ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

俵原池

2018-04-04 10:55:08 | 愛媛県
2018年3月22日 俵原池
 
俵原池は愛媛県松山市庄の立岩川水系萩原川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地案内板によれば1934年(昭和9年)の西日本大干ばつをきっかけに当時の北條町・正岡村・難波村共同での溜池築造が計画されます。そして1937年(昭和12年)に用水改良工事組合が結成され1942年(昭和17年)に俵原池が完成しました。
その後1995年(平成7年)~2001年(平成13年)にかけて愛媛県の土地改良事業により大規模な改修工事が行われ、管理は俵原池管理組合が行っています。
なおダム便覧の住所は『松山市大字上難波』となっていますがこれは誤りで、池は『松山市庄』にあります。
 
北条市街から県道339号線を北東に向かい、サンセットヒルズカントリークラブの案内板に従って右折、クラブハウス入口をやり過ごして先へ進むと池に到着します。
湖畔には各種記念碑が建てられ、池の由来を知ることができます。
 
記念碑の奥にある石積みの墳墓?
古墳かと思いきや鳥獣慰霊碑でした。
 
天端は車両通行可能。
 
池の下流はゴルフ場
ゴルフコースからだと池を正面から見れそう。
 
総貯水容量は100万立米と溜池としてはかなり大規模。
 
上流面はコンクリートで護岸
右岸に斜樋があります。
 
左岸の横越流式洪水吐
導流壁には石積み?レンガ積み?741風の型枠が施されています。
 
アングルを変えて
前日までの雨で水位が上がり越流しています。
 
トンネル式導流部。
ポータルは扁額付き。
 
左岸上流から。
 
ダム下がゴルフ場になっており下流から堤体を眺めることはできません。
底樋吐口やトンネル式洪水吐の出口も確認したかったのですがダム下へ下りるすべがありませんでした。 
 
2235 俵原池(1274)
ため池コード
愛媛県松山市庄
立岩川水系萩原川
25.5メートル
172メートル
1000千㎥/1000千㎥
俵原池管理組合
1942年

日浦池

2018-04-04 10:09:32 | 愛媛県
2018年3月22日 日浦池
 
日浦池は愛媛県松山市小川谷にある灌漑目的のアースフィルダムで、ダム便覧には1915年(大正4年)に小川谷地区の事業により竣工と記されています。
便覧には位置情報も記載されていましたが、訪問以前はダム便覧フォトアーカイブスへの写真投稿がないため池の実態は不明でした。
今回便覧の位置情報から国土地理院地形図とグーグルの空撮写真を頼りに日浦池とされる池に到達することができました。
松山市街から県道20号を北に進み、小川谷集落で枝道を北に折れます。集落を抜けると離合も困難な隘路が続きようやく日浦池と思しき小さな溜池に到着します。
 
下流から。
池の周りは樹林とミカン畑が続き、日浦池以外にも小さな溜池が多数存在します。
 
ダム便覧やため池データベースでは堤高は16メートルになっていますが、見た目はとても16メートルの高さはありません。
基礎地盤がどこになるか?ですね。
 
左岸の洪水吐
我が家のBMWでは車の転回もやっとのスペース、
 
天端と上流面
池の水は抜かれています。
 
洪水吐導流部。
この下に底樋があります。
 
堤体中央にある階段式の池栓。
水がないので土砂吐まで見えます。
 
右岸から
右が下流で左が池。
 
池は空っぽですが、草の生え具合から灌漑期には貯水されているようです。
 
天端からはわずかに海が見えます。
 
池の詳細について地元の方に伺おうと思いましたが全く人気なし。水利に乏しい地域なのでこんな山の上まで水源を求めていたことは明白です。
 
3663 日浦池(1273)
ため池コード
愛媛県松山市小川谷
DamMaps
粟井川水系
16メートル
21メートル
2千㎥/2千㎥
小川谷地区
1915年

吉藤池

2018-04-04 01:53:07 | 愛媛県
2018年3月22日 吉藤池
 
吉藤池は愛媛県松山市吉藤の久万川水系鴨川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1956年(昭和31年)に土地改良区の事業で竣工と記されており、池の管理は松山市吉藤土地改良区が行っています。
 
