ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

越中おわら風の盆の宴の後をみました

2010年09月20日 | 旅行
 富山市の八尾町(やつおまち)は「越中おわら風の盆」のお祭りが有名です。その八尾町の中心部は江戸時代の面影をできるだけ保った町並みが残っています。特に石畳が敷き詰められた道の両側の町並みは、通り側(表玄関側)はかなり昔風を保存しています。


 9月1日から3日の3日間開催された越中おわら風の盆の名残りはやはりもう残っていませんでした。中心部の“旧市街”部分は細長い四角形状で、30分もあれば歩いて一周できる広さでした。町を歩く楽しさを改めて教えてくれる所です。

 石畳の道に自動車が駐車していなければ、時代劇の映画やテレビ番組の舞台として、ある程度使える町並みの部分があります。お店を営んでいる家の表玄関側は昔風の屋号のような看板を掲げ、それ以外の表示は出さないように工夫しています。例えば、エア・コンディショナーの室外機を置く場所を工夫したり、道路側の表玄関側には洗濯物を干さないように申し合わせているようです。洗濯物などは通り側には干してありません。郵便局も、昔の町並みの調和を乱さないように外観が工夫してあります。

 各商店も昔風の外観を保っています。味噌や醤油の醸造元の看板が目につきました。


 このほかにも、豆腐店、喫茶店も外観をレトロな感じに工夫しています。土産店は当然、観光客を引きつけるために、一見控えめで土産店と分かる雰囲気を出しています。たぶん、お店ではないお宅でも、通り側に生け花の小物を展示したり、花が咲いている鉢を出したりと雰囲気を盛り上げています。


 玄関に飾ってある鉢物はフヨウ(芙蓉)の花が見ごろでした。

 お祭り「越中おわら風の盆」は9月1日から3日の3日間開催されます。この時は富山市の宿泊施設は観光客で埋まるそうです。富山市の周辺の町も一杯になるそうです。3日間では観光客が収まらないため、最近は8月下旬から、練習と称しておわら風の盆の踊りと歌を披露し、観光客を喜ばせています。かなり、観光化している感じです。“二百十日”(にひゃくとうか)の盆に、ぼんぼりの明かりを町中につけて、哀愁を感じさせる三味線(しゃみせん)と胡弓(こきゅう)の音色に合わせて“町流し”の踊りが始まるそうです。

 八尾町は5月3日の八尾曳山(やつおひきやま)と、 9月1日から3日の越中おわら風の盆のお祭りがそれぞれ有名です。江戸時代にカイコを育てる養蚕業で繁栄し「蚕都」と呼ばれたほどだそうです。特に、カイコの卵を支配するビジネスモデルが強みを発揮し、かなりの競争力を戦前まで保ち、富をもたらしたそうです。この栄華を極め、富山藩の御納戸所(納税事務所)だったとの歴史を誇ります。この町人文化の栄華を一番反映しているのは曳山の祭りだそうです。六つの町内会がそれぞれ曳山を繰り出します。数年前に、八尾町を偶然訪れて、その曳山の一部を楽しみました。中心部には、各町内会が曳山を保存する町内会館をそれぞれ持ち、地域住民の絆(きずな)の強さを示しています。

 江戸時代からの養蚕業、最近の「越中おわら風の盆」のお祭りによる観光業と、八尾町は街興しを続け、成功しているのは、先祖からの遺伝子の仕業でしょうか。旧市街地の周りは緑濃い森と棚田や段々畑ののどかな農村地帯です。この森を生かして、和紙をつくる製紙業も盛んだったそうです。

 周囲の深い森は、初夏にはゲンジボタルとヘイケボタルが同時に飛ぶホタル水路を保っています。このホタル水路は「車で約25分の近くにある」そうです。ホタル(蛍)が住むほど、自然が保たれていて、野生のメダカも住んでいるとのことです。初夏のホタルの方が魅力的な気もします。
 

