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書評『「地方ならお金がなくても幸せでしょ」とか言うな!』(阿部真大・著)

2019-02-04 14:22:07 | 読書
 「地方ならお金がなくても幸せでしょ」というような考え方は多くの人が持っている。しかし筆者はこれは事実ではなく、単なる都会の人の「おしつけ地方論」なのだ論じている。おもしろい論考である。納得させられるところも多い。しかし筆者の主張に疑問を感じるところも多い。また、筆者の主張は論理が飛躍しているようにも感じられる。

 第一章に書かれている筆者の主張を見てみよう。

 「マイルドヤンキー」という言葉がある。「マイルドヤンキー」とは、「地方都市に住み、地元が大好きで人間関係を大切にし、独特の消費文化を育んでいる若者」のことだという。私にとっては初めて聞く言葉であるが、「流行語にもなった」と説明しているので、多くの人が知っている言葉なのだろう。この「マイルドヤンキー」は「定収入ながら『幸せだ』と強調する言説」が「社会に受け入れられている」そうである。この言説は私が地方に住んでいる実感とも一致するので、私自身も納得できるものである。

 しかし筆者はこの言説にふたつの問題点があるという。ひとつ目は「彼ら(マイルドヤンキーと呼ばれる人たち)の言葉を文字通り受け取ってはいけないという点」だという。なぜなら「人はウソをつく。『幸せだ』とことさら強調する人ほど、その背後に幸せでない状況を抱えているもの」だからだと筆者は言う。ふたつ目は、「彼らの言葉が仮に本当のことであったとしても、幸せな若者たちの姿が強調されることで、そうは思わない若者の存在がかき消されていくという点」だと言う。筆者のあげたふたつ目の問題点について、筆者は「表象の暴力」と呼び、都会の人間が考える幻想であり、それを地方に押し付けていると主張する。

 私はこの主張に納得できない。筆者の言うことはすべて理解できないというわけではないが、揚げ足取りのような気がしてならないのである。確かに地方に暮らしていれば不満はでてくる。たくさんの不満を抱えながら生活している。しかしそれは都会で暮らしていても同じなのではあるまいか。一部の不満だけを取り上げて、地方で暮らしていることを『幸せだ』と語る地方の人をウソだと言い切る筆者こそが「押し付け」なのではないか。そもそも筆者の言説はどれもが根拠が薄い。さまざまな題材を取り上げ、それを根拠に論を展開しているが、都合のいいものを取り上げているように感じられる。実はその逆もなりたちそうなものばかりなのである。もっと地道なフィールドワークを重ねて事実を積み上げてその上で、しっかりとした論考をすべきである。

 筆者はこの本の目的を「地方に対する支配的な見方(おしつけ地方論)を提示する→それに対して、地方に対する別の見方(対抗表象)を提示することを繰り返し、多面的な地方のとらえ方を知っていただく」と説明している。そこからはあなたたちが考えなさいということだ。いろいろな見方があるけれど、こうも言えるようという程度のことを言ったにすぎないということを筆者自身が認めているということであろう。100ある事例のうち2,3の反例を上げてだからすべて間違っていると言っているだけだ。粋がってケンカを売ったが、はったりにすぎなかったという印象を受ける。

 批判ばかりのような文章になってしまったが、さまざまな点で鋭い指摘がなされ、地方の未来、そして日本の未来を考えるうえで参考になることが詰まっている。この本を読むことによって得ることは多い。

 私は地方に住んでいながら、生まれ育った土地ではない土地で生活しているので疎外感を感じることがある。その原因が見つかったような気がする。
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