ダム下から
基部は谷積みの石の擁壁。
写真には写っていませんが左岸(向かって右手)に洪水吐導流部があります。
堤の両側には桜が植えられていますが、開花にはまだ早かったようです。
 
吉藤池と書かれた扁額付きの樋門。
 
道路は溜池右岸を通りますが、フェンスがあり天端は立ち入り禁止。
竣工記念碑が2基ありますが、さすがにこの距離では読み解くことができません。
これが読めれば池の歴史や由来もわかるのですが。
 
上流面
谷積みの石で護岸されています。
 
左岸の斜樋。
 
同じく左岸の横越流式洪水吐。
 
市街地に近い溜池ということで事故や不法投棄防止のためガードが厳しいのはやむをえません。
でもせめて記念碑の文面が読めればなあ。
 
2248 吉藤池(1272)
ため池コード
愛媛県松山市吉藤
DamMaps
久万川水系鴨川左支流
24.2メートル
100メートル
325千㎥/325千㎥
松山市吉藤土地改良区
1956年

石手川ダム

2018-04-03 15:13:15 | 愛媛県
2018年3月22日 石手川ダム 
 
石手川ダムは愛媛県松山市宿の町の重信川水系石手川上流部にある国交省四国地方整備局が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
特定多目的ダム法により建設された多目的ダムで、石手川の洪水調節、松山市への上水道用水の供給、松山市北部樹園地への灌漑及び防除用水の供給を目的として、1972年(昭和47年)に竣工しました。
とりわけ上水道用水については松山市の上水道需要の約半分を賄っており、文字通り『松山の水がめ』となっています。
 
石手川ダムは国道317号線沿いにあり、奥道後温泉から北東に進むとダムに到着します。
今回はまず石手川沿いの旧道からダム下へと向かいました。
ホロージェットバルブによる利水放流が行われ大量の水しぶきが舞っており、ほんの数分撮影していたにもかかわらずずぶぬれになってしまいました。
 
非常用洪水吐としてクレストに2門のラジアルゲート、常用洪水吐としてコンジットに高圧ラジアルゲート、さらに利水放流設備としてホロージェットバルブを備えています。
右手の目盛のような白線は補修の足場跡です。
 
左岸に管理事務所があります。
 
フーチングが下に向かうにつれどんどん巨大化します。
一方堤体は左岸側がやや湾曲。
 
右岸国道沿いに駐車場とトイレが設置され展望台もあります。
手前の円形の建物は取水設備、2門のラジアルゲートの間にコンジットの予備コースターゲートがあります。
下流面は年代相応にコンクリートが黒ずんでいますが、上流面は漂白したみたいにきれい。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
天端は車両通行可能。
 
導流部と減勢工
松山市向けの上水道用水を供給するため常時この放流が行われています。
副ダムの先の建物は石手川北部揚水機場でここから松山市北部の果樹園へに向けて灌漑用水をポンプアップします。
 
下流面
堤体は左岸で湾曲しており広角で撮るとなんだか重力式アーチのような格好に・・・。
 
上流からゲートを遠望。
 
石手川ダム完成後も松山市の上水道事情は改善せず度々取水制限が行われています。
西条新居浜地域からの導水や、面河ダムからの導水、さらには南予からの導水などが検討されましたが、いずれもコスト面や相手地域の反対などから実現には至っていません。
 
追記
石手川ダムには430万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに755万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2264 石手川ダム(1271
愛媛県松山市宿野町
重信川水系石手川
FAW
87メートル
277.7メートル
12800千㎥/10600千㎥
国交省四国地方整備局
1972年
◎治水協定が締結されたダム

