marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(262回目)余談 異邦人伝道の使徒パウロの宿題

2017-02-11 22:38:33 | 日記
地球の裏側からの情報も確か、不確かはともかく、短時間でそれらを得られる時代となりました。文字自体も統一されていなことから、日本の紀元前の歴史は明確ではありません。
今日は建国記念日。この歴史を学校ではきちんと教えてくれているのだろうかとふと疑問に思ってしまった。いずれにしても言葉と文字は大切だなと思いました。2.11の勉強会に行ってきました。雪も止むことを知らず、とにかく雪かきで汗をかきました。
◆遠藤周作氏の「沈黙」の話を書きましたので、留学時、日本に帰ったらキリストを日本になじむませるよう努力しようと誓い合った井上洋治神父の本「余白の旅-思索のあと」を再読しました。(これはすごく昔に古本屋で100円で購入したもの)。今、日本キリスト教団から著作選集が出ていますが、「西欧のキリスト教というだぶだぶで着づらい服を福音の原点に立ち帰って日本人のからだにあわせて仕立て直したい」というフレーズで紹介されています。
◆先の回に深井智明さんの神学の起源から「教会(という制度)嫌いのキリスト教」について述べました。フランス革命期に起こった神学について宗教は必要だが教会批判を行う話の掲載をしました。キリスト教を作ったのはパウロであるという作家佐藤優氏の言葉も掲載しました。教会嫌いのキリスト教からの一番の批判の対象はイエスの純粋な宗教を教会的なキリスト教に変質させてしまったパウロと初代のキリスト教徒たちということになると。それは教会の権威や超越性を批判するということが起こるというのですね。さらに真の宗教生は制度化した教会の成立以前に求められるべきであると主張されることが起こったというのです。
◆考えてみると、イエスの言葉は四福音書に見られる訳ですが、それらを著した筆者は、読んでもらう対象の人に理解してもらおうと書いた(形跡が見られます。いわば個性が出ているということか)ことが、時代的制約や著者の立場からわかる訳です。その中で、福音書を読むのであればヨハネ福音書を読みなさいとルターは勧めたのでした。
◆この回で僕が何を言いたいかと言えば、福音のエッセンスを除き、書く者も読む者も、その時代、置かれた立場でまそれぞれが何らかの影響を受けた上で書かれているということです。従って、イエスの言葉から離れていつの間にか不自由な組織体ができて権威を持ったりしてくることに留意しないといけないということです。イエスはひとりひとりに語られたのですから。そのように異邦人にも聞ける一人ひとりになれるように私を伝えなさいと使徒たちに言われたからです。外からの押しつけ拘束ではなく、聞く者が自らイエスの声を聞くための心の扉を内から開くようにと・・・。ここにまず自分の言葉で読むことの大切さがあります。
◆パウロの霊と肉の二元論の考えは、当時周知していたであろうギリシャの哲学者プラトンの影響がないと生まれてこなかったと考えられます。僕が常々思っているのですが、聖書をまんまありがたいものと読み取るのではなくて、その中には時代に(適応するように)述べられた真理といかなる時代も(つまり2017年の今でも)適応されるであろう普遍的な言葉が載せられていることがあるので留意して読み取るようにと考えているのです。旧約聖書で言えば「十戒」のような普遍律法、レビ記に書かれているような民族律法があると考えられます。そのようなことがパウロのローマ人への手紙にも当然、見られています。ですから、異邦人の僕らは何を普遍的法則、何をパウロ自身の時代に対しての信徒への奨励であったのかを考えながら読んでいかねばならないものと思われます。・・・Ω