リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

バーチャルおとうさん

2020-08-12 05:27:00 | オヤジの日記

いつもお寄りいただき、ありがとうございます。
さて、このたび、私事ですがブログをお休みさせていただくことに・・・・・はなりません。
これからも、しつこく続ける予定です。
まぎらわしい言い方をして、申し訳ありません。すべての責任は、私にあります。

という前振りのあと、3回続けて、大食いのミーちゃんのお話。
もう飽きたという方は秋田にGO TOトラベルせずに、次の方のブログにお移りください。
前回、土曜日までの話はした。今回は、日曜日、月曜日のお話。
日曜日、朝10時前に起きた2人は、「おとうさん、おはよう」と元気よく言ったあと、すぐに「あつまれ どうぶつの森」をやり始めた。
どうぶつの森をやるのは初めてのミーちゃんは「ワクワクするぜ。これやりたかったんだ」と最初からリキが入っていた。
さすがに、嫁ぎ先では、よほど神経の太い人以外、ゲームはできないだろう。
娘は、アドバイス役に回った。アドバイスが的確だったのか、ミーちゃんは順調に島を作っていった。
私は、2人の邪魔をしないように、食材の買い出しに出かけた。
駐輪場に降りると、つるとんたんと名付けたハクセキレイが舞い降りてきて、テケテケテケと歩いて歓迎の舞を踊った。
私が、つるとんたん、買い物に行ってくるからまたな、と言うと、つるとんたんはスピースピーと鳴きながら飛んでいった。

1週間分の食材を買って帰ったら、娘とミーちゃんが台所に立っていた。昼メシを作っていたのだ。
我が家の昼メシの定番、焼きそばだ。
娘は焼きそばを焼く係。ミーちゃんは、あんかけを作っていた。あんかけやきそば、いいねえ。匂いが食欲をそそるね。
1時前にできた。みんなで食った。ミーちゃんだけ3人前の大皿。我々は、普通サイズのお皿だ。ミーちゃんは、これに丼ライスがつく。
無限大の胃袋を持つ人は偉大だ。胃大とも書く。医大ではない。
ところで、あんかけ焼きそばは、空前絶後の美味さだった。誰が作るあんかけ焼きそばよりも美味かった。嫁ぐ前の1ヶ月間、料理指南をしたが、そのときより5ステップ、スキルアップしていた。旦那の若チャマもお喜びだろう。
食い終わったあとの皿洗いも2人がした。もっとくつろいでもいいのに、働きもののが身についてしまったようだ。
いい嫁さんじゃないか。

皿洗いが終わると、突然ミーちゃんが言った。
「ねえ、おとうさん、テントはどこ」
そこまで覚えていたのか。
私は家族にさえ、自分の疲れ切った顔は見せたくない。ゴロゴロと寝転がる姿も見せたくない。
マックスに疲れたときや風邪をひいて熱を出したときなどは、ダイニングの隅っこに1人用のテントを設営して、潜り込んで寝るのだ。
これで、疲れは取れるし、大汗をかいて熱が下がることもある。魔法のテントなのだ。
ミーちゃんは、そのことを覚えていたのだ。お言葉に甘えて、隅っこにテントを張った。そのままでは暑いので、2箇所ある天井の窓を開けた。そうすると、うまい具合に部屋の冷気が入ってきて、快適空間になる。
ミーちゃんが気を利かせて、クリアアサヒと柿の種を差し入れてくれた。飲んでいるうちに眠くなったので、眠った。
起きたのは、5時半。
そのころには、どうぶつの森の島作りは、相当進んでいた。いくつか訪れるイベントは、経験できなかったが、ミーちゃんの満足度はレベル10だったようだ。