横谷調整池

2018-04-03 14:16:26 | 愛媛県
2018年3月22日 横谷調整池
 
横谷調整池は愛媛県松山市食場町の重信川水系石手川左支流横谷川にある灌漑目的のロックフィルダムです。 
愛媛県の道前・道後両平野に仁淀川水系面河ダムから流域変更による導水を行う『道前道後平野農業水利事業』の一環として1967年(昭和42年)に建設された農業用調整池です。
管理は道後平野土地改良区が受託し、面河ダムを水源とする道後北部幹線用水路からの補給を受け、需給ギャップの緩和や水不足の際のバックアップとなっています。
 
道前道後平野農業水利事業概要図(農水省HPより)
 
横谷調整池は松山市湯山の国道317号線と松山市平井町を結ぶ農免道路沿いにあります。
ダム下から。
型式はロックフィルですが芝が張られ見た目はアースダム、
右岸に取水設備からの底樋、左岸に洪水吐導流部があり前日までの雨を受けて激しく越流していました。
 
農免道路沿いに管理所への入口があり道前道後平野農業水利事業の説明板が置かれています。
 
管理事務所や天端への管理道路は立ち入り禁止。
 
農免道路から
上流面はロックフィルダムで護岸。
 
管理所は取水設備操作室を兼ねており斜樋のシャフトが突き出ています。
 
洪水吐は横越流式。
 
追記
横谷調整池は洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに20万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2260 横谷調整池(1270
愛媛県松山市食場町
重信川水系横谷川
31メートル
74.4メートル
502千㎥/454千㎥
道後平野土地改良区
1967年
◎治水協定が締結されたダム

逆瀬池

2018-04-03 12:35:20 | 愛媛県
2018年3月22日 逆瀬池
 
逆瀬池は愛媛県松山市平井町の重信川水系小野川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムで管理は松山市梅本地区土地改良区が行っています。
現地竣工記念碑によれば1924年(大正13年)に築造されるも、1946年(昭和21年)の南海地震で伏樋(底樋)が損傷、12年後の1956年(昭和31年)にようやく修復が成りました。
その後老朽化により漏水が多くなったため1999年(平成11年)から2003年(平成15年)にかけて愛媛県の溜池等整備事業による改修が行われ現在に至っています。
なおダム便覧では『逆瀬池』となっていますが、樋門の扁額には『坂瀬池』、改修記念碑では『逆谷池』となっており名称はまちまち。ここではダム便覧に従って逆瀬池で統一します。
またダム便覧では所在地が松山市北梅本となっていますが池があるのは松山市平井町です。
 
松山市街から県道196号を北上し、小野谷集落の梅元寺手前から逆瀬池への道が分かれます。
道幅が狭いので県道路肩に車を置き歩くこと1~2分で逆瀬池が見えてきます。
 
左岸の洪水吐導流部
前日までの雨を受けて越流しています。
 
左岸に取水設備からの底樋樋門。
愛媛県ではおなじみ、扁額がついた立派なポータル。
銘は『坂瀬池』。
 
下流面はきれいに刈り払われて、堤体を斜行して管理道路が登ってゆきます。
 
下流面。
 
天端と上流面。
 
2003年(平成15年)の改修記念碑
こちらは『逆谷池』。
 
左岸には漕艇競技用の艇庫があります。
さすがボート王国愛媛。
でも最近使われた様子はありません。
 
洪水吐はラビリンス
貯水池は総貯水容量50万立米。
 
洪水吐導流部。
 
左岸上流側に取水設備がありますが、手前で立ち入り禁止となり撮影できませんでした。 
 
2227 逆瀬池(1269)
ため池コード
愛媛県松山市平井町
DamMaps
重信川水系小野川右支流
24.9メートル
145メートル
500千㎥/500千㎥
松山市梅本地区土地改良区
1924年

