東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

食卓用椅子

2015年11月10日 20時34分37秒 | Weblog
色違いを注文してしまったので、パソコンデスク用にしたのだが、

食卓用の写真を撮ったのでお見せしたい、





私としてはとても気に入っているのだが、家人の評価はぜんぜんダメである、

スタイルがよくてすわり心地がよければよいと思うのだけど。

パソコンに使う椅子

2015年11月09日 10時57分28秒 | Weblog
食事用に使う椅子を買った、ひとつづつかって組み立てられるか調べたんだけど大丈夫だと分かって、残りを注文した、3個のうち一つ間違えて別の色になってしまったので、パソコン用にすることにした、

これが調子よい、パソコンでの評価はよいと、悪い、が半々で悪い方は組み立て方がよく分からないというものだったの、最初の一つでうまく組み立てられるのが分かったので2代目以降は20分くらいで出来た、

高級感もあり、とても気に入った、





いくらぐらいに見える?と聞くと  、2.5万円?  7万円?と言う答えだ、

実際の値段は、69,800いや、 6,980円である、送料が1080円かかるけど仕方がないだろう。


裕次郎さんのお墓

2015年11月06日 21時30分22秒 | Weblog
鶴見総持寺に行ったとき、墓地に裕ちゃんのお墓への行き方が書いてあったので見に行った、






お参りしている人に聞くと、「むこうですよ、人がいっぱいお参りしているからすぐ分かります」とのこと、

わーそのとおりだった、お供えしてあるお花の立派なこと、20人位がお参りしていた、今日は命日でもなんでもないのに、グループのご婦人と男性が一人だった、

その男性のなりを見ると、祐ちゃんのジャンパー(20着ぐらい持っているそうである)キャップ、靴もそれなりなんだろう、   


びっくりしました。





奥さんのお言葉だそうである、






おまけ

変なお墓もある、









総持寺のお墓、ゆったりしていてすばらしかった、

タクシーの変化

2015年11月06日 21時23分19秒 | Weblog



最近こんなタクシーがたくさん走っているのだ、

私もきがつかなかったけれど、何処が変わったかお分かりだろうか?



そう、フェンダーミラーから、ドアミラーに変わったのだ、
タクシーはフェンダーミラーにしなければならない規則でもあったのだろうね、それが、きっと緩和されたのである、こんなどうでもよいことを、お役所がきめていたというのが、ほかにもあるのだろうね。




日中韓会議も終わって

2015年11月05日 09時51分04秒 | Weblog
中国の南シナ海の島嶼埋め立て、軍事化には世界中の国々が怒っている、国際常識を無視して、海上に顔を出している部分を埋め立て領土を作るのは違反だ、

日本では沖縄の普天間基地の移転先辺野古の建設反対に一部の人たちが精を出している、

しかし、スプラトリー諸島に3000メートルの飛行場を作ってしまう中国に対抗するには、ぜひ必要な常識的な工事ではないだろうか、

貴重な珊瑚を踏むとか、ジュゴンを追い出してしまうというが、同じ沖縄でも、那覇空港拡大の埋め立てには、なぜ反対しないのだろうか、珊瑚とジュゴンは同じ程度に存在するはずだ、

もっと言えば、南シナ海の島嶼埋めたてでは、どんな貴重な珊瑚を埋めてしまったか、ジュゴンの聖域を破壊してしまったか分かった者ではない、

普天間基地は危険だ→辺野古移転

という式はずいぶん前に決まっていて、「最低でも県外」とか言う首相がいたが、いまの反対運動はお門違いではないだろうか、「最低でも中国大使館前」で行うべきではないだろうか?




平山城址公園

2015年11月04日 09時53分39秒 | Weblog
おりつ11月3日

前から気になっていた城址に行ってみた、京王線の平山城址駅降りてみておどろいた、食べ物やが一軒もない、それどころかコンビにも、飲み物の自動販売機も、そうだ、公園に近づいたらあるかもしれない、それにしても駅前にはガラス張りで立派な図書館があるのだ、司書に聞くと北野街道を左に行くと大きな蕎麦屋があるというのでいってみるが、目視できるところでは何もなかった、何も食べず、水も飲まないで~~~~~













標識通り、墓地の横の急坂をのぼって、住宅地に出た、そこの道は行き止まりになっており、迷った挙句にひとつの入り口に着く、ここから公園だ、











この城址は城址というようなあとがひとつもないな(西部分だけど)都立公園というにはとても貧弱である、ここの西に接して長沼公園という広大な都立公園がある、地図を見ると、尾根道を通って通行できないと書いてある、しかし道は書いてあるので、どの道がいけないのかなと考え、いってみると、行き止まり、その次の道は民家にでる、、、と本当にいけないのであった、その民家の中を通り抜けると、道は100メートルほどもあって、どうやら日野市が作った道のようであった、


その道も長沼公園には出ないで、駅に続いていた、この住宅地はものすごい急勾配であった、きっと老人2人の家族が多かろう、その次には老人1人に、それには過酷過ぎる環境だった、コニュニテイバスが、老人を運んでいた、当然だろう、駅に近く、自販機があった、やっと水を飲む、駅に近づくとすし屋、蕎麦屋がある、

蕎麦屋で3時に昼食にありついた、







gugleで、調べてみる、ちょっと長いが引用すると、


 「平山城址公園」というくらいだから平山の地が産んだ、源平合戦の勇、平山季重一族、平山氏の城跡と思いきや、物見台程度はあったかもしれないが城跡ではない、いやいやちゃんとお城の遺構があるではないか、と諸説が語られています。

 昭和31年に書かれた公園の由来によると、「そもそもは京王電鉄が沿線のレジャー施設として公園を開園した時に、ここに平山氏の物見台があったとのいい伝えがあったので、これにちなんで平山城址公園と名付けた」、とあります。

 昭和30(1955)年に京王線平山駅が平山城址公園駅と改名されていて、これはちょうど公園の開園と時が合っています。お城の遺構なる説もここに大正時代ゴルフ場が造られていたことを考え合わせると、もしかしてコースの跡かも、とも思えてしまうのです。


一番初めは京王電鉄が観光客誘致のため駅名に使った程度で城址はない、その後ほって置かれて駅名から分からない観光客をおろしているのは、一種の犯罪のような気がする、もっとも急坂は健康には良かったような気がするけど。