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今村夏子作『むらさきのスカートの女』を読みました。近代小説の大きな特徴である「語り手」の存在が前面に出てくる二重構造の小説です。その構造が不思議な世界をつくりあげます。
語り手はだれなのでしょう。主人公と思われる「むらさきのスカートの女」は確かに変わった人です。しかしすぐにその「むらさきのスカートの女」に、ストーカーのように固執する語り手のほうが異常であることに読者は気がつきます。しかし語り手はそれに気が付いていないようです。
読者は「語り手」を観察し始めます。しかしその「語り手」の書いていることは本当に信じていいのでしょうか。どうもあやしい。同じ職場にいながらこんなに「むらさきのスカートの女」に近づけるはずがありません。それなのに無理な行動がさも普通の行動のように語られるのです。だんだん「語り手」が信じられる存在なのかもあやしくなってきます。
このテクニカルな小説が本当に小説として優れているのかは私にはすぐにはわかりません。芥川賞に値するほどのものなのかは、他の小説も読んでみることによって見えてきそうです。今、私が考えているテーマに大きなヒントを与えてくれる小説であることは確かです。
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