佐古ダム

2018-04-03 10:36:21 | 愛媛県
2018年3月22日 佐古ダム
 
佐古ダムは愛媛県東温市竹林の重信川水系佐川川上流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
少雨に加えて大河のない愛媛県の道前・道後両平野への水利を図るため、仁淀川水系から流域変更により両平野に導水する道前道後平野農業水利事業が1967年(昭和42年)に竣工し、両地区は安定した用水確保という悲願を達成しました。
しかし1980年代に入り施設の老朽化や稲作から園芸農業への転換など、社会・農業情勢の変化により新たな用水確保が迫られてきました。
農水省は『道前道後平野農業水利事業Ⅱ期』に着手し、新たな道後平野向け水源として2001年(平成13年)に佐古ダムが竣工しました。
佐古ダムは当初当地にあった灌漑用溜池である佐古谷池を呑みこむ形で建設され、道後平野における面河ダムの補給がない期間(10月7日~6月5日)における灌漑用水の供給を目的としており、管理は道後平野土地改良区が受託しています。
 
ダム直下から。
洪水吐は農業用ダムらしく自由越流式クレストゲートのみ。
前日までの雨で水位が上がり越流が続いています。
 
堤高31メートルに対して堤頂長210メートルの横長ダム。
 
右岸から
手前の建物は利水放流設備と揚水機場
二毛作や果樹栽培への転換など農業情勢の変化を受け、面河ダムの補給がない期間(10月7日~6月5日)における用水の確保を目的としています。
特筆すべきは独特のカーブを描く漸縮型堤体導流壁
土木屋さん泣かせです。
 
右岸高台から。
ダム湖は総貯水容量111万立米。
 
下流面。
 
天端は歩行者のみ通行可能
施設建屋の屋根はグリーンで統一されています。
 
天端から減勢工
導流壁が独特の形状になっています。
 
 
ちょっとツッパリリーゼントっぽい取水設備。
 
上流面。
 
道前道後農業水利事業Ⅱ期では道前では志河川ダム、道後では佐古ダムが建設され時代に即した灌漑用水の供給が可能となりました。 
 
追記
佐古ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに13万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
3002 佐古ダム(1268
愛媛県松山市下林
DamMaps
重信川水系佐川川
31メートル
210メートル
1110千㎥/1020千㎥
道後平野土地改良区
2001年
◎治水協定が締結されたダム

西山池

2018-04-03 09:48:08 | 愛媛県
2018年3月22日 西山池
 
西山池は愛媛県西条市丹原町古田の新川水系西山川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1955年(昭和30年)に丹原町土地改良区の事業によって竣工と記されていますが、それ以外の詳細は不明です。
またダム便覧では所在地が西条市丹原町徳田、河川は新川水系明理川となっていますがいずれも誤りです。
池の管理は丹原町土地改良区が行っています。
 
丹原町古田の興隆寺の大きな駐車場に車を置いて、200メートルほど歩くと西山池が見えてきます。
 
下流面は奇麗に草が刈られており、まるで芝生のよう。
 
天端。
便覧では堤頂長64メートルになっていますが、もっと短いような・・・・
 
上流面。
 
総貯水容量も9万5000立米になっていますが、うーーん・・・
 
左岸の多孔式斜樋。
 
右岸から下流面。
 
右岸から上流面。
 
右岸にある簡易な洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
底樋は確認できませんでした。
 
2244 西山池(1267)
ため池コード
愛媛県西条市丹原町古田
新川水系西山川
24.2メートル
64メートル
95千㎥/95千㎥
丹原町土地改良区
1955年

池ノ谷池

2018-04-02 18:49:21 | 愛媛県
2018年3月22日 池ノ谷池
 
池ノ谷池は愛媛県西条市小松町妙口の中山川水系池ノ谷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1913年(大正2年)に妙口北川土地改良区の事業で竣工と記されていますが、竣工記念碑や由来碑などがないためそれ以外の詳細は不明です。
戦前に土地改良区は存在しませんので、前身となる耕地整理組合の事業で築造されたのでしょう。
現在池の管理は小松町妙口北川土地改良区が行っています。
 
