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村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』を何十年かぶりに再読した。最初に読んだときは嫌な小説だと思っていたが、今回はとてもおもしろく読むことができた。小説としての工夫がたくさんあり、前向きな小説であることに気づくことができたからだ。
最初に読んだのは30年以上も前である。この本は出版されたのは1979年。まだ私は高校生だった。高校生のころは一番本を読まなかった。新聞の広告に大きく出ていたような記憶があるが、その時はもちろん読まなかった。大学に入ってから、『羊をめぐる冒険』がベストセラーになり、それは読んだ。そこからさかのぼるように『風の歌を聴け』も読んだのだった。その時の印象はよくなかった。当時は最後に一言付け加えるような書き方が揚げ足取りのようにしか思えなく、とてもいやな小説だと思っていた。「もっと真正面から戦えよ。」と言ってしまいたくなる小説だったのだ。
しかし今になって再読してみると、すべてが計算された小説だと気づいた。揚げ足取りのような書き方は、今読み返してみると当時の時代の雰囲気をよく表していたことがわかる。当時の社会は無気力な若者が蔓延し、みんな生き方が見えなかった。しかしこの小説の登場人物は一見斜に構えていながら、心の奥底ではゆっくりと必死にもがいている。そのもがき方がいたいたしくいじらしい。彼らは実は真正面から「希望」に向かっている。ある意味「青臭い」小説だ。この青臭さがいい。
「鼠」と「小指のない女」の関係も微妙ににおわせているのもおもしろい。この小説に登場する人物はすべてがつながっているような気がする。しかしそのつながりは緩いので、新たなゆる可能性を生み出していく。記号化された関係が、開かれたつながりを構成し、世界が広がっていくのである。
この年になってやっとこの小説が評価された理由がわかったような気がする。年を取ることもいいことなんだと思えた。
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