9月3日
午前3時ごろ深夜テレビをつけると、
森村誠一の奥の細道考の番組をやっていた、
ちょうど、親知らずを通り、市振に泊まる場面で、
タイトルの句である。
俳句は写生のように情景を描き出すというが、
この句もすごい、
普通はひとつ家と遊女ぐらいで充分なのに、
萩、月まで登場させているのに、
無理なく情景が浮かんでくる。
森村氏は芭蕉はこのとき遊女を買ったに違いない、
と言っていたがそうだと思う、
ソラもこのことについては一言も言っていないそうだし、
自分が一人で寝ている、階下では遊女の気配がほのかに、
ではなく、当事者の力づよい生き方が出ているではないか、
このとき芭蕉は46歳であったそうだ。
9月4日
特急電車はくたかは親知らず海岸を通った、
目を凝らしてみても海が見えるのは一瞬、
北陸高速が、大きな弧を描いて横切っている、
でもこれを見るのもいまだけ、
新幹線はもっと山側を長大なトンネルで抜けている、
新幹線の防音壁がとても高く出来ているから、
景色のほうは保障できないなあ。
午前3時ごろ深夜テレビをつけると、
森村誠一の奥の細道考の番組をやっていた、
ちょうど、親知らずを通り、市振に泊まる場面で、
タイトルの句である。
俳句は写生のように情景を描き出すというが、
この句もすごい、
普通はひとつ家と遊女ぐらいで充分なのに、
萩、月まで登場させているのに、
無理なく情景が浮かんでくる。
森村氏は芭蕉はこのとき遊女を買ったに違いない、
と言っていたがそうだと思う、
ソラもこのことについては一言も言っていないそうだし、
自分が一人で寝ている、階下では遊女の気配がほのかに、
ではなく、当事者の力づよい生き方が出ているではないか、
このとき芭蕉は46歳であったそうだ。
9月4日
特急電車はくたかは親知らず海岸を通った、
目を凝らしてみても海が見えるのは一瞬、
北陸高速が、大きな弧を描いて横切っている、
でもこれを見るのもいまだけ、
新幹線はもっと山側を長大なトンネルで抜けている、
新幹線の防音壁がとても高く出来ているから、
景色のほうは保障できないなあ。