おりつ11月3日
前から気になっていた城址に行ってみた、京王線の平山城址駅降りてみておどろいた、食べ物やが一軒もない、それどころかコンビにも、飲み物の自動販売機も、そうだ、公園に近づいたらあるかもしれない、それにしても駅前にはガラス張りで立派な図書館があるのだ、司書に聞くと北野街道を左に行くと大きな蕎麦屋があるというのでいってみるが、目視できるところでは何もなかった、何も食べず、水も飲まないで~~~~~
標識通り、墓地の横の急坂をのぼって、住宅地に出た、そこの道は行き止まりになっており、迷った挙句にひとつの入り口に着く、ここから公園だ、
この城址は城址というようなあとがひとつもないな(西部分だけど)都立公園というにはとても貧弱である、ここの西に接して長沼公園という広大な都立公園がある、地図を見ると、尾根道を通って通行できないと書いてある、しかし道は書いてあるので、どの道がいけないのかなと考え、いってみると、行き止まり、その次の道は民家にでる、、、と本当にいけないのであった、その民家の中を通り抜けると、道は100メートルほどもあって、どうやら日野市が作った道のようであった、
その道も長沼公園には出ないで、駅に続いていた、この住宅地はものすごい急勾配であった、きっと老人2人の家族が多かろう、その次には老人1人に、それには過酷過ぎる環境だった、コニュニテイバスが、老人を運んでいた、当然だろう、駅に近く、自販機があった、やっと水を飲む、駅に近づくとすし屋、蕎麦屋がある、
蕎麦屋で3時に昼食にありついた、
gugleで、調べてみる、ちょっと長いが引用すると、
「平山城址公園」というくらいだから平山の地が産んだ、源平合戦の勇、平山季重一族、平山氏の城跡と思いきや、物見台程度はあったかもしれないが城跡ではない、いやいやちゃんとお城の遺構があるではないか、と諸説が語られています。
昭和31年に書かれた公園の由来によると、「そもそもは京王電鉄が沿線のレジャー施設として公園を開園した時に、ここに平山氏の物見台があったとのいい伝えがあったので、これにちなんで平山城址公園と名付けた」、とあります。
昭和30(1955)年に京王線平山駅が平山城址公園駅と改名されていて、これはちょうど公園の開園と時が合っています。お城の遺構なる説もここに大正時代ゴルフ場が造られていたことを考え合わせると、もしかしてコースの跡かも、とも思えてしまうのです。
一番初めは京王電鉄が観光客誘致のため駅名に使った程度で城址はない、その後ほって置かれて駅名から分からない観光客をおろしているのは、一種の犯罪のような気がする、もっとも急坂は健康には良かったような気がするけど。