国道11号の四国コカコーラの工場東側を南に折れ町道を交差すると墓地に到着します。その先はダートのため200メートルほど歩くと池が見えてきます。
池ノ谷というくらいなので竣工年度とされる大正2年以前から池はあったのでしょうね。
 
堤体を斜行する形で天端への道路が続きます。
 
前日までの雨で水位が上昇し、洪水吐から越流しています。
鱗も見えます。
 
堤体中ほどに斜樋があり右岸側は屈曲しています。
 
上流面
草で見辛いですがコンクリートで護岸されています。
 
斜樋の操作室
交換された部品が放置。
 
総貯水容量は10万1000立米。
 
右岸の越流式洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
天端の一番端から
フィルダムでは堤体中央に洪水吐は作らないというのが鉄則です。
洪水吐から手前側は地山に接続しているので堤体ではないということなんでしょう。
 
底樋は確認できませんでした。
隣接する大谷池とは山一つ隔て500メートルも離れていない池ノ谷池ですが、池の規模や周辺整備など彼我の差は大きいものがあります。
土地改良区の規模も違うのでしょう。
 
2224 池ノ谷池(1266)
ため池コード
愛媛県西条市小松町妙口
DamMaps
中山川水系池ノ谷川
16メートル
122メートル
101千㎥/101千㎥
小松町妙口北川土地改良区
1913年

大谷池

2018-04-02 15:12:58 | 愛媛県
2018年3月22日 大谷池
 
大谷池は愛媛県西条市小松町南川の中山川水系大谷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
現地記念碑によれば旧南川村(現西条市小松町南川)は古くから水に乏しく『月夜でも田が焼ける』と言われる程灌漑用水に窮乏していました。
こういった状況を打開すべく1917年(大正6年)に築造されたのが大谷池で、竣工当時は県下最大規模を誇りました。
しかし1946年(昭和21年)の南海地震で損傷をうけ3年の月日をかけて1950年(昭和25年)に修復、さらに平成に入り2000年(平成12年)~2007年(平成19年)にかけて県営防災ダム事業により大規模な改修が行われ現在に至っています。
また2010年(平成22年)にかけて池周辺が小松大谷池農村公園として整備されました。
池の管理は小松町第一土地改良区が行っています。 
 
ダム下に下りる遊歩道が整備されているのでダム下から見学します。
右手が2007年(平成19年)まで使われていた煉瓦製の樋門
左手は新設された取水設備からの底樋。
 
現在の底樋樋門。
 
旧樋門
翼壁を広げ2色の煉瓦で仕上げられ、Cランクの近代土木遺産に選ばれています。
 
小松貯水池の扁額
 
左岸の洪水吐導流部。
 
天端へ戻ります。
右岸には4基の記念碑が並んでおり池の由来がこと細かく記されています。
 
天端からの眺め
ダム下も含めて農村公園として整備され、桜の時期には多くの人出があるようです。
 
天端からは海越しに芸予諸島が望めます
正面は大島、伯方島、生口島あたり。
 
総貯水容量103万2000立米は愛媛県下4番目の規模
貯水池を松山自動車道が跨ぎます。
 
上流面はコンクリートで護岸、右岸に斜樋があります。
 
横越流式洪水吐。
 
スケールは愛媛最大級、環境整備が進められ非常に美しい溜池です。
旧樋門は近代土木遺産、にもかかわらず四国堰堤ダム88箇所堰堤巡りから漏れたのはどうしてでしょうか?
 