6時前からは、晩メシの支度を始めた。バンズが8個あったので、ハンバーガーを作るという。
パテを8個手際よく作ったのち、ソース作り。皮を剥いたトマトを潰して煮込み、塩コショウだけの味付けでトマトソースを作った。その上に輪切りのトマト、ピクルス、レタスを挟んで出来あがりだ。
サラダは数種類の具材を盛り付け、その上にドライトマトを散らし、すりおろしたアンチョビのディップを回しかけ、最後にバジルの葉をちぎったものを乗せた。
そして、スープは、かぼちゃのコンソメスープだ。
ハンバーガーは、我々家族は1個づつ。ミーちゃんは4つ食べた。満足だったようだ。私たちも大満足だった。
この日も、11時過ぎ娘の部屋に入るとき、ミーちゃんが「おとうさん、おかあさん、おやすみ」と言った。

おうおう、今晩も、実家を堪能して、いい夢見ろよ。

月曜の朝、昨日と同じく10時前に起きた二人は、ミーちゃんは簡単に荷造りを始め、娘は東京の有名どころのお菓子をミーちゃんに渡した。
有名どころを1つも知らない私には、まったく未知のものだったが、ミーちゃんは知っていたようだ。とても喜んでいた。
私がミーちゃんに渡したのは、有名どころのものではなかった。梅干しや明太子、高菜漬け、海老マヨなどの入った握りメシだ。しかもビッグサイズの握りメシが10個。これに、きゃらぶきが付く。有名どころでは絶対にないお土産だ。
昼に新幹線の中で食べられるように、保冷バッグに入れて渡した。
「おとうさん、ありがとう」と言って抱きつきそうになったが、すぐに我に帰った。
「あぶねえ、あぶねえ」

若チャマは、12時前に、友だちの運転するワゴン車でやって来た。
新幹線の時間があるので、我が家には上がらなかった。
私たちは、ここで見送るつもりだったが、ミーちゃんが「だって、駅で見送るのが家族ってもんじゃないの」と泣きそうになった。
私たちは、慌てて支度をした。ヨメと娘は、スッピンだったが、マスクでごまかした。私と息子もスッピンだったのでマスクでごまかした。
東京駅方面上りは、順調に流れ、余裕をもって駅に着いた。
新幹線改札の前の椅子に、ミーちゃんと娘と並んで座っていたとき、若チャマが近づいてきて言った。いつの間にか、態度に私への遠慮がなくなっていた。前はもっと緊張していたのだが。
若僧、そういうのって、俺は好きだよ。でも、ラブじゃないからな。
「おとうさん、今度は来年の正月に来ます。そのときは、おとうさんのお雑煮を食べさせてください」
わかった。パオーン。

みおくりのホームで、ミーちゃんが言った。
「もう東京と言えば、おとうさん、おかあさん、夏帆、おにいさんの顔しか浮かばないよ。すごいよね、家族の関係って」

泣くもんか。

最後に、全員で肘タッチをしてお見送りした。
さらば北陸新幹線。また来いよ北陸新幹線。
COME TO里帰り。

今回のことで、私は思った。
私は今までミーちゃんのバーチャルおとうさんだと思っていたが、実はとっくにバーチャルは取れていたのではないか、と。

バーチャルおとうさんから、おとうさんへ。


それは、ガッツ石松から、ガッツがとれた感じか?

 


パピーとおとうさん

2020-08-09 05:36:14 | オヤジの日記

土曜日の午後、大食いのミーちゃんが旦那の若チャマとやってきた。
8ヶ月ぶりの再会だ。

二人は、東京まで新幹線で来て、東京駅で待っていた若チャマの大学時代の友だちのワゴン車で、国立にやって来た。
あらかじめ友だちの家に送っておいたジャガイモ一箱をかついで、玄関に立った。
「お久しぶりでーす」と若チャマ。
ミーちゃんは、抱きついて来そうになったが、途中で気づいて、「ヤバっ、濃厚接触するところだった」と言って、エアーハグに切り替えた。
そして、ダイニングの椅子に座って、ミーちゃんが言った。
「あー、やっぱりここは我が家だわ。落ち着くわー」
いやいや、ミーちゃん、若チャマの手前、それはいかんのではないかい。
「いや、大丈夫ですよ。だって、ここがミーの実家なんですから。みんな実家はくつろげるものじゃないですか」と優しくフォローする若チャマ。大人だね。

