marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(255回目)休憩 異邦人伝道の使徒パウロの余韻に浸る Ⅲ

2017-02-03 22:06:29 | 日記
以下は、パウロさんが、”私の福音”と述べたことについて、日本の安部首相がアメリカの新大統領トランプさんと会見するというので急遽思いついたことを書きます。
◆何度か書いてきたけど今年2017年はマルチン・ルターさんが宗教改革を行ってから500年が経ちました。前の回には、17世紀と18世紀のことを書きましたが、その宗教改革は、遡る16世紀のことです。 ヨーロッパのキリスト教中世が終わりを告げたのであります。万人祭司説、すべての人ひとりひとりが神の声を直接、自分への語りかけとして聞き始めたのです。
岩倉使節団がこの時、プロイセンの政治の仕組みを日本のそれに取り入れると、天皇制維持にぴったしなんではないか。王様を処刑台に送ってしまうような英国や仏国などに比べてと採用したのが、そもそもドイツとともに第二に世界大戦に負けてしまった日本のそもそもの走りがあったと考えられます。ここで問題なのは仕組みを採用したことがいいとか悪いとか、戦争に勝った、負けたではなくて、その国のアイデンティティーを保つには宗教性というのは必要なのであろうがそれがあからさまに国の仕組みと結びつくとろくなことはないという事例。しかし、では他に国民の意識の統一なるものをいかに図るかとなれば、これまた他にないような気もします。何らかの深層心理ごとき、伝統なるものが民族の中にあって(政治学者丸山正男さんの言葉を借りれば通奏低音のようなもの)、それが時代においてあからさまに出さなくても、現実生活の実態にいかに機能していく仕組みに押し上げられてくるかは、実はこの日本というこの国の民族は素晴らしい素養を持っているな、僕は少なくとも仕事でフィリピン、韓国、台湾、中国(内陸でない)、ベトナムなどを回らせていただいて、そう感じています。
◆それは、他民族搾取が主だったような西欧、キリスト教において以前のこの国には、やはり仏教輸入以前の古代の国境などが定まらない時代に特殊な民族が(イスラエルの失われた10部族が)日本に来ていたのだろうなと思います。ネストリウスキリスト教はすでに119年に日本に来ていたという説もそうですね。日本のあちらこちらにはどうして似たような名前の神社があるんだろう。そしてどうして、社(やしろ)がイスラエルの幕屋に似たような作りなのだろうと、時に獅子の代わりに狐さんがいたりしてねと、僕は小さなことから思っていたわけです。
僕らは日本に仏教が伝わったのは538年(ゴミヤ)と習ったのだけれど、それ以前に多くの仏典が日本には渡ってきていたのね。昨日だったかも新聞に写真が掲載のあったキトラ古墳という、亀や竜など壁に描かれたあのお墓は完全に中国の道教のものですけれど、その宗教は日本にいかに影響を及ぼしたかなどは詳しくは間違っても公には学びませんですね。それ以前の仏典と書きましたが、ほとんど漢文でしょう。だからすべて仏典とおもっても実はその中には、道教もあれば、キリスト教(景教)のあった訳、無論他の教えもたくさん入ってきたいたのですね。時代が下り、仏教において、パウロのように自分の言葉で、真理を捉えようとした日本においては鎌倉仏教。親鸞さんの悪人正機説や、お題目を唱えれば貴賤に関係なく浄土に行けるなどは、人間は罪人であるとか、主の御名を呼び求める者は救われるなどは、親鸞さんが当時漢文に訳されたマタイ伝の一部を読んでいたというのはわからない気がしないでもない。だから浄土真宗は、尼さんでも頭をそったりしない、体を痛めつける修行はしない。普段お生活の中で仏を体現するという教えで、キリスト教に近いですね。
◆時代を前に遡らせ、どれが本当なのかと国のアィデンテティーを形成するために真理を求めに最澄や空海は、中国に勉強にいったわけだ。僕の実家は空海さんの真言宗ですが、空海さんも留学先で当時のキリスト教(景教)にであっているのですね。これについてはずっと前の回に書いたのでお読みください。2016/8/22の107回あたり。
◆今回は、パウロさんの話から脱線してしまいました。次回は、前回の深井智明さんの著作の後半を学びます。・・・