2225 大谷池(1265)
ため池コード
愛媛県西条市小松町南川
中山川水系大谷川
27.3メートル
212メートル
1032千㎥/1032千㎥
小松町第一土地改良区
1917年

城ノ谷池

2018-04-02 12:22:57 | 愛媛県
2018年3月22日 城ノ谷池 
 
城ノ谷池は愛媛県西条市氷見丁の中山川水系切川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には土地改良区の事業で1953年(昭和28年)竣工と記されていますが、天端が立ち入り禁止のため竣工記念碑等の確認ができず詳細は不明です。
池の管理は西条市氷見土地改良区が行っています。 
 
堤高は27.4メートルで奇麗に草が刈られています。
手前の水路は洪水吐からのもの。
 
右岸天端わきまで車で上がれます。
 
残念ながら天端から先は立ち入り禁止。
 
対岸に斜樋があり関係者の車の轍が残っています。
 
上流面。
 
右岸の洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
左岸の管理事務所と斜樋。
斜樋の左奥にはかつてゴルフ練習場だった建物が残っています。
 
ダムからは西条市の臨海工業部越しに瀬戸内海が見えます。
位置的に対岸は伯方島や生口島、因島あたりと思われます。
 
2241 城ノ谷池(1264)
ため池コード
愛媛県西条市氷見丁
DamMaps
中山川水系切川右支流
27.4メートル
133メートル
287千㎥/287千㎥
西条市氷見土地改良区
1953年

逆瀬池

2018-04-02 00:41:24 | 香川県
2018年3月21日 逆瀬池
 
逆瀬池は香川県三豊市山本町河内の財田川水系河内川左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
三豊平野の旧辻村(現在の三豊市山本町辻地区)は古来より水利に乏しく中小の溜池が多数つくられたものの集水能力が低く、『田回り畑回り』と稲作と畑作を一年おきに繰り返すありさまでした。
この窮状を打開すべく1942年(昭和17年)に県営事業として河内川上流部で逆瀬池建設事業が着手されましたが戦争で中断、事業開始から14年目の1955年(昭和30年)にようやく竣工しました。
池の管理は三豊郡中部用水土地改良区連合が行い、360ヘクタールの農地に灌漑用水の供給を行っています。
逆瀬池湖畔は『四国の道』に指定されており、春秋には多くのハイカーが訪れるほか、桜の名所としても知られています。
また逆瀬池の洪水吐は全国でも珍しいシャフト式(竪穴落下式)となっており、いわゆる『ダム穴』式洪水吐となっています。
 
池は県道6号ぞいにあります。
下流面は犬走りを挟んで2段構成、基部は谷積石の擁壁。
 
堤体の右岸側(向かって左側)に隧道吐口があります。
これは底樋?それとも洪水吐?
斜樋は左岸から右岸に移築されたので、底樋ならもっと新しいはず。
たぶん、既存の洪水吐導流トンネルに斜樋からの水路も合体させたのでは?と想像。
 
堤体下からの『四国の道』のハイキングコースを歩いて登ると天端左岸に到着します。
 
直近の改修で新設された斜樋。
 
天端は道路が通り車両も通行できます。
 
総貯水容量は53万6000立米。
 
もともと左岸に取水設備がありましたが、湖畔の土砂崩れにより使用不可となり4枚目の写真の斜樋が新設されました。
 
土砂崩れに伴う取水設備刷新工事の竣工記念碑。
 
右岸の横越流式洪水吐
手前の穴がシャフトでいわゆるダム穴式です。
 
アングルを変えて。

2168 逆瀬池(1263)
ため池コード
香川県三豊市山本町河内
財田川水系河内川左支流
22.2メートル
78メートル
536千㎥/536千㎥
三豊郡中部用水土地改良区連合
1955年