ちょうど昼メシどきだった。本来なら、私が作るところだが、「お昼はお弁当にしよう。パピーに楽をしてもらいたいから、みんなでお弁当を食べよう。途中で買っていくから、注文を聞くよ」というLINEがミーちゃんからきたので、任せることにした。
ミーちゃんは、すぐにセキトリの祭壇に向かった。
拝んだ。拝んでいるうちに、感情が高ぶってきたのか泣き始めた。ミーちゃんもセキトリをとても可愛がってくれた。
「こいつでかいな。重いなl」と言いながら、抱きしめて全身に頬ずりをした。
そして、涙顔で振り返って、「パピー、セキトリのお骨が少し欲しいんだけど、いいかな」と言った。
ああ、セキトリも喜ぶよ。

昼メシだ。ミーちゃんは、唐揚げとごはん4パック、若チャマと友だちは、カレー系、ヨメと息子と娘は、ハンバーグ系、そして私はノリ弁だった。
ノリ弁は、やはり美味いね。クリアアサヒもうまいけど。
食っているとき、ミーちゃんが言った。
「東京も暑いけど金沢も暑いよ。思った以上に暑い」
それは、知っている。30年くらい前の夏、夏休みを利用して、ヨメと石川県の和倉温泉に行ったことがあった。
和倉温泉で2泊、金沢市内で2泊した。和倉温泉は、海沿いにあったので、暑さは和らいでいた。しかし、金沢市内は暑かった。東京と全然変わらなかった。というより、日差しは金沢の方が強かった。想像と違っていた。
観光をしているうちに、暑さに負けて、2時間おきくらいに店に入ってかき氷を食った。兼六園でも食った。
しかし、晴れているだけならいい。お空さんの機嫌が突然悪くなって、雷雨となり、ヒョウまで降ってくるのだ。お空さんの機嫌がよくなったら、今度は猛烈な日差しが戻ってくるから、それもキツい。
金沢は、暑いよね、それはよくわかる。

「でも私はまだ恵まれた方だと思うよ。若チャマやお義父さん、お義母さん、義弟さんは、毎日畑に出ているからね。私は、皆さんから、環境に慣れるまでいいからって甘やかされているんだ」
それを聞いて、若チャマに頭を下げた。
若チャマは恐縮して「いや、最初から1年で慣れるとは思っていないので、2年3年で一軍に上がってくれればと思ってます。ミーが今覚えるのは、スーパーの仕事の方です」と言った。
若チャマの家は、スーパーと野菜農家、卵農家をしていた。
ミーちゃんのお腹を満たしそうなものばかりだ。

昼メシを食べ終わった若チャマと友だちは、ワゴン車で杉並永福町の親戚の家に行き2泊することが決まっていた。
完全巣篭もり生活。2日間、家から1歩も3歩も出ずに、「鬼滅の刃」と「キングダム」を読み倒すという。
そして、月曜日の昼前に、また迎えにきてくれる。ゆっくり休んでね、若チャマ。
昼メシを食べたあと、ミーちゃんは娘の部屋のベッドに横たわった。
そして、「あー、疲れが取れるぅ」と言って寝てしまった。
疲れているんだね、ミーちゃん。嫁いでまだ1年も経っていないのだ。疲れていない方がおかしい。
実家で、思い切りくつろいでおくれ。実家は、そのためにあるのだから。

