marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(128回目)

2016-09-10 16:40:10 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 先の回の重要な続き・・・大事件!
おい!・・・って言うことは何かい、前の回に書いた”いのちのことば社”の「ヨハネの手紙第一」に書かれていた「著者」の記事(前の回後半)からすれば、僕が119回目に書いた、119番号で救急車を呼んでもいいような記事をだな、この”いのちのことば社”の解説者は、認めていることにもなるぜ!(急にヤーサン言葉になってきた)
◆今回から読まれた方は、何を述べているか分からないでしょうから、119回の前当たりから読まれて下さいな。
つまりだ。ヨハネ伝(18:15)「シモン・ペテロともうひとりの弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中にはいった」とあるもう”ひとりの弟子”とは、やはりこの福音記者ヨハネではないかということも考えられると「著者」の解説の中で述べていることにもなるということ だ。
◆この大祭司は、ご存じのようにイエスを捕縛する側の権威をもったお偉いさんであり、イエスに「大祭司に向かってそんな口の利き方があるか」と下っ端に平手で打たせた者でもある。使徒ヨハネはこのひと(大祭司)の知り合いでもある可能性があるとも述べていることになるのだねぇ。・・・ 些細な事だが大祭司の中庭に入るとかの具体的な記事は他の福音書に記載はないし、みんなと炭火(薪火)をおこしあたっていたとは書いているけれど、この部分も妙に具体的な書き方をしているのだヨハネ伝さんの記事は。この場にいなければ分からないような・・・中庭に入れたのはわたし(ヨハネ)がいたからだと付け足したのか(18:15)、ペテロに耳を切り落とされたのは誰彼であったなどと相手の親族の状況も知ってて書いているなんてねぇ。(18:26)
◆ガリラヤのド田舎のたかが漁師と思うなかれだねぇ。もし、そうだとすれば・・・。
◇お金持ちで、お母さんの気質からもよい意味で権威志向的で、心の余裕もあったし、長生きしたし、第一にその為にイエスの「我に従え」という直截言われた記事は見あたらないけれど、まず第一にイエスの昇天後の動かしがたいその”わざ”の明らかな群れの証人達を抱える大使徒となった訳だ。「イエス」が、『キリスト』(救い主)であるという明らかな実体としての群れを抱え、大いなる動かしがたい証(あかし)をなしたイエスが再び来るまでに、何としても世界のすべての人々に再び永遠の国への帰還を、また、その為にイエスが来られたことを信じるよう述べ伝えなければならないと全身全霊をもって彼(その群れ)が書きつづったのがヨハネ福音書なのである。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(127回目)

2016-09-10 15:25:18 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 謎の福音記者ヨハネさんについて・・・つづき
プロテスタントの開祖、宗教改革者M.ルターさんが福音書を読むのであればまず、ヨハネ伝、それと彼の第一の手紙・・・と”新約聖書への序言”の一番最後に書いてあるとは、何度か書いてきたことだ。今一度、写真載せます。
(BOOK OFF \105)     
◆で、ヨハネさんは、新約”聖書”の後ろの方にあるヨハネ第一から第三の手紙を書いた人だと言われている(僕の記事を読んできた方は、全部本当にヨハネさん一人で書いたのかななどと思ってしまうでしょ。一番最後の”ヨハネの黙示録”も書いたと言われているけれど・・・)さて、先の124回目の後半と125回目の前半には、”いのちのことば社の新改訳聖書<注解・索引、チェーン式引照付>”の”ヨハネ福音書”の「著者」について書いてあることを載せてきました。今度それではということで”ヨハネの第一の手紙”の「著者」にはどう書かれているか見てみましょう。(今までの回で僕が書いてきたことが少し頭の隅にあれば面白く(大使徒に対して不謹慎?)読めるかと思います。(Ⅱは第2の手紙、Ⅲは第3の手紙を指します)では、”いのちのことば社”のそのところ
◆「ヨハネの手紙第一」著者:ヨハネの福音書とヨハネの三つの手紙は、ゼベタイの子であった使徒ヨハネによって書かれたと一般に信じられているが、ある人は他のヨハネ(Ⅱヨハ1節、Ⅲヨハ1節から、長老ヨハネ)が書いたと考える。その理由として、(1)使徒ヨハネのような「無学な」(使徒行伝4:13)者がこのように思想的に深遠な書物を書いたとは考えられないこと、(2)漁師の息子であった使徒ヨハネが大祭司の知り合いである(ヨハ18:15)とは思えないこと、(3)使徒であるヨハネが自分を長老と言うのはおかしいことがあげられる。しかし、「無学な」というのは無知であることを意味する言葉ではなく、律法を正式に学ばなかったという意味である。また、ヨハネの家は裕福だった(マルコ1:20)ので、大祭司と知り合いであったということもあり得ることである。更に、ペテロは使徒であったが自分を長老と言っている(Ⅰペテロの手紙5:1)。また、仮に長老ヨハネが福音書とこれらの手紙の著者であり、「イエスが愛された弟子」であったとするなら、なぜ福音書でキリストの生涯にとっても重要な人物である使徒ヨハネについて言及していないのだろうか。これらのことを考え合わせると、使徒ヨハネと長老ヨハネとは同一人物であり、これらの手紙の著者であったと考えることができる。・・・以上