岩瀬池

2018-04-01 17:28:43 | 香川県
2018年3月21日 岩瀬池
 
岩瀬池は香川県三豊市高瀬町上麻の高瀬川水系左支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
岩瀬池の起源は安土桃山時代まで遡り1592年(文禄元年)に地元の郷士武田五兵衛の尽力により築造されました。1630年(寛永7年)には嵩上げと高瀬川本流の導水によりほぼ現在の岩瀬池の規模となりました。
昭和以降では1933年(昭和8年)に樋管工事、1942年(昭和17年)に1メートルの嵩上げ工事、さらに戦後に入り1981年(昭和56年)に香川用水の補給が開始され、2005年(平成17年)には国営農地防災事業により老朽化した堤体の改修が行われました。
ダム便覧では1942年の嵩上げ工事を竣工年度としています。
三豊市岩瀬池土地改良区が行い、249ヘクタールの農地に灌漑用水の供給を行っています。
 
堤体を斜行して管理道路が天端へ続いていますが、入口にチェーンがあり車はここまで。
 
下流面は草が刈られすっきり。
 
天端
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
天端に建つ2基の石碑。
 
斜樋の隣にはボートが・・・。
 
斜樋。
 
洪水吐はラビリンス。
 
総貯水容量100万立米を超える大規模な溜池
でも香川ではこのクラスはゴロゴロ。
 
洪水吐導流部はほぼ垂直に落ちます。
 
底樋は確認できませんでした。
 
2141 岩瀬池(1261)
ため池コード
香川県三豊市高瀬町上麻
DamMaps
高瀬川水系高瀬川左支流
17.6メートル
152メートル
1016千㎥/1016千㎥
三豊市岩瀬池土地改良区
1592年築造
1942年嵩上げ工事竣工

香川用水調整池(宝山湖)

2018-04-01 15:36:15 | 香川県
2018年3月21日 香川用水調整池(宝山湖)
 
香川用水調整池は香川県三豊市山本町神田にある水資源機構が管理する灌漑および上水道目的のアースフィルダムです。
讃岐平野に吉野川から流域変更による導水を行う『香川用水事業』の一環として2008年(平成20年)に建設された上水用調整池です。
水資源機構が管理し、吉野川から導水する香川用水の補給を受け、吉野川の急激な水量低下や施設の点検、災害等により通水できない場合などに備えた予備水源となっています。
香川調整池建設以前、当地には神田大池とという灌漑用溜池があり神田大池を取り込む形で香川用水調整池は建設されました。
そのため香川用水調整池は上水道用水供給に加えて、かつて神田大池が有していた調整池下流域への灌漑用水の供給も目的としています。
 
香川用水概要図(水資源機構香川用水管理所HPより)
 
 
 
調整池周辺は公園として整備され、ダム湖である『宝山湖』を周回する遊歩道が整備され周辺住民の憩いの場となっています。
国道377号線や県道218号線に『宝山湖』を示す案内板があり、これに従えば香川用水調整池に到着します。
ダム下から
手前は揚水施設。
 
左岸の洪水吐導流部は直前の大雨による水位上昇を受けて越流しています。
 
ダム下は芝生の公園。
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐の先には駐車場と管理事務所があります。
 
ダム湖の宝山湖は総貯水容量307万立米
香川用水が賄う上水道用水約2週間分が貯留されています。
 
右岸にある旧神田大池の碑
貴重な灌漑用水源であった神田大池をつぶして香川用水調整池が建設される過程の地元関係者の苦悩や葛藤が切々と記されています。
 
上流面はロック材で護岸。
 
下流面
さすが水資源機構が管理する施設だけあり、奇麗に刈り払われています。
 
左岸の取水設備。
 
3374 香川用水調整池(1261)
香川県三豊市山本町神田
財田川水系大地川
AW
 
25メートル
240メートル
3070千㎥/3050千㎥
水資源機構
2008年

満濃池(再)

2018-04-01 12:51:43 | 香川県
2018年3月21日 満濃池(再)
 
