最近のことだが、ヤフーのトップページのタイトルを流し読みすると、頻繁に「松本人志が○○に対して持論」とあるのが目に付く。
もちろん、松本人志氏が、お笑いコンビ、ダウンタウンの坊主頭の人だということは知っている。
年末の「笑ってはいけない~」の主役の一人だということも知っている。
しかし、それしか知らない。
その松本氏のご意見が、いつも「持論」という形で重用されるのは、なぜだろう。
彼は、政治家や評論家を差し置いて、現代日本のオピニオンリーダーに祭り上げられているということか。
ヤフーのトップページは、流し読みするだけで、内容を見ることはない。
だから、松本氏が、どんなご意見を述べているのか、私にはわからない。
内容も知らずにコメントをするのは卑怯なので、これ以上のことは詮索しない。
ただ、お笑い芸人として、それほどご意見を注目される存在は、大したものだな、と関心だけは示しておきたい。
そして、北野武氏の話に移る。
北野武氏は、映画監督として非凡なものを持っていると思う。
暴力的な映画は趣味でないので見ていないが、その他のものは、全て見ている。
「キッズリターン」と「あの夏、いちばん静かな海」は、好きな映画だ。
北野氏は、現代日本を代表する映画監督であると思う。
ただ、お笑い芸人としての北野氏の今は、少しも面白くない。
我が家に、頻繁に餃子やハンバーグを食いに来る大学2年の娘の高校時代の友だち6人の共通意見は、「笑いが痛すぎて、耳を塞ぎたくなる」というものだ。
私もそう思う。
笑いに関しては、古臭すぎて、賞味期限が過ぎていると思う。
大御所ではあるが、キャリアが長いゆえに、笑いの質が、「古典」と表現するのも憚られるほど、錆び付いているように、私には思える。
そして、私が一番痛いと思うのは、その大御所に対して、中堅、若手芸人が、気を使いすぎる光景だ。
もちろん、それは北野氏をリスペクトしているから、そういう態度になるのだろうが、たとえば北野氏のお笑い芸人としての全盛期を知らない娘のお友だちには、「なに、あの人たち、卑屈になってるの?」ということになる。
この現象は、たとえば、若手芸人や若いタレントさんたちの態度が、明石家さんま氏に対して「機嫌を損ねないように」という、あからさまな阿り方と共通している、と彼女たちは言うのだ。
「お笑い芸人が、必要以上に、お笑い芸人や大御所に気を使う姿は、見苦しいよね」
「だって、私たちには、彼らがどんなに大物でも、面白くなければ、『痛いオッサン』でしかないからね」
北野氏やさんま氏は、日本の芸能社会では、大きな宝だとは思うが、彼らをリスペクトする人たちの「過剰な気遣い」が、彼らを「笑えないブラックホール」に落ち込ませているような気がする。
彼らを「現役のお笑い芸人」として賞味したいのであれば、「つまらない」という勇気も必要なのではないか、と私は思っている。
世間の目は、使い捨ての「一発屋芸人」には厳しいが、少し昔に賞味期限が切れた体を張らない大御所芸人には、とても温かいように思える。
(それはリスペクトというより、ただ古い業績を奉りたいという保守志向の強さから来ていると思う。そして、そういう人は必ずこう言うのだ。『昔のお笑いは面白かったね、でも、今のお笑いは、全然つまらない』と。実は、10年前も20年前も、そう言われていた記憶が私にはあるのだが、つまり、いつの時代も、今のお笑いは、つまらないということになるのですね)
さて、冒頭の松本人志氏は、どのポジションにいるのだろうか。
「現役」なのか「賞味期限切れ間近」なのか。
少し気になる。
もちろん、松本人志氏が、お笑いコンビ、ダウンタウンの坊主頭の人だということは知っている。
年末の「笑ってはいけない~」の主役の一人だということも知っている。
しかし、それしか知らない。
その松本氏のご意見が、いつも「持論」という形で重用されるのは、なぜだろう。
彼は、政治家や評論家を差し置いて、現代日本のオピニオンリーダーに祭り上げられているということか。
ヤフーのトップページは、流し読みするだけで、内容を見ることはない。
だから、松本氏が、どんなご意見を述べているのか、私にはわからない。
内容も知らずにコメントをするのは卑怯なので、これ以上のことは詮索しない。
ただ、お笑い芸人として、それほどご意見を注目される存在は、大したものだな、と関心だけは示しておきたい。
そして、北野武氏の話に移る。
北野武氏は、映画監督として非凡なものを持っていると思う。
暴力的な映画は趣味でないので見ていないが、その他のものは、全て見ている。
「キッズリターン」と「あの夏、いちばん静かな海」は、好きな映画だ。
北野氏は、現代日本を代表する映画監督であると思う。
ただ、お笑い芸人としての北野氏の今は、少しも面白くない。
我が家に、頻繁に餃子やハンバーグを食いに来る大学2年の娘の高校時代の友だち6人の共通意見は、「笑いが痛すぎて、耳を塞ぎたくなる」というものだ。
私もそう思う。
笑いに関しては、古臭すぎて、賞味期限が過ぎていると思う。
大御所ではあるが、キャリアが長いゆえに、笑いの質が、「古典」と表現するのも憚られるほど、錆び付いているように、私には思える。
そして、私が一番痛いと思うのは、その大御所に対して、中堅、若手芸人が、気を使いすぎる光景だ。
もちろん、それは北野氏をリスペクトしているから、そういう態度になるのだろうが、たとえば北野氏のお笑い芸人としての全盛期を知らない娘のお友だちには、「なに、あの人たち、卑屈になってるの?」ということになる。
この現象は、たとえば、若手芸人や若いタレントさんたちの態度が、明石家さんま氏に対して「機嫌を損ねないように」という、あからさまな阿り方と共通している、と彼女たちは言うのだ。
「お笑い芸人が、必要以上に、お笑い芸人や大御所に気を使う姿は、見苦しいよね」
「だって、私たちには、彼らがどんなに大物でも、面白くなければ、『痛いオッサン』でしかないからね」
北野氏やさんま氏は、日本の芸能社会では、大きな宝だとは思うが、彼らをリスペクトする人たちの「過剰な気遣い」が、彼らを「笑えないブラックホール」に落ち込ませているような気がする。
彼らを「現役のお笑い芸人」として賞味したいのであれば、「つまらない」という勇気も必要なのではないか、と私は思っている。
世間の目は、使い捨ての「一発屋芸人」には厳しいが、少し昔に賞味期限が切れた体を張らない大御所芸人には、とても温かいように思える。
(それはリスペクトというより、ただ古い業績を奉りたいという保守志向の強さから来ていると思う。そして、そういう人は必ずこう言うのだ。『昔のお笑いは面白かったね、でも、今のお笑いは、全然つまらない』と。実は、10年前も20年前も、そう言われていた記憶が私にはあるのだが、つまり、いつの時代も、今のお笑いは、つまらないということになるのですね)
さて、冒頭の松本人志氏は、どのポジションにいるのだろうか。
「現役」なのか「賞味期限切れ間近」なのか。
少し気になる。