リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

神話の国の不思議

2015-12-13 08:33:00 | オヤジの日記
前回と同じく私の経験した不思議な出来事を。

これは大学2年のときの出来事で、いまだに私の中で解決できない不思議な体験だった。

祖母の墓参りに、島根県出雲市に行ったときのこと。
このときは一人旅だった。

墓参りを終えたあと、私は島根県の名所「日御碕(ひのみさき)」に行くことにした。
「日御碕」には、(当時としては)東洋一高い灯台があった。
そして、海猫の繁殖地としても、知られていた。
中学3年の夏、祖母の納骨に来たとき、親類の人に一度連れて行ってもらったことがあった。

海猫の鳴き声と潮騒が奏でるハーモニーは、他の海とは違った趣で、何となく神々(こうごう)しい印象を持ったことを覚えている。

以前は車で連れて行ってもらったが、今回は「一畑電鉄」に乗って、一人で行こうと思った。

かなり昔のことで、うろ覚えであるが、「電鉄出雲市駅」から「川跡(かわと)」までは、10分程度。
「川跡」で乗り換えて、「出雲大社駅」まで、やはり10分程度。
そして、「出雲大社」から「日御碕」までは、路線バスで30分程度。乗り換え時間を入れて、1時間強といったところか。

昼食を摂ってから電車に乗った。
時刻は1時15分過ぎだった。
それは、駅のホームの時計を確かめたから覚えていた。
私の腕時計でも確認した。

普通に乗って、普通に乗り継げば、「出雲大社駅」までは30分もかからない行程だ。
乗り継ぎの時間も5分とかからなかった。

つまり、1時45分には、「出雲大社駅」に着く計算になる。

途中、電車が停まった記憶もない。
車窓の景色を見ながら、鼻歌交じりの、のどかな気分で電車に揺られて「出雲大社駅」に着いた。

かまぼこ型の美しい屋根を内側から見上げると、壁のくすみが窓から射す光と調和して、思わず見とれてしまった。
これが「旅情」というものなのだろう。
肩の力が抜けて、脳がアルファ波で一杯になったような気がした。

そして、ここから先は、「日御碕」までバス。
駅構内を出て、バスの時刻を確かめた。
乗り継ぎを考慮してダイヤが組んであれば、電車が到着してから、それほど待たずに乗れるバスがあるはずだ。

見ると、1時50分発の「日御碕」行きのバスがあった。
これに乗れそうだ。
そこで、自分の腕時計を見てみた。

2時25分。

えっ! 2時25分?
時計が狂ったか?
1時15分過ぎに「出雲市駅」発の電車に乗ったのだから、ここまで30分程度しかかかっていないはず。
私の感覚では、1時45分から47分くらいだ。

そこで、近くを通った人に時刻を確かめてみた。
「2時25分だね」

嘘だ。

「出雲市駅」からここまで1時間もかかるはずがない。
「出雲市駅」では、定刻通りに出発したのは覚えている。

途中、電車は停まらなかったことは確認した。
乗り換えもスムーズにいった。
ここまで30分程度しかかかっていないはずなのに、なぜ今「2時25分」なんだ。

もう一人掴まえて、時刻を聞いてみた。
「2時25分過ぎかな」

これは、どういうことだ。
時間の落差。
この空白の30分は、いったい…!

駅に戻って、もう一度駅員に聞いてみた。
「本当に、電車、遅れていませんでしたか?」

まったく正常運転だったそうだ。

これが、神話の国「出雲」で遭遇した不思議な出来事。


誰にこの話をしても、「おまえ、寝ぼけてたんだろ」と言われる。

しかし、私は真夜中に寝ぼけて「ごちそうさま」を言ったことがあっても、昼、寝ぼけたことはない。


得体の知れない寒さを体全体に感じた私は、停留所で立ち尽くした。


立ち尽くす私の耳元で「よく来ましたね」という祖母の声が聞こえた気がした。

もちろんそれは幻聴だったと思うが。