満濃池(再)は香川県仲多度郡まんのう町の金倉川上流部にある灌漑目的のアースダムフィルダムです。
歴史は古く8世紀初期の飛鳥時代大宝年間まで遡り、その後の決壊では弘法大師(空海)がわずか3カ月で改修を完了させたという逸話も残っています。
平安期にも決壊、復旧を繰り返すも1184年(元歴元年)の決壊以降長く放置され、徳川幕府成立後、高松藩主生駒高俊の命により1631年(寛永3年)に約450年ぶりに復旧され、大河のない讃岐平野を潤す貴重な巨大貯水池は感謝の念を持って満濃太郎と称されました。
明治維新以降、数度の嵩上げ改修工事が行われ、1959年(昭和34年)の第3次嵩上げ工事の竣工により現在の規模となりました。
満濃池(再)は農業用溜池としては総貯水容量1540万立米、湛水面積139ヘクタールと愛知県の入鹿池に次ぐ規模を誇り、香川県内のダムとしては数あるコンクリートダムを凌ぎ貯水容量は最大です。
1870年(明治3年)の改修で設置された樋門は登録有形文化財に指定されているほか、2005年(平成17年)にダム湖百選、2010年(平成22年)に『ため池100選』、2016年(平成28年)にはICID(国際かんがい排水委員会)による世界かんがい施設遺産、2019年(平成31年)に国の名勝に選ばれています。
さらにアースフィルダムとしては数少ない日本100ダムにも選ばれています。
池の管理は満濃池土地改良区が行い3239ヘクタールにおよぶ広大な農地に灌漑用水を供給しています。
 
満濃池右岸は『国営讃岐まんのう公園』として整備されているほか、左岸は満濃池森林公園、堤体直下は親水公園である『ほたる見公園』となっており、中讃地域有数のレクリエーションエリアとなっています。
今回は下流のほたる見公園の駐車場に車を止めて歩いて池へと向かいました。
堤体下の『ほたる見公園』
遊歩道が整備され親水公園となっています。
 
池直下にある取水堰
鋼製フラップゲートで水量を調節し三つの灌漑用水路に分水されます。
 
余水吐はトンネル式導流部となっており、トンネル出口からは自然の岩盤を流下します。
前日までの雨で水位が上昇し、越流した水が自然の滝のように流下しています。
 
底樋樋門と石積み溢流堤
明治期の貴重なコンクリート作りの底樋樋管は国の登録有形文化財及び、Cランクの近代土木遺産に指定されています。
こちらも水位上昇を受けて普段よりも多量の放流をしており、余水路から溢れた水はミニ長篠堰堤のような状況。
 
遊歩道が整備されたほたる見公園。
 
アースフィルの堤体はアーチ状に湾曲しています。
 
右岸の余水吐
越流した水は上から3枚目の写真のトンネル出口へと流下します。
 
総貯水容量1540万立米はアースフィルの農業用溜池としては入鹿池に次いで全国第2位の規模です。
 
左岸の取水塔
取水された水は4枚目の写真の樋門へと送られます。
 
上流面は谷積みの石で護岸されています。
堤体がアーチ状に湾曲しているのがよく分かります。
 
世界かんがい施設遺産の記念碑。
 
日本を代表する灌漑用溜池ですが、巨大な貯水池を支える堰堤は堤高32メートル、堤頂長155.8メートル、堤体堰21万8000立米と意外に小ぶり。
貯水効率はアースフィルダムとしては驚異の70倍強となっており、広大な谷間に対してその隘狭な出口に堰堤を築き効率的な貯水を果たした先人の見る目の確かさには脱帽するばかりです。
 
満濃池
香川県仲多度郡まんのう町神野
金倉川水系金倉川
22メートル
----メートル
5000千㎥/5000千㎥
821年
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3337 満濃池(再)(1260)
ため池コード
香川県仲多度郡まんのう町神野
金倉川水系金倉川
32メートル
155.8
15400千㎥/15400千㎥
満濃池土地改良区
1959年