夕方5時過ぎに起きたミーちゃんば、「さあ、晩ご飯を作るぞ」と言って、四股を踏みながら気合を入れた。
夕食は、カレーだ。我が家では、土曜日はサタデーカレーの日と決まっていた。
それを覚えていたのだ。
この日のカレーは、キーマカレー。市販のルーを使っていたが、いくつかのスパイスを掛け合わせて刺激のある味になった。ミーちゃん、腕を上げたね。一緒に出てきたエビのツナマヨ、ポテトサラダも美味しかった。
塩と胡椒の配合が上手くなった。
若チャマもお喜びでしょう。
想定内だったが、ミーちゃんはご飯を4杯お代わりした。「お義父さん、お義母さんの前では、もう少し控えめなんだ。お代わりは3杯に抑えているんだ。今日は大満足だあ」。
3杯でも、すごいんだけどね。

夜は、ミーちゃんがベッド、娘は折りたたみのマットを床に広げて寝た。夜中の2時くらいまで、喋っている声が聞こえた。
おそらく起きるのは、10時過ぎだろう。
今日も完全巣篭もり生活だ。おそらく昼メシのあと、2人でNintendoのスィッチで「あつまれどうぶつの森」をやるに違いない。
娘は散々やっているから、このときはミーちゃんのサポート役だ。
今から、仲のいい二人の姿が、想像できる。
そんな姿を見るのが、親の喜びだ。

ところで、昨晩娘の部屋に入るとき、ミーちゃんが、振り返って「おとうさん、おかあさん、おやすみ」と言った。


意表をつかれて、なにも言葉が出なかった。

涙しか、出ねえ。

 


楽チンです

2020-08-05 05:25:46 | オヤジの日記

最近の私は楽チンである。
家族の朝メシと晩メシは、私が作るが、昼メシは交代制で家族が作ってくれる。
昼メシは、いつも焼きそば。太麺が、冷蔵庫に充満している。
焼きそばは、簡単にできる。炒めればいいのだから。
それでも、人によって味に好みと個性が出る。ヨメは、オーソドックスなソース味が好きだ。息子は塩味、もしくは鶏ガラ味。娘はお好みソースを使う。そして、大量にあおさとカツオ粉とマヨネーズをぶっかける。
どれも美味い。うまし。トゥース。大満足である。

ほかに皿洗いは、息子がやってくれる。風呂掃除、トイレ掃除は娘だ。ヨメは、部屋全体のお掃除。
私がしていた頃は、洗剤は基本1種類ずつだったが、いまは驚くほど多い。知らない種類が多い。みんな熱心ですわ。感心しますわ。
娘が言った。「おまえよく、こんな面倒臭いことを毎日やっていたな。だから、晩ご飯のころには、げっそりしていたんだな」。
今もそうだが、俺の目標は、家事のできるデザイナーなんだ。家政婦がパソコンをしているのと一緒だ。
でも、いまは負担が減って楽チンだ。これは、新型コロナによる唯一の恩恵だ。

ほかに晩メシで、家族に任せられるのは、餃子だ。
我が家には、娘の高校時代のお友だちがやってくる。昼に焼肉パーティー、たこ焼きパーティー、餃子パーティーなどを開く。総勢8人程度で、餃子を200個は食う。最初のうちは、大型ホットプレートを2つテーブルに並べて私ひとりが作っていた。だが、途中からみんなが手伝ってくれるようになって各段に楽になった。
そんなこともあって、私の家族も餃子作りの手際がよくなった。今では、完全に任せられる。楽チンだ。
バカ親父に負担をかけないように、みんなが気を使ってくれる。ありがたいことだ。
ただ、バカ親父は、怠けるととっととことん怠けるグウタラ男なので、これ以上、甘やかさないでくだされ。

