何十年振りかで在来線の特急に:
昨24日は予定外の帰京となって、JR中央本線の小淵沢駅から特急あずさ22号で新宿に向かった。乗ってから気が付いたのだが、この前の何時頃に在来線の特急を利用したかの記憶がなかった程間が空いていたのだった。そして、富士山を南側に見て走った経験もなかったことにも気が付いた。
また、小淵沢の駅ではみどりの窓口ではなく、所謂「タッチパネル」の券売機で急行券を買う仕組みになっていたのも、時代の変化というかITC化の波がここにも及んでいたと思い知らされた。駅の事務室の中には駅員は1名しかいなかったと見た。
小淵沢の次の停車駅が韮崎と知って思い出したことがあった。それは、昭和22年9月に韮崎中学(現在は高校)の創立25周年記念で近県招待蹴球大会が開催され、湘南中学が参加して中学3年だった不肖私も補欠選手として韮崎にやって来ていたことだった。流石に試合の経過の記憶はないが、我が湘南中学が優勝したことはちゃんと覚えていた。その懐かしき韮崎市を75年振りに通過したのだった。
21日に山梨県北杜市の言わば八ヶ岳の山麓で海抜約1,200mのホテルにチェックインしたのだったが、その晩から大雪が降って外は一面の雪景色で、私には滅多に見ることが出来ない枯れ枝に雪が積もった景色を楽しむことも出来た。列車の窓から見た家々の屋根には雨樋が見えなかったのは、あの辺りも豪雪地帯かなと思って通り過ぎた。
あずさ22号は当然ながら八王子市と立川市を通るのだが、89歳の記憶ではこの近代化された町並みを車窓からでも見たのは初めてだった。では、昭和22年にはどうやって韮崎に遠征したのだろうかと考えていた。
この沿線には未だ殆ど高層建築が林立する景色が見られないのには、何となくホッとする感じがあったのは何故だろう。しかも新宿に近くなっても他の首都圏の鉄道沿線のように谷底を走っているかのようには感じられなかった。と言うことは、未だ開発の余地があるという意味かとも考えていた。車内販売は男性が回っているのも興味ある現象で、クレデイットカード払いが出来るのも面白かった。
ここで、矢張り英語の話に触れておこう。それは大分走ってから気が付いたことで、車内放送が私は何度も何度も「国辱的」と批判してきたクリステル・チアキさんではなかったと気が付いたのだった。その女性の発音はかなりクイーンズ・イングリッシュ寄りだったのだが、「アレッ」と思わせる明らかなAmerican Englishの発音があったのだ。細かいことを言えば「車内で携帯電話を使う時はデッキに出て」という時に“mobile phone”を「モブルフォーン」と発音していたのだった。これはアメリカ式で、英連邦式では「モーバイルフォーン」であるのだ。
細かい揚げ足を取る奴だと言われそうだが、この点とtoやforのような前置詞やandのような接続詞にもアクセントを付けてしまっていることを除けば、クリステル・チアキよりはずっと好感を持てる英語だったので少し安心したと同時に、JRは何故この女性を使うことに踏み切ったのならば、何故山手線等の車内放送も切り替えないのかなと思って聞いていた。
そんな余計な事に気を遣っている間に、無事に列車は新宿駅に到着して2時間足らずの在来線の特急の快適な旅が終わったのだった。「何、英語のことが言いたかっただけじゃないのか」と言われるのか。答えは「Yes and no.」でした。
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