「責任」の基準は何処にあるのか:
昭和一桁生まれの私には11月3日となると、矢張り明治節だと思ってしまう。念の為に触れておけば「明治天皇の誕生日」を祝う日だった。古いか?
個人的には、この「責任」という言葉は野党とマスコミの連合軍が何かと言えば採り上げて政権と与党の非難と攻撃に使いたがるので、良い印象がないのだ。だが、今回は先頃の選挙の結果で惨敗して(「惨敗した」と表現するマスメディアが多い)「敗軍の将」となってしまった枝野幸男立憲民主党代表の責任が追及され始めた。彼は選挙の結果が判明した直後には責任については何も言わなかった。私は自民党の甘利明前幹事長が比例で救われたとほぼ同時に引責辞任を言い出したのと好対照だったので、厚顔無恥とまで言って非難した。
そこで、今回は「責任問題」とされた各党の「失った議席数」をパーセンテージで比較してみた。自由民主党は276から261で勝利とされたが、減少率は5.5%、枝野立憲民主党は14.3%、志位委員長も穀田国対委員長も「責任なし」とした共産党に至っては16.7%だった。減らしてしまったことで責任を問われるのだったら、岸田文雄氏も枝野幸男氏も志位和夫氏も、皆揃って辞任しなければならないと思う。
普段は某某新聞社と共に時の政権を何のかんのと言って非難し攻撃し続ける野党も、5.5%もの議席を落とした岸田総理総裁も自由民主党を貶すことなく安定多数を確保した勝利と褒め称えないまでも、シレッとして「勝った、勝った」報道一色だった。片手落ちではないのか。それだけではなく、彼らは最大の減少幅となった共産党を批判しなかった、中国共産党を真っ向から批判したがらないのと同様に。
その点では昨夜のPrime Newsで飽くまでも「責任無し」と強弁した志位和夫委員長を徹底して掩護した共産党の穀田恵二国対委員長の語り口には、彼ら独得の凄みと恐ろしさを感じさせられた。普通の感覚を持つ人ならば、こんな態度に出る共産党と組んだ枝野幸男を選挙区で落とさなかったまでも、比例区で立憲民主党とは書かないのが自然ではないかと思わせられた。
また、偉そうに事前に自由民主党は30~50議席を落とすと予想して見せた政治評論家やジャーナリストたちも、責任を取って引退したら如何か。田崎史郎氏と久江雅彦氏はPrime Newsでは「恥じて」はいたが、辞めるとは言わなかった。言いたい事は「多くの有権者は(生涯?)候補者と接触する機会もなく、マスコミ論調や精々選挙公報で判断する場合が多い」のではないのかな。さもなければ、地方に見られると聞く現象で「おらが村の先生」を推しているだけなのではなかろうか。問題は「マスメディアは信頼に値するのか」にもあると思う。
昭和一桁生まれの私には11月3日となると、矢張り明治節だと思ってしまう。念の為に触れておけば「明治天皇の誕生日」を祝う日だった。古いか?
個人的には、この「責任」という言葉は野党とマスコミの連合軍が何かと言えば採り上げて政権と与党の非難と攻撃に使いたがるので、良い印象がないのだ。だが、今回は先頃の選挙の結果で惨敗して(「惨敗した」と表現するマスメディアが多い)「敗軍の将」となってしまった枝野幸男立憲民主党代表の責任が追及され始めた。彼は選挙の結果が判明した直後には責任については何も言わなかった。私は自民党の甘利明前幹事長が比例で救われたとほぼ同時に引責辞任を言い出したのと好対照だったので、厚顔無恥とまで言って非難した。
そこで、今回は「責任問題」とされた各党の「失った議席数」をパーセンテージで比較してみた。自由民主党は276から261で勝利とされたが、減少率は5.5%、枝野立憲民主党は14.3%、志位委員長も穀田国対委員長も「責任なし」とした共産党に至っては16.7%だった。減らしてしまったことで責任を問われるのだったら、岸田文雄氏も枝野幸男氏も志位和夫氏も、皆揃って辞任しなければならないと思う。
普段は某某新聞社と共に時の政権を何のかんのと言って非難し攻撃し続ける野党も、5.5%もの議席を落とした岸田総理総裁も自由民主党を貶すことなく安定多数を確保した勝利と褒め称えないまでも、シレッとして「勝った、勝った」報道一色だった。片手落ちではないのか。それだけではなく、彼らは最大の減少幅となった共産党を批判しなかった、中国共産党を真っ向から批判したがらないのと同様に。
その点では昨夜のPrime Newsで飽くまでも「責任無し」と強弁した志位和夫委員長を徹底して掩護した共産党の穀田恵二国対委員長の語り口には、彼ら独得の凄みと恐ろしさを感じさせられた。普通の感覚を持つ人ならば、こんな態度に出る共産党と組んだ枝野幸男を選挙区で落とさなかったまでも、比例区で立憲民主党とは書かないのが自然ではないかと思わせられた。
また、偉そうに事前に自由民主党は30~50議席を落とすと予想して見せた政治評論家やジャーナリストたちも、責任を取って引退したら如何か。田崎史郎氏と久江雅彦氏はPrime Newsでは「恥じて」はいたが、辞めるとは言わなかった。言いたい事は「多くの有権者は(生涯?)候補者と接触する機会もなく、マスコミ論調や精々選挙公報で判断する場合が多い」のではないのかな。さもなければ、地方に見られると聞く現象で「おらが村の先生」を推しているだけなのではなかろうか。問題は「マスメディアは信頼に値するのか」にもあると思う。
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