前回と同じく私の経験した不思議な出来事を。
これは大学2年のときの出来事で、いまだに私の中で解決できない不思議な体験だった。
祖母の墓参りに、島根県出雲市に行ったときのこと。
このときは一人旅だった。
墓参りを終えたあと、私は島根県の名所「日御碕(ひのみさき)」に行くことにした。
「日御碕」には、(当時としては)東洋一高い灯台があった。
そして、海猫の繁殖地としても、知られていた。
中学3年の夏、祖母の納骨に来たとき、親類の人に一度連れて行ってもらったことがあった。
海猫の鳴き声と潮騒が奏でるハーモニーは、他の海とは違った趣で、何となく神々(こうごう)しい印象を持ったことを覚えている。
以前は車で連れて行ってもらったが、今回は「一畑電鉄」に乗って、一人で行こうと思った。
かなり昔のことで、うろ覚えであるが、「電鉄出雲市駅」から「川跡(かわと)」までは、10分程度。
「川跡」で乗り換えて、「出雲大社駅」まで、やはり10分程度。
そして、「出雲大社」から「日御碕」までは、路線バスで30分程度。乗り換え時間を入れて、1時間強といったところか。
昼食を摂ってから電車に乗った。
時刻は1時15分過ぎだった。
それは、駅のホームの時計を確かめたから覚えていた。
私の腕時計でも確認した。
普通に乗って、普通に乗り継げば、「出雲大社駅」までは30分もかからない行程だ。
乗り継ぎの時間も5分とかからなかった。
つまり、1時45分には、「出雲大社駅」に着く計算になる。
途中、電車が停まった記憶もない。
車窓の景色を見ながら、鼻歌交じりの、のどかな気分で電車に揺られて「出雲大社駅」に着いた。
かまぼこ型の美しい屋根を内側から見上げると、壁のくすみが窓から射す光と調和して、思わず見とれてしまった。
これが「旅情」というものなのだろう。
肩の力が抜けて、脳がアルファ波で一杯になったような気がした。
そして、ここから先は、「日御碕」までバス。
駅構内を出て、バスの時刻を確かめた。
乗り継ぎを考慮してダイヤが組んであれば、電車が到着してから、それほど待たずに乗れるバスがあるはずだ。
見ると、1時50分発の「日御碕」行きのバスがあった。
これに乗れそうだ。
そこで、自分の腕時計を見てみた。
2時25分。
えっ! 2時25分?
時計が狂ったか?
1時15分過ぎに「出雲市駅」発の電車に乗ったのだから、ここまで30分程度しかかかっていないはず。
私の感覚では、1時45分から47分くらいだ。
そこで、近くを通った人に時刻を確かめてみた。
「2時25分だね」
嘘だ。
「出雲市駅」からここまで1時間もかかるはずがない。
「出雲市駅」では、定刻通りに出発したのは覚えている。
途中、電車は停まらなかったことは確認した。
乗り換えもスムーズにいった。
ここまで30分程度しかかかっていないはずなのに、なぜ今「2時25分」なんだ。
もう一人掴まえて、時刻を聞いてみた。
「2時25分過ぎかな」
これは、どういうことだ。
時間の落差。
この空白の30分は、いったい…!
駅に戻って、もう一度駅員に聞いてみた。
「本当に、電車、遅れていませんでしたか?」
まったく正常運転だったそうだ。
これが、神話の国「出雲」で遭遇した不思議な出来事。
誰にこの話をしても、「おまえ、寝ぼけてたんだろ」と言われる。
しかし、私は真夜中に寝ぼけて「ごちそうさま」を言ったことがあっても、昼、寝ぼけたことはない。
得体の知れない寒さを体全体に感じた私は、停留所で立ち尽くした。
立ち尽くす私の耳元で「よく来ましたね」という祖母の声が聞こえた気がした。
もちろんそれは幻聴だったと思うが。
これは大学2年のときの出来事で、いまだに私の中で解決できない不思議な体験だった。
祖母の墓参りに、島根県出雲市に行ったときのこと。
このときは一人旅だった。
墓参りを終えたあと、私は島根県の名所「日御碕(ひのみさき)」に行くことにした。
「日御碕」には、(当時としては)東洋一高い灯台があった。
そして、海猫の繁殖地としても、知られていた。
中学3年の夏、祖母の納骨に来たとき、親類の人に一度連れて行ってもらったことがあった。
海猫の鳴き声と潮騒が奏でるハーモニーは、他の海とは違った趣で、何となく神々(こうごう)しい印象を持ったことを覚えている。
以前は車で連れて行ってもらったが、今回は「一畑電鉄」に乗って、一人で行こうと思った。
かなり昔のことで、うろ覚えであるが、「電鉄出雲市駅」から「川跡(かわと)」までは、10分程度。
「川跡」で乗り換えて、「出雲大社駅」まで、やはり10分程度。
そして、「出雲大社」から「日御碕」までは、路線バスで30分程度。乗り換え時間を入れて、1時間強といったところか。
昼食を摂ってから電車に乗った。
時刻は1時15分過ぎだった。
それは、駅のホームの時計を確かめたから覚えていた。
私の腕時計でも確認した。
普通に乗って、普通に乗り継げば、「出雲大社駅」までは30分もかからない行程だ。
乗り継ぎの時間も5分とかからなかった。
つまり、1時45分には、「出雲大社駅」に着く計算になる。
途中、電車が停まった記憶もない。
車窓の景色を見ながら、鼻歌交じりの、のどかな気分で電車に揺られて「出雲大社駅」に着いた。
かまぼこ型の美しい屋根を内側から見上げると、壁のくすみが窓から射す光と調和して、思わず見とれてしまった。
これが「旅情」というものなのだろう。
肩の力が抜けて、脳がアルファ波で一杯になったような気がした。
そして、ここから先は、「日御碕」までバス。
駅構内を出て、バスの時刻を確かめた。
乗り継ぎを考慮してダイヤが組んであれば、電車が到着してから、それほど待たずに乗れるバスがあるはずだ。
見ると、1時50分発の「日御碕」行きのバスがあった。
これに乗れそうだ。
そこで、自分の腕時計を見てみた。
2時25分。
えっ! 2時25分?
時計が狂ったか?
1時15分過ぎに「出雲市駅」発の電車に乗ったのだから、ここまで30分程度しかかかっていないはず。
私の感覚では、1時45分から47分くらいだ。
そこで、近くを通った人に時刻を確かめてみた。
「2時25分だね」
嘘だ。
「出雲市駅」からここまで1時間もかかるはずがない。
「出雲市駅」では、定刻通りに出発したのは覚えている。
途中、電車は停まらなかったことは確認した。
乗り換えもスムーズにいった。
ここまで30分程度しかかかっていないはずなのに、なぜ今「2時25分」なんだ。
もう一人掴まえて、時刻を聞いてみた。
「2時25分過ぎかな」
これは、どういうことだ。
時間の落差。
この空白の30分は、いったい…!
駅に戻って、もう一度駅員に聞いてみた。
「本当に、電車、遅れていませんでしたか?」
まったく正常運転だったそうだ。
これが、神話の国「出雲」で遭遇した不思議な出来事。
誰にこの話をしても、「おまえ、寝ぼけてたんだろ」と言われる。
しかし、私は真夜中に寝ぼけて「ごちそうさま」を言ったことがあっても、昼、寝ぼけたことはない。
得体の知れない寒さを体全体に感じた私は、停留所で立ち尽くした。
立ち尽くす私の耳元で「よく来ましたね」という祖母の声が聞こえた気がした。
もちろんそれは幻聴だったと思うが。