大江健三郎作『狩猟で暮したわれらの先祖』を読みました。これは1969年に出版された『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(新潮社)に収められている比較的初期の中編小説です。
「僕」は三人暮らしです。妻と息子がいます。暮らしている街に6人の家族がやってきます。「普通」とは違う家族です。彼らはその街に住み着きます。「僕」かつて「山の人」と呼ばれている山間地で流浪する一族を差別していました。6人の家族がその「山の人」ではないかと恐れます。自分に復讐しにきたのではないかと。
町の住民たちも、6人組の家族を警戒します。そして異質な存在として接します。住民と家族は奇妙な関係を保ちながらしばらく街に一緒に生活します。
「僕」もその家族を警戒しながらも、なぜかひかれていきます。おそらくそれは彼らが自分にはない「自由」を持っているからです。共同体から自由なのです。しかし結局それは彼らを疎外していくのです。
住民の常識が正しいのか、その家族の常識が正しいのか混とんとしていく中、やはり共同体の論理が勝ちます。どの世界でもそうです。共同体は目に見えぬ権力を背景にしているのです。「誰がどうみても共同体のほうが正しい。」そう思わせる権力を「共同体」は持っているのです。
「国家」とは何なのかを突き付けてくる作品でした。
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