marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(256回目)神学の起源-社会における機能 深井智明 著

2017-02-04 19:50:22 | 日記
254回目から飛んでここに来ます。254回文中に採用したガラテヤ書1章1節のパウロの手紙の言葉が「神」が「紙」になってました。ごめんなさいです。大切な宣言の箇所なのに・・・ パウロさんの手紙については「休息」や「脱線」の回に書くと叱られそうですね。余韻に浸る? おいおいという訳で、「神学の起源」本のそのまんまの名前で書くことにします。
◆深井先生の著作を再度取り上げたのは、今までのキリスト教の歴史の中で、このブログの趣旨、すべてのしがらみから解放されて聖書を読んでいこうとすることの戦いが書かれているからと思われたからです。そこではユーゴーの言葉を書きました。18世紀以降について著作の中からでした。
◇ところで不思議に思っていたのが、西欧なのにフランス革命時にあんなに中世に影響を及ぼしていたキリスト教はどうしていたのかとつねずね思っていたのですが、この時代は政教分離とやら、その他もろもろの宗教色からの分離があった時代だったのですね。ここらあたりから哲学などで人間が自分のことは自分で考えなさいとの理性の時代に入っていたので、キリスト教に無関係に哲学が突然に出てきたわけではないのでした。むしろ、キリスト教からのしがらみからの分離、すべてにおいてそれを目指そうと起こったことだった訳ですね。で、フランスで起こっていたこと・・・
◆(p164)神学の心理学化が始まった。すなわち自分の人生の中でどうしたら神をよりよく理解できるか、という問題に始まり、どうやって自分自身に対して、また信じていない人に対して神を説明できるだろうか、ということを心理学的に考えるようになる。それは教会や伝統にも依存しない神学が登場する。それはまさに「神秘主義」である。神秘主義というと人間が恍惚状態で「神を体験したり、瞑想の末に神を認識するような宗教性を思い起こすかもしれないが、そうではない。ここでいう神秘主義とは制度をはじめとする何らかの仲介物に媒介されていない宗教性のことである。そこでは「直接性」ということが重要になる教会や伝統や他人がどう言おうと、自分が感じる神がすべてなのである。それゆえに、人間の心のどこにどのように神や宗教の場所があるのかということを、目に見えない世界のルールに従って証明することが神学の重要な課題になったのである。また、神学は宗教学へ解体されていき、啓蒙主義の伝統から実証主義的になっていくこととなる。
◆(p178)すなわち、キリスト教の真の宗教性は、制度化した教会が成立するよりも前の時代、すなわちコンスタンティヌス・モデル以前(*これはキリスト教が国家宗教となり制度化する以前という意味:僕の説明)に求められるべきであるという主張がなされるようになる。それによって批判されているのはパウロ以降の「制度としての教会」である。真のキリスト教は歴史的イエスのそれ自体に遡るという見方である。
◆(同)このことをドイツ語圏で別の文脈で、しかしほぼ同じ仕方で語ったのがニーチェだった。ニーチェはキリスト教をトータルに批判したのではなく彼の立場は、真のキリスト教徒がいるとするならばそれはイエスだ、という逆説的な言葉に表れている。彼自身はイエスと直結した信仰ということについては否定していないのだと思う。彼が否定したのは、その後教会によって作りあげられて現世の道徳となった教えや神学のことであった。いずれにしても「教会を守る神学」と「教会を批判する神学」との対立という奇妙な現象がフランス革命以降生じたのであり、これが近代においてどこにいっても見られる神学の姿だということもできる。・・・
◇いずれいつの時代も、共同体を目指すと一つの組織体への依存性が起こり、体制に隷属してpureな信仰が維持できなくなるという、その解明に人間自らが目覚め自覚し、理性的に自分の言葉で聖書を読まなければねぇという、この僕のこのブログの趣旨に近い動きがあったということを覚えたいと思います。・・・そしていよいよアメリカへ渡ります。・・・