また知らない園芸種の花にお目にかかりました

2010年09月19日 | 旅行
 長野県大町市の田園地帯にある「ラ・カスタ ナチュラル ヒーリング ガーデン」を再訪しました。
 さまざまな園芸種が楽しめるナチュラル ヒーリング ガーデンの秋版の園芸種を見るために“信州安曇野”に行ってきました。前回の訪問は6月上旬でした。この時は春版の花々に出会いました(2010年6月6日と6月7日のブログ参照)。今回は、どんな花が秋版の主役なのかを知りたくて行ってきました。


 猛暑の夏の影響もあるかもしれないのですが、9月よりは6月の方が多彩な園芸種の花が咲いていました。まだ夏の強い日差しを受け、木立の木陰になどにも、これから咲く花が潜んでいました。

 今回の主役の一つはダリアです。赤色にピンク色、黄色、白色などのダリアが最盛期でした。少し絞りが入った模様のダリアもありました。ナチュラル ヒーリング ガーデンはダリアにはこんなものもありますとばかりに、多彩なダリアの花を咲かせています。


 ダリアの植え込みの背景には、クレオメがたくさん咲いています。背の高いクレオメを背景にさまざまな色のダリアが咲き誇ります。背丈の高いクレオメを背景に配置すると、庭が華やかな感じになることを知りました。花々は正確には夏版から秋版への切り替え時期の園芸種の花とみた方が正しいようです。

 今ごろは、ダリアのようなキク科の花がいろいろ咲いていました。白色のキクのようなガーベラのような感じのカモニールの花もあちこちに咲いています。少し背の高いグランドカバーのように感じで咲いています。

 もう一つの主役はセンニチコウかもしれません。朱色や赤紫色、紫色などのさまざまな色のセンニチコウが歩道を飾っています。センニチコウも庭の主役になる花であることを知りました。よく見かけるウモウケイトウも朱色、黄色などの花があちこちに咲いています。夏版の花です。

 今回印象に残ったのはハマナスの実です。ミニトマトのような実がたくさんできています。真っ赤な熟れた感じのもの、まだ薄い朱色の実ができたばかりのものなどが混じっています。バラのようなハマナスの花もまだ少し咲いています。

 今回も初めて見る園芸種がいくつもありました。ガーデンの入り口付近ではトレニア・バイロニーという、一見少し小さなパンジーにも見える園芸種が咲いていました。よく見ると、パンジーとはかなり違った外観でした。多少地面に這うような感じで広がっていて独特の雰囲気です。


 リンドウの親戚かなと感じたのは、ケロネというピンク色の花です。リンドウよりも花がふっくらとした感じで。蕾(つぼみ)の感じが違いました。初めて見る独特の花でした。


 大きなマツムシソウに見えたのは、ディディカスという花です。見かけはマツムシソウです。園芸種なのでしょうか。英国などの欧州での園芸種の改良は長い間の蓄積の賜物(たまもの)と感じました。次回はどんな園芸種を教えてくれるのか、楽しみです。園芸種の改良と言う点では、日本も江戸時代にショウブの改良が進み、新種をつくるという点ではひけを取らないのではないかと思います。違いは、園芸種の流通市場をつくり、園芸種をつくり出し、販売して次の改良種をつくる資金を得るというビジネスモデルを確立した点にあるのではないかと想像しています。市場をつくるというイノベーション創出に成功した点が違いと考えています。

 美しい花々は、日ごろの手入れの成果であることも忘れてはなりません。丹精込めて手をかけた分だけ、花々は美しく咲くことで、人間に努力に報いてくれると信じています。

佐久市の佐久荒船高原は多数のコスモスが咲き始めました

2010年09月18日 | 佐久荒船高原便り
 内山峠を過ぎて国道254号を下って行くと、コスモス街道という“ミニ観光地”が出てきます。国道254号線を群馬県から長野県に入る内山峠トンネルを通って進むと、佐久市郊外の田園地帯から街中に入る少し手前に、有名なコスモス街道が出現します。国道の両側にたくさんの花をたなびかせるコスモスが続きます。背丈が2メートルぐらいのコスモスが花の街道をつくっています。最盛期には大渋滞します。

