marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(260回目)脱線 映画「沈黙」-サイレンス-を見る Ⅱ

2017-02-08 20:13:31 | 日記
この異邦人の国、日本にイエスの言葉を真に伝えるためにこの国の神学者の方は当時の世界に答えを出して欲しいと僕は思っているのです。キリスト教信者が少ないと嘆くのは第一に前に書いたような宗教が政治と絡むとろくなことがないということ。それについてきちんと回答を出さないとおそらく、日本にクリスチャンが増えることは困難かと思う。「沈黙」のような歴史があったのだから。
前回から・・・ 
◆オランダは貿易を独占するため切支丹宣教師はその侵略の手先であるとしても、それはその当時のスペインがピサロ、コルテスが神の名においてインカ帝国(1527-32年)、アステカ帝国(1520年)を少人数でどれほどか多くの原住民を滅ぼしたことを知っていたであろうオランダは、その当時の世界事情、事実を正直話しただけなのかもしれない。ですからこれは僕の推論ですが、あの時代に時の日本の権力者が、切支丹征伐をやらざるを得なかったのではないかということ・・・です。すべてにおいてその時代の時と場所を考慮して考えないとすべてにおいて一面しか見ていないということになる。イッセ-尾形扮する井上筑後守の話は、時代からすればまともな考えであったろう。
◆実際の拷問は、映画よりももっと悲惨だったようです。たまたま僕は五島列島の生月島のオラショ(聖歌)を朝のラジオで聴いて当時の隠れキリシタンの悲惨な様子を同時に聞く機会があった。殉教した人たちはイエスのもとへ行ったのだろうな・・・きっと。
◆「銃・病原菌・鉄(上)」ジャレド・ダイアモンド 倉骨 彰訳(草思社文庫)から
バルベルデ神父は、ピサロのところに引き返し、次のように叫んだ。「クリスチャンたちよ! 出てくるのだ!出てきて、神の御業を退けた犬どもと戦うのだ!あの暴君は私の教えの本(聖書)を地面に投げ捨てた。あなたたちは何が起きたか見たであろう。平原がインディオでいっぱいの時に、この思い上がった犬に礼儀正しくふるまう必要もなければ、卑屈になる必要もない。出て来て戦うことを私が許す!」
すぐさまピサロ将軍がカンディアの部隊に合図を送ると、それを見てカンディアが銃を撃ち始めた。と同時に、トランペットが吹き鳴らされ歩兵と騎兵が飛び出した来て「サンチァゴ!(訳注:キリスト12弟子の一人、聖ヤコブのスペイン名。スペイン国民の守護聖人)」と大声で叫びながら、広場のインディオめがけて突進していった。(p130)カハマルカの戦いではたった168人のスペイン軍が一人の犠牲者も出さずに何千人という敵を殺し自分たちの500倍もの数のインディオを壊滅状態に追い込んでいる。・・・これが地球の裏側で起こっていたことです。
◆情報が豊かになった僕たちは、情報にまた操作されることもなく、もっと賢くならなければいけないと思う。すべてのしがらみから離れてイエスと語る自分の言葉を持つこと。それは時代の言葉を与えてくれる。そして心情的に浮かれないこと。キリスト者の殉教の血は信仰の種となる。それは日常生活での戦いでもあります。・・・Ω