marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(266回目)ローマ書講義 56・169-172(M・ルター)Ⅱ

2017-02-18 11:05:14 | 日記
M・ルターを読もうとすれば、全く先の回から言えば、信仰という列車のそちら側に乗り込んだ人達の話になって、まだ、乗り込んでいない人は、違和感を持つか、我関係なしと思われる方もいらっしゃるであろう。けれども、聖書の学びはアメリカがくしゃみをすれば日本は風邪を引くと昔、言われてましたが、今は全世界が風邪を引くようになってしまって、昨今は特にひどい症状になるのではないかと言われますね。こういうことが、何を信ずるかはともかく世界の動きを推察することができるように思われます。
◆アメリカ経済、政治動向、それから世界の動きなども今では聖書を学べば、そちらに乗り込む、乗り込まない如何に関わらず、自分を知ることと、人間を知ることと、世界の歴史を推察することと、それから仕事のこと、そして大切な死んでからのことなど(これは飛躍ですけれど)知ることができるように思われます。前回に述べたことは漫然と書いたようで自画自賛ではありませんが異邦人の僕らにとって、まったくキリスト教は外国の宗教と思っておられる方について、ふと、自分の言葉で考えて見ようと思われてた方には大切なことであると認識していただいてかじりついていただければと思っています
◆そこで、世界の動きには興味がないと言われても、あなたの日常の生活に影響を与えているのですと言われれば、よい意味でとられる方は少ないとは思いますが、日本と言わず、世界のそれぞれの国は自国だけでは豊かな生活で延命できないのは、明らかなことなのですから、聖書の影響の歴史などを学んでいただければ、人間社会のあらゆるジャンルに影響を与えてきたと言えることが理解されると思われます。そして今や、その宗教牲の脱色までが言われています。それはある人々から言わせれば、天地創造の父なる神が今や直接に人類社会の宗教生という組織体を越えて(浸透してといたらいいか)直接に、いかなる地上の人々にも求める人に直接の語りかけを開始し始めたのだ言うことになります。さて、M・ルターのロマ書講義の第1章16節から、当然、そちら側の方ですから難しい言い回しですが・・・
◆福音は神の力である。(ローマ書第1章16節)
「注目すべきは、この箇所で「力」とは(潜在的な)力また能力、一般にmuglickeit可能性と解されているものと同じものと理解されていることである。「神の力」とは、それによって神ご自身が、ご自身において実質的に力があるというものではなくて、それによって神ご自身が能力ある者、力ある者を造り出すものである。「神の賜物」、「神の造りたもうもの」「神のこと」と言われているのと同様に、「神の力」について言われる(つまり、神からくる能力なのである)。〔・・・・・〕
 次に注目すべきは、「神の力」は人間の力と区別されていることである。人間の力とは、それによって人間が力あるものとなり、肉に従って救われ、肉に属することをなしうるようになる能力である。しかし神は、ご自分の力を与えるために、キリストの十字架によって人間のこの力をまったく無効にされた。この神の力によってこそ霊は強くなり、救われ、れにに属することをなしうるようになるのである。」
◆(これ以降は僕の見解):1月22日(244回目)に書いたアメリカの大統領トランプさんの神学によれば、神の力の結果が実際的にこの実を持って体験しなければ(この地上において今・・・実現しなければ)何を言ってもそれが証明されたとは言えないだろうよということになる。アメリカの神学はこのように変質してきて実際的なものになってきたのです。中世の宗教改革者にして神学者、M・ルターの講義内容も今の僕らにとっては抽象的概念のようだけれど、トランプ氏も神の与えたもう能力なのさ、そもそも大統領になったこと自体・・・などと始まるといかようにも自己肯定ができる訳なのである。だから、詰まるところこの人間社会の3次元事象での肉においても我々は身をもて戦いを始めなければいけないのです。それで、列車の中にいる人々はどういう目的地へ向かう列車なのかということをしっかり見据えているのです。・・・