 コスモス街道の出現と同時に、佐久荒船高原にも一面がコスモスの花に染まった「大コスモス園」が出現します。濃いピンクから薄いピンクまでのさまざまなピンクに、白色も混じった多彩な色のコスモスの花が風にいっせいになびく様は初秋を感じさせます。早朝の霧が草原を覆った中で、朝日に照らされるコスモスの花々が風に揺れる様はなかなか綺麗なものです。


 
  毎年9月の連休はコスモスの花が綺麗に咲く絶好の見ごろになるため、早朝から写真愛好家数人が三脚に1眼レフカメラを載せて撮影に霧中です。朝日の光の変化の一瞬をとらえようと必死です。背丈が2メートルぐらいのコスモスの中に時々、カメラを持った方が潜んでいます。9月18日の連休初日は早朝から駐車場に車が入り始め、カメラを手にした方がコスモスに向かいます。早朝は朝霧が濃く、あまり日が差しません。



 コスモスは元々はメキシコの高原に咲く野草の花だったそうです。18世紀末にスペインのマドリッド市の植物園に送られ、園芸種に仕立てられたそうです。佐久荒船高原の大コスモス園の風景は、メキシコの原野に似ているのではと、勝手に想像しています。



 大コスモス園の花が咲き出すと、車の渋滞の問題が登場します。山道の運転にあまり慣れていない方々が山道を多数上がってきます。道幅があまり無い山道では、すれ違いが難しい局面に遭遇しがちです。さらに、観光バスが何台も来ます。くねくねした山道でバスとすれ違うには最適な曲がり角を選ぶことが大切です。これが難問なのです。大コスモス園近くで、毎年繰り返される出来事です。

 なるベく早朝に大コスモス園を楽しみ、多数の自動車が現れるころには、避難します。大コスモスの草原の周りでは、銀色の穂がなびくススキの群や、アキノキリンソウの濃い小さな黄色の花が多数、風に揺れています。小さな秋があちこちに展開し、高原の秋を少しずつ深めて行きます。紅葉が密かに近づく足音が聞こえる気がします。

講演「技術ネタをいかに商売にするか」を拝聴しました

2010年09月15日 | イノベーション
 9月15日夜にタイトル「事業開発;技術ネタをいかに商売にするか」という講演を拝聴しました。
 講演されたのは、一橋大学大学院国際企業戦略研究科の菅野寛(かんのひろし)教授です。非常に魅力的な講演タイトルなので、100人ぐらいは入る講演会場は満席になりました。講演会場の開場直後から「本講演は予定定員に達し満席なので、前から詰めて着席してください」と、講演主催者の関係者が何回も声をかけます。3人席の真ん中は窮屈なので人気がなく、空席になりがちですが、関係者の方が聴講者をうまく誘導し、次々と埋めていきます。

 菅野教授は、前職が大手コンサルティング会社のボストン・コンサルティング・グループのパートナーでした。今回の「事業開発;技術ネタをいかに商売にするか」という講演は、その時の実務からつかんだ経験則の私見のエッセンスだと前置きされて、お話を始めました。「学術的な内容ではなく、実務的な内容です」と、前もって説明されました。


 冒頭に「斬新な事業ネタのアイデア、特に技術ネタによって、新規事業は成功する」という神話は、実は幻想であり、実務経験からは成功例は滅多にないと伝えます。事業ネタのアイデアがいくら優れていても、事業の組み立てができないとあまり成功しないとの意味です。新規事業起こしの要素を分解すると「WHAT=良いネタ」「HOW=事業の組み立て方」」「LUCK=運」の掛け算が新規事業の成功をもたらすと説明し、今回の講演では「HOW=事業の組み立て方」面を解説すると伝えます。ここが成功のポイントだからです。

 新規事業起こしでは、「成功の必要条件を満たす」、すなわち失敗する“落とし穴”を論理的に避けることで、成功確率を努力して高め続けることが重要だと語ります。すなわち「戦略を徹底して練る、繰り返し練ることだ」という。つまり、必ず新規事業が成功する方程式はないのだが、この見方を変えると対偶は「失敗の十分条件」を意味する。すなわち「これをやったら絶対に成功しない」ということは、論理的な思考でチェックできるので、チェックリスト化して落とし穴を避けることを続けるといいます。

