新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が代表が何とかW杯出場まで漕ぎ着けた

2022-03-25 09:20:14 | コラム
先ずは結構なことだった:

実は、YM氏と八ヶ岳の山麓に滞在の2日目の朝に思いがけない事故が発生して滞在を打ち切って昨24日に帰宅したところ、取り上げたい材料が山積していた。それで何処から手を付けて良いかと迷っている次第。そこで、放映権料の高騰で地上波の中継がなかったW杯サッカーの最終予選で、我が代表がオーストラリアに勝利して出場を決定した試合から。勝ったのは大変良かったと思う。その行く末を案じていたので先ずは一安心だった。

一昨日から新聞も読める余裕もない状況にあったので、地上波の中継がない事すら知らなかった。そこでNHKの9時のニュースがスポーツを取り上げる9時45分まで辛抱して待っていた。何と、NHKは相撲の前に取り上げて勝利を報じたのは意外だった。後半の終了間際に途中出場の三苫がゴールラインギリギリの右から山根が斜め後ろに戻したパス(センタリングと言えるか)を右足で原則通りに決めて、ほぼ勝利が決まったように見えた。

実は、私はマスコミ報道では吉田麻也は復帰していても富安と酒井宏樹が不在で、彼等が大黒柱のように言う大迫も欠場では不安であると報じていたのを疑問視していた。その理由には先ず大迫君は何度も指摘したようにポイントゲッターでも大黒柱でもなく、中盤のつなぎ役程度だと低評価していることを採り上げたかった。問題点は彼の代役として名前が挙がっている者全てが「帯に短く襷にも短いこと」だった。

そして、彼等が指名しなかった三苫が2点も取って試合を決めたのだった。その辺りを清雲氏が産経紙上で「ベンチワーク」と褒めたが、ニュースしか見ていない私には苦肉の策で一か八かでの起用かと見えたが、俗な言い方をすれば「結果オーライ」である。ここでカタカナ語の批判をしておくと「ベンチワーク」とは作業をする土台のことで「ベンチの作戦か采配」の意味などない。こんなカタカナ語を堂々と使うとは恥知らずだ。

次なる勝因は(推量だが)オーストラリアの監督のテイーム作り、乃至は戦術の変更に対する疑問だ。嘗てのオーストラリア代表のサッカーはと言えば「オーストラリアンフットボール」というラグビーよりも遙かに厳しく当たり合う競技の経験者が多かったようで、その特色を大袈裟に言えば「肉弾相打つ猛烈な当たり方」が特徴だった。特に私の記憶にある激しい当たり合いを見せたのが、2015年のアジア選手権の決勝で韓国と徹底的にぶつかりあった試合だった。その凄まじさを入院中のベッドで見ていて、言葉も出ないほど驚かされていた。

ところが、数年前に監督を替えてからは、何を思ったのか我が国のサッカー選手たちも遠く及ばないような責任逃れ的な細かいパス回しサッカーに方針変更したのだった。しかしながら、その結果は一向に実を結ばずに中途半端な質になっていた。我が方とのホームでの一戦でも未だ前途多難と思わせてくれた正体不明のサッカーだったのだ。それが短期間に我が方を凌駕する次元には達してはいないだろうと読んでいた。試合の全部を見ていないので何とも言えないが、富安も酒井もいない我が方の守りを突破できなかった程度に終わったのだろうと察している。

当方は森保監督をさほど評価していないが、あの苦境からここまで持ってきた努力には敬意を表しておくべきだと思う。妙な言い方をお許し願えば、私は森保一氏のあの喜怒哀楽が殆ど表情に出てこない為に、どちらかと言えば暗さを感じさせているのではないかと思っている。そして、昨日は堂安を代表から落とし、久保建英を使わずに勝ちきってしまった辺りは「自分の信念を変えない頑固さ」もあるのかと思っている。この代表テイームの最大の弱点は「決定力があるFWを育ててこなかったこと」以外にないと思う。監督自身はFWではなかったのでは。



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