新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

何故言葉を縮めてしまうのか

2020-06-17 09:43:33 | コラム
株式会社コロナに思う:

私はこういう社名の冷暖房器具製造の会社があるとは承知していた。今回、同社の社長がその社名が従業員とその家族に負の影響を与えはしないかと配慮して、子供にも読めるようなかな文字の新聞広告を出したと報道で知らされた。そこで先ずWikipediaで確認すると、英文表記が“CORONA CORPORATION”となっていた。言うなれば、将にそのものズバリだった。確かに、現在の所ではマスメデイアも一般人も皆挙って「新型コロナウイルス」(COVID-19)を「コロナ」と呼ぶし、新聞記事もそうなっていれば、何処かの都知事は“With Corona”という意味不明な造語を発表された。

私は生来なのか、それとも何時かの時点からそうなったのか記憶も定かではないが、極めて言葉の使い方というか使われ方を気にするし、自分なりの基準を設けてそれに拘泥している。例えば、お気付きの方もおられると良いのだが、絶対に「米国」とは言わない。これは「そもそもの漢字を使っての表記が亜米利加だったのにも拘わらず、頭の亜を採らずに2番目の米の字を採用した事が理に叶っていない」と思っているからだ。訳語でも“United Nations”の「国際連合」も認める気がしない。何かに阿っている根性が気に入らないからだ。

そこで「コロナ」である。これはマスコミ独特の手法である「頭の部分を採って略称にしてしまう」にも沿っていない点を、認める訳にはいかないのだ。彼らの常套手段の下らない例を挙げておこう。嘗ては「インフルエンザ」を「流行性感冒」と訳し、略称を「流感」としていた。だが、当用漢字がどうかしたか知らないが、彼等は多くの国民を学がないと過小評価したのか漢字を止めて「インフルエンザ」の前半分を採って「インフル」にしてしまった。私は「インフルエンスが俺をどうしてくれる」と怒っていると揶揄した。何でも短縮したがるのだ。その例はほかにも無数にある。

私は「新型コロナウイルス」を「コロナ」に短縮するのは納得がいかないのだ。この圧縮形を最初に聞いたのはテレ朝だったかで、石原良純が使ったときだった。正直に「アレッ」と思ったが、意味は取れた。この場合は「新型」が排除されてウイルスの悪さとは何ら直接の関連がない太陽の「光環」か「光冠」を意味する“Corona”で代用してしまったのだ。私の個人的な意見では、最悪でも「ウイルス」か「新型ウイルス」辺りが適切だということになる。

だが、甚だ遺憾ながらこの新型の略称はカタカナ語同様にに既に日本語しての戸籍を得てしまったので、今や「コロナ」と聞かされて「光環」と思う人はいないだろう。得意の英語論にも手を伸ばせば、あれ以来何度もアメリカ側の知人や元同僚とも交信しているが、COVID-19の意味で“Corona”という表現を使っていた人はいなかった。これをおかしいとも間違いではないかと思っているのは、私だけなのだろうか。私は言葉は正確に使うべきだと固く信じているので「新型コロナウイルス」を「コロナ」で代用してしまう神経は理解できないのだ。

東京都では再選を目指して小池百合子さんが出て下さるそうだが、それならばその運動を開始される前に、“With Corona”等という奇妙な言葉遣いを廃止してからにして頂きたい。外国人が聞いたら何と思うかとはお考えにならなかったのか。“We have to live with the new kind of the Coronavirus from now on.”辺りが正常な英語だと思うが、如何なものだろう。



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