自然の猛威を感じた日だった。
甘いことを言うと思われるかもしれないが、初めて台風に恐怖を感じた。
私は、このブログでは、なるべくリアルタイムの出来事は載せないようにしてきた。リアルタイムの出来事は、他の方が正確に書いてくれる。
私自身のブログにタイムリーなキーワードは似合わないと思っていた。いまも思っている。
私の能力では、災害や犯罪などの分析ができない。なぜなら、遭遇したことがないから。
私には、遭遇したことがないことを想像で表現する能力がない。
唯一、東日本大震災のことは述べたことがある。
だが、東京にいて経験したことと、もっと悲惨な状況を経験した人のことを想像すると、頭の奥の方で「違うだろう」という思いがいつも湧き上がる。
恐怖と絶望の濃度が違うのではないか。
今回の台風は、現在進行形だ。
そこにまだ台風は存在する。
眠れない人、家に帰れない人も多くいるだろう。
いま、私がどんな体験をしたかを言うことに意味があるとは思えない。
私の恐怖を語っても意味はない。
ここでは、まず私の長年の友人である年上のミズシマさんの話をしたいと思う。
「軽く浸水しました」とミズシマさんは、LINEを送ってきた。
そして、「妻の持病の軽い心臓病が出て、車で救急病院に連れて行きました」と続いた。
ものすごく混んではいたが、1時間以上待って、奥さんは適切な処置を受けられたという。「妻の土曜日の夜の状態は安定していて安心だ」というLINEが夜中にあった。
世田谷区上北沢のミズシマさん夫妻が暮らす家は築30年を過ぎていた。
「浸水は玄関だけでしたから軽い方だと思います。でも門は少し壊れました。いさぎよいくらいに壊れました。左側の引き戸が壊れています。これは、トラウマになりそうです」
でも、奥さんが無事なら、門だいないんじゃないんですか、と私がLINEを返すと、ミズシマさんが「Mさん、それMさんらしいですね。力が抜けました。ありがとうございます」という返信がすぐに来た。
新宿区市ヶ谷に家がある大学時代の友人オオクボから深夜電話があった。
私は夜8時を過ぎた電話には出ないことにしているのだが、今回は緊急を要する場合を想像して出ることにした。
「すげえな、屋根が少しだけめくれた」とオオクボは言った。
オオクボは親が残した市ヶ谷の土地に一軒家を建てた。要するに、親の遺産でご立派な家を建てたということだ。
そのご立派な家の屋根が少々めくれた。台風は容赦ないのだわ。
おまえの一家は無事なのか、と私は聞いた。
「今のところは無事だ。みんな何かしら恐怖を感じているが、なんとか平静を保っている」
Hey Say !
屋根がめくれたとき、おまえのカツラもめくれたのか。
「俺はカツラじゃねえ!」
つまんねえやつだな。
俺だったら、屋根と一緒にカツラもめくれてまいっちまったよ、って言うぞ。
あれ、電話が切れたぞ。
まさか、キレたのか、オオクボ。
ちいせえやつだな。
川崎市中原区に住む、むかし母がお世話になった民生委員の方。今でもお付き合いさせていただいていた。
「あなたのお母様は、僕にとって理想の人でした」
「若輩者の僕を心の底から頼っていただいて、僕は教わることばかりでした」
「いま多摩川はすごいことになっています。氾濫してます。でも僕はいまは冷静です。あなたのご母堂が言った『なるようになりますよ』という言葉が心に残っています。
なるようになる。
それは、実際に被害にあっておられる方には不遜な言葉に思われるかもしれない。
ただ、私は、こんな台風を生き抜く「人間力」を経験したことがない。
だから、母の言葉を信じるしかない。
なるようになる、をいい加減だと思う人がいるかもしれない。
でも、こんなとき、人間はなにに向き合えばいい?
真面目人間の方々。
お願いします。
教えてください。