我思う、故に我あり:
何でこんなフランスの哲学者・デカルトが残した有名な一節を取り上げるのかだが、恥ずかしながら大学1年生の必須科目の中で最大の難関で辛うじて単位が取れたのがこの哲学と宗教学だったのだ。その哲学の中で何故だか覚えていたのが“Cogito ergo sum”だったということなのだ。そこで「何故かな」と近頃疑問に感じている事柄を取り上げていこう。
MBA:
「job型雇用」も含めても良いだろう。新聞やテレビや雑誌等の出版物を見ていると、我が国の政治家、経営者、評論家、ジャーナリスト等の方々にはアメリカのハーバードを始めとする有名私立大学のビジネススクールでMBA(経営学修士)等の修士の取得者が多いのだ。例を挙げてみると、林芳正外相、茂木敏充自民党幹事長はハーバード大学の修士だ。週刊新潮に佐藤優氏との対談が掲載されていた日本交通会長の川鍋一朗氏は、我が国には余り馴染みがないハーバードと並び称されるノースウエスタン大学のMBAだという具合だ。
先日も「job型雇用」を取り上げて論じたことで、我が国とは全く異なる制度乃至は仕組みで運営されているアメリカの企業社会に通用する学歴を、我が国に持ち込むことで目覚ましい効果が挙がるのかと少し疑問に感じている。今やアメリカの一流私立大学の大学院(としておくが)では1990年代では、年間の学費は円換算で優に1.000万円に達していたし、今や1,500万円とも聞いている。簡単に言えば「そういう出費を厭わない富裕な家庭の子弟の大学院」なのだ。
MBAの場合にはその学歴を以て新卒でもいきなり管理職という事にもなれば、近い将来の幹部というかOfficerが約束されているという事にもなる。それだけではなく、あの競争社会にあっては大手企業で生き残って昇進していく為には、MBAは必要最低限の手段(彼ら風に言えばammunition辺りか)であるとも言われている。
これまでに繰り返して指摘して来たことで、アメリカの会社では「4年制大学の新卒者を定期採用することはなく、入社年次に従って段階的に昇進する制度もない、剥き出しの競争社会である」のだ。ある日突然に有名私立大学の修士号を引っ提げた若手が日本で言う部長職に就任することもあれば、他社から転入してきた若者がいきなり事業部長となり独自の方針で事業を運営したりするのだ。忘れてならないことは「ビジネススクールに入学する前には4年間の事務経験が求められている」ということ。4年制大学の新卒者は受け入れなくなっているのだ。
私は上記のように最短でも4年間の実務経験を積んだ者たちが、アメリカ式の最新の経営学を学んで大手企業に入ってくるアメリカの企業社会の仕組みとは大いに異なる、未だに「年功序列やそのシステムに基づいた給与の制度があり、段階的昇進の制度がある我が国の企業社会に持ち込んで、何処までの効果を発揮できるのか」と思っている。ハーバードでも何処でも、MBAを取得時の年齢は最少でも28歳。その若者を我が国の会社で直ちに課長に任じられるのだろうか。何年間かはMBAを塩漬けにしてしまうのではないのか。勿体なくはないか。
例外的には、私が生涯の最良の上司と呼ぶ我が事業部の副社長兼事業部長のように、アメリカでは私立大学よりも評価が低い州立大学の4年制の出身者で、工場の会計係に地方採用されたという、言わば最も将来有望ではない地位から、その類い希なる才能を買われて滅多にないことで本社機構に中途入社して、遅ればせながら39歳で事業部長に抜擢されたという例も、あるにはある。
偏ったマスコミ報道:
先月だったか、永年親しくしてきた商社マンと語り合った。その時に話題となったことの一つに「マスコミの取材能力」があった。彼は勿論と言うべきか何と言うか海外駐在経験者である。彼が言うには言葉の問題もあって、英語が公用語ではない国に駐在した場合に、現地での取材というか情報収集には現地の新聞(英字?)も便りにせねばならない事が間々あるのだそうだ。また直接に取材しても現地人の社員の(完璧かどうか不安もある)通訳に依存することになる。従って止むを得ず、現地の新聞を翻訳して本部に送っている例があるのは否定できないのだそうだ・
実は、私も外資の日本乃至は東京事務所にも、毎日せっせと大手新聞の経済欄と業界誌と業界新聞の然るべき記事を訳して送っている人もおられるという話は聞いている。商社マンが言うのは、私も同意見だったが心は「それが情報か」ということ。「言葉の壁」という言い方もあるだろう。例えばアメリカの場合でも我が国の学校教育で鍛え上げた英語力を駆使して、政界、官界、財界に深く食い込んで微妙なところまで取材できる駐在員(特派員)が何人いるのかという疑問だ。
このような視点に立つと、現在のロシアによるウクライナ侵攻の現状を、ハナから危険を冒してでも現場に入り込んで英語で言う“first hand“で取材した記事を送っている大手新聞やテレビ局の人がどれほどいたのかという点を取り上げたい。その点は既に宮嶋茂樹という写真報道のジャーナリストが皮肉っていた。テレビに登場して高尚な見解を述べておられる専門家の先生方も現地におられる訳でもないようだ。
それよりも何よりも私が疑問に思うことがある。それはテレビを見ても新聞を読んでも、現在のウクライナ動乱の現状は「ロシア対アメリカとNATO(ネイトウだが)の争い」の図式のように報じられている点だ。換言すれば「孤立したロシアという悪に対して全世界の性善なる諸国が対峙している」との形でしか報じられていない気がしてならないのだ。UNの人権委員会だったからロシアを追放する決を採った時に、賛成よりも反対の方が多かったという重大な点には重きを置いた報道がなかった。インドがどっちを向いているのか疑問な点も強調されていない。
Putinが最初から意図したことなのか、派生してしまった形なのか、今や完全に近いと言って良いほど「自由主義と民主市議陣営対ロシアと中国の圧力下にある諸国」に二分されてしまったのではないのだろうか。その悪影響の一旦が我が国に於ける多くの末端製品と非耐久消費財の値上げをもたらしたエネルギーの高騰である。
都内のある銭湯では燃料代が3倍に膨れ上がっただけではなく、輸入木材の高騰で劣化したサウナの内装を修繕できないので、最早廃業への道をまっしぐらと店主が慨嘆していた。家庭向けの電気とガス料金の値上げも止まらない。私は何も彼らに市民を脅かせというのではないが、朝から晩までウクライナ情勢を報道する暇があれば、より正確に世界の情勢と物価が値上がりすれども給与は上がらないだろうという実態を分かりやすく報道して欲しいし、「反撃能力」をも未だに憲法を盾にして反対する野党を真っ向から批判して欲しいのだ。
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