 菅野教授が自らの体験から編み出した「チャックリストのまとめ 事業を考える枠組み」を公開されます。「バリュープロポーション」「市場規模」「ビジネスモデル」「競争優位性」「事業経済性」「リクワイアメント」「リスク/不確実性マネジメント」「アクションプラン」の各項目で、体験から得たノウハウを具体的に伝えます。実務から編み出したノウハウだけに、説得力があります。

 具体的な事例によるノウハウの話が続きます。「大手企業をコンサルティングした際に、信じられないでしょうが、市場規模をつかんでいないケースが予想以上にあったのです」と説明します。予想される市場が100億円以下なのに、単純に市場規模が大きとだけの希望的観測として考えられた投資案件があったり、日本で予想される市場のある部分しか確保できないのに、全体を確保できるというシナリオを描いたりと、チェック内容が精緻でないケースが多いと警告します。「チェック項目は当たり前のことを予想し検討するのに、意外と当たり前のことができない人が多い」そうです。

 「競争的優位性」の項目でも、新規事業では「想定ユーザーが他の代替案と比較しながら、当該の新製品/サービスを選択する」というチェックが不足気味と説明されます。新製品/サービスの真の競争相手は何かのチェックが頓珍漢(トンチンカン)なケースが予想以上に多いようです。「事業経済性」でも、最悪の展開のケースでも市場規模がどれだけあるのかのチェックが不足気味だそうです。

 「成功の必要条件を満たす」を徹底的に実行する戦略立案を実施しながら、もう一つの要件は「徹底して実行する」オペレーションに、ポイントがあると説明されます。新規事業計画案を集中し、高スピードで、しつこく実行するオペレーションだそうです。その成功例として、宅配便を始めたクロネコヤマトのヤマト運輸とコンビニエンス業のセブン-イレブンを統括するセブン-イレブン・ジャパンが日常的に行ったしつこいオペレーション事例を説明します。ユニチャーム会長の高原慶一郎さんは「アイデアを考えるエネルギーを1とすると、実行するには10のエネルギー、成功するには100のエネルギーが必要」と、オペレーションの大変さを語ったと伝えます。

 菅野教授は体験から、新規事業起こしに成功する起業家には二面性が必要といいます。新規事業に必ず成功すると信じる超楽天家の面と、その新事業を起こしを実践している時は、成功するか不安なので、落とし穴がないかをあれもこれもチェックする心配性な超悲観的な面の両方が必要といいます。優れた起業家は超楽天的な面と超悲観的な面が巧みに交互に現れて、成功するまでしつこく実行し続けるのだそうです。


 講演後の会場の聴講者からの質問の中で、「日本では、当該企業の中核事業の周辺に伸ばしていった新規事業の方が成功していると感じる」との答えに、あまり明確にお答えにならなかった気がしました。日本では既存事業の部分改良によって、新規事業を成功されるケースが多いようですが、この場合はその新規事業によって、まったく新しい市場をつくりだし、その市場で一気にナンバーワン企業になることは無いと感じました。革新的な新規事業では無いからです。ジャンルを超えた新規事業起こしは日本の既存企業ではやはり難しいのかなと思いました。

スイス人は多言語をいとも簡単に駆使します

2010年09月14日 | イノベーション
 9月13日午後に東京工業大学大学院で開催された「MOTワークショップ」を拝聴しました。
  ゲスト講演者は、スイス連邦工科大学のヒューゴ・チルキー(Hugo Tschirky)教授というMOT(マネジメント・オブ・テクノロジー、技術経営)の大家です。多数の著作をお持ちで、日本では、その翻訳書「科学経営のための実践的MOT」(発行は日経BP、2005年1月)を上梓されています。


 スイス連邦工科大学は略称が“ETH”と表記され、A.アインシュタインなどのノーベル賞受賞者を多数輩出している名門大学院です。物理学や化学、医学などの理学・工学に加えて、MOTの分野でも優れた業績を上げているからです。

