞ! あとは二の次、飛ばしてヨハネの第一の手紙、次はパウロの手紙とくにローマ人への手紙・・・とルターさんが言われたことを真摯に受け止めねばならないのではないかと思っている。現在は情報過多ですから。何しろ一番長生きした12弟子の自称イエスに最も愛された弟子の書いたものなのですからその"わざ”の真実が語ること多くありと。 ここらで、気を取り直し先回の回答
◆僕の結論はイエスの最後の十字架上の言葉は第22のすべて、最後までを含んだ意味での十字架上の言葉に間違いないということなのである(特に最後を読みたまえ)。何もこれは心情的にではない、その論拠は・・・
1)歴史の中で信者の中でも殉教者が喜んで死についた者が多くいたということ、ましてイエスが絶望の言葉を吐くとは考えられないこと
2)第一にこの言葉を載せたマタイ、マルコが十字架刑の様子に詩編22辺に書かれていることが実際にそのとき起こった様子として引用して書かれていること。それは当然にこの記者たちは先理解されていた詩編22を頭に思い描いていたと思われること。つまり、全部最後まで知って。
詩編22:7 → マタイ27:29、詩編22:8 → マタイ27:43 詩編22:18 → マタイ27:35 などなど・・・。
3)ヨハネ伝の中にもイエスの言動に、これは聖書に書かれていることが成就したと書かれている部分が多くあり、引用する聖書(旧約)の言葉であるなら、その一節だけを載せて、だからイエスは人間の絶望を受け入れたというのは困難であること。つまり、当然、最後まで知ってるものが引用するのであるから一節だけでそう解釈されるのは無理があること。
4)そして、最後に当時のと言わず、現在のユダヤ人たちは詩編と言わず、その他、僕らの知らないが聞いたことのあるタルムードとか他の教えなどは、最初の一節あたりをいうと、その全部を指していることなどのいわれがあることなである。
◆したがって結論から言えば、イエスは十字架上で原始キリスト教の世界宗教に発展する永遠志向の普遍性をもった言葉を言って地上でその完成をなしたということになるのである。
◇「わたしの魂は必ず命を得 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げしらせるでしょう」。
(詩編22:31-32)・・・
M.ルターさんご推奨のヨハネ伝を読んできてイエスの受難、十字架の場面でえらく脱線し始めた。沢山イエスの言葉の解説本はあるが、最初に聖書の配置から、多くの人は真っ先に読むであろうマタイ、マルコ伝のイエスの十字架上の最後の言葉を読んでどう思うだろうと老婆心ながら思ってしまうのだ。多くの人にイエスの言葉を読んでもらうには、そのような(先に書いたような神学者さんの一方的見解なる)障害を取り除かないといけないとなぜか僕は勘違いしているかもであるが、そう思ってしまう。
◇他をさしおいてもヨハネ伝ですぞ! あとは二の次、飛ばしてヨハネの第一の手紙、次はパウロの手紙とくにローマ人への手紙・・・とルターさんが言われたことを真摯に受け止めねばならないのではないかと思っている。現在は情報過多ですから。何しろ一番長生きした12弟子の自称イエスに最も愛された弟子の書いたものなのですからその"わざ”の真実が語ること多くありと。 ここらで、気を取り直し先回の回答
◆僕の結論はイエスの最後の十字架上の言葉は第22のすべて、最後までを含んだ意味での十字架上の言葉に間違いないということなのである(特に最後を読みたまえ)。何もこれは心情的にではない、その論拠は・・・
1)歴史の中で信者の中でも殉教者が喜んで死についた者が多くいたということ、ましてイエスが絶望の言葉を吐くとは考えられないこと
2)第一にこの言葉を載せたマタイ、マルコが十字架刑の様子に詩編22辺に書かれていることが実際にそのとき起こった様子として引用して書かれていること。それは当然にこの記者たちは先理解されていた詩編22を頭に思い描いていたと思われること。つまり、全部最後まで知って。
詩編22:7 → マタイ27:29、詩編22:8 → マタイ27:43 詩編22:18 → マタイ27:35 などなど・・・。
3)ヨハネ伝の中にもイエスの言動に、これは聖書に書かれていることが成就したと書かれている部分が多くあり、引用する聖書(旧約)の言葉であるなら、その一節だけを載せて、だからイエスは人間の絶望を受け入れたというのは困難であること。つまり、当然、最後まで知ってるものが引用するのであるから一節だけでそう解釈されるのは無理があること。
4)そして、最後に当時のと言わず、現在のユダヤ人たちは詩編と言わず、その他、僕らの知らないが聞いたことのあるタルムードとか他の教えなどは、最初の一節あたりをいうと、その全部を指していることなどのいわれがあることなである。
◆したがって結論から言えば、イエスは十字架上で原始キリスト教の世界宗教に発展する永遠志向の普遍性をもった言葉を言って地上でその完成をなしたということになるのである。
◇「わたしの魂は必ず命を得 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え
成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げしらせるでしょう」。
(詩編22:31-32)・・・
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