 チルキー教授は1968年にスイス連邦工科大学大学院で原子力工学専攻で博士号を取得された後に、スイスのカール・ツァイス・チューリッヒ社のCEO(最高経営責任者)やスイスのセルベルス社のCEOを歴任されました。1976年には経営学でも博士号を取得されています。1978年には米国ハーバード大学のビジネススクールの経営学プログラムに参加され。2000年には米国MITの客員教授も務められています。


 チルキー教授は毎年数回、日本に来日されるほどの親日家で、1992年にサバティカル休暇(欧米などの大学の教授が7年ごとにとるまとまった休暇)として東京工業大学の客員教授として滞在して以来、東京工業大学の大ファンなのだそうです。

 チルキー教授の今回の講演のタイトルは「The Innovation Architecture Bridging the Gap between Market and Technology」でした。強いて訳する「市場と技術の深い溝を結ぶイノベーション・アーキテクチャー」とでもなるのでしょうか。前半部の“イノベーション・アーキテクチャー”は浅学なので翻訳できませんでした。

 お話の中身は、私には難しいので、つまみ食い的に説明すると、最近の製品は多様な要素技術から構成されているので、その製品に盛り込まれた要素技術を整理した「テクノロジー・プラットフォーム」を考えることが重要とのことです。その製品のコア・テクノロジー(キー要素技術)に、プロダクト・テクノロジー(機能や設計の要素技術)、プロセス・テクノロジー(生産の要素技術)、サポート・テクノロジーを整理し、各ビジネス領域(事業)で技術インパクトを分析することが新しい製品や事業を産み出すカギとなるというようなご説明に聞こえました。

 これからが本題です。チルキー教授は講演のイントロダクションで、いきなりOHPシートに筆ペンで「智行合一」とお書きになったのです。この四文字がMOTの本質を示していると説明されました。ものごとをよく分析し、考えてから実践するのが、MOTであるとのことのようです。教授は、スイスの自宅でNHKの衛星放送を受信するほどの親日家です。実は、講演の自己紹介部分は日本語でお話されました。「薔薇」を漢字で書くことができるほど、漢字に精通されているそうです。

 この後も、講演の中で「為虎添翼」「意先筆後」などをOHPシートに書いて、講演会場をわかせます。なかなかのパフォーマンスです。聴講している日本人に「為虎添翼」の意味を尋ねます。「分からない」と答えると、「日本人でしょ。漢字が分からないのですか」と笑わせます。




 「為虎添翼」は翼という強いものを身につけると、虎のように強いものになるとの意味だそうです。日本の革新企業がMOTという強いツールを会得すると、競争力が一層高い革新企業になるとの意味を込めているそうです。

 スイス人ですから、ドイツ語とフランス語、イタリア語の3カ国語を話すのは普通です。これに英語が加わっています。でも、多言語(マリチリンガル)を操る能力が優れているので、もっと多くの言語を使うことができる方のようです。日本語は、日本の企業の経営や研究開発、事業などのケーススタディーを調査されるために、学ばれたと想像しています。今回のイノベーション・アーキテクチャーやテクノロジー・プラットフォームの事例として、キヤノン、川崎重工業、セコムなどの事例を簡単に紹介されました。

 最近、日本では楽天やユニクロなどが英語を社内での公用語にすると発表して話題を集めています。でも、大手電機メーカーや自動車メーカーでは、外国人の研究開発者や技術者などを交えた会議では、共通言語として英語を使うのが当たり前なのだそうです。外資系の企業では、世界各国の事務所や事業所などを結んで、電話会議をするそうです。当然、英語でです。身振り手振りができない電話会議は、英語での高いコミュニケーション能力が必要なのだそうです。英語が苦手な者にとっては、グローバル化はなかなかつらい環境で仕事をすることになりそうです。何とかしないと‥‥。

 イノベーションはまずコミュニケーションありきです。専門家同士が互いに最善案を提示し、その融合の中から最適解が生まれるからです。話せてなんぼなのです。