さて、昼メシを食った後で、ひと仕事したら、今度はウォーキングだ。
ちょうど心地よい暑さになってきたので、歩いている最中に体が温まっていい感じになるのが気持ちいい。
月曜日も夕方5時前に歩いた。国立の大学通りを約50分。5キロ程度だ。
最近の私は、ウォーキングのときは、マスクを外す。密にならない屋外ならしなくても問題ないと思った。
しかし、この日は邪魔者が私の前に立ちはだかったのだ。70歳くらいの小柄な自粛ジジイだ。
そのご老人は、いきなり私に詰め寄って「なんでマスクをしないんだ」と怒鳴った。
え? ほかにマスクしていないひとは、たくさんいますけど。
自粛ジジイが、ジリジリと近づいてきたので、私は後退りした。1.5メートルのディスタンスを保った。
するとジジイが、「逃げるのか、バカもの」と怒鳴った。
ジイさん、冷静になりなさいよ。大学通りの人並みは、かなり余裕があった。全然密じゃないんだよ。
私は、こういう自粛ジジイのことを面倒臭いと思うタイプなので、相手をせずに横をすり抜けようとした。
すると、ジジイは私の手を取ろうとしたのだ。自分で密を作ってなんの意味があるのだ。
だから、触るな、と言った。睨んだ。ジジイは手を引っ込めた。ずっと睨んでいたら、ジジイは去っていった。

こういう人の正義感というのは、何なんだろう。役に立っているのか。役に立つ正義感をいくつ持っているのだろうか。
無駄とは言わないが、使い方を間違っている気がする。
ところで、いつも思うのだが、こんなとき常識的な人なら、意見されたら、「すみません。次に気をつけます」と言って穏便に話を終わらせるだろう。
しかし私は見当違いで自分勝手な正義感を振りかざす人が嫌いなので咄嗟に反発してしまうのだ。いつまでも大人になれない私。

自粛ジジイのことは忘れて、家に帰った。
仕事場の机に置いたスマートフォンを手に取った。
昔から私は、1、2時間程度の外出のときはスマートフォンを持ち歩くことはしない。どうせ画面をひらかないのだから持ち歩く意味がない。
かかってきたとしても緊急の電話やLINEなどは、来ないのだ。来たとしても、後で連絡すればいいことの方がほとんどだ。
このときは、金沢に嫁いだ大食いのミーちゃんからのLINEが来ていた。
早速、iPadを立ち上げて、みーちゃんを呼んだ。
ミーちゃんは、気が急いたように画面の中で早口で言った。
「パピー、今度の土日に里帰りしたいんだ。いいかな」
拒む理由など、ございません。ウェルカムカムでございます。
若チャマと一緒に北陸新幹線で来るという。こんな時期に東京に来て若チャマのご両親は呆れなかったかい。
「お義父さんもお義母さんも義弟も、『全力で隠す』と言って応援してくれたの」
いいご家族だね。
「あのね、パピー。今回は完全巣篭もりだから、昼ごはんと晩ごはんは、私が作るね。パピーは楽をしてね。この2日間は、パピーの夏休みにして」
それは、楽しみだ。で、何を作ってくれるのかな。
「それは、内緒。楽しみにしといて」
わかった。米はたくさん用意しておくから、任せておきな。ほかに何か必要なものはあるかい。
「ドライトマトくらいかな」
ちょうど自家製のが大量にある。安心しなさい。
「パピー、あらためて言わせてもらうけど、パピーたちと暮らしていたころ、私は幸せだったよ。そして、今も同じくらい幸せだよ。今回は、幸せな私を目に焼き付けてね」
焼き付けたら目が焼けてしまうがな(もう泣いている)。

事情のわからない人のために、補足説明。
大食いのミーちゃんは、中学3年の4月から高校1年の7月まで、我が家に居候をしていた。親の離婚調停に嫌気がさして、我が家に転がり込んできたのだ。
離婚調停が終わって、親権は母親が持った。母親と折り合いが悪かったミーちゃんは、父親について行きたかったが、それは叶わなかった。
だから、離婚調停が終わっても我が家に住み続けた。ただ、いつまでも住むわけにはいかない。我々は、それでもよかったが、世間が許してくれない。
家に帰って、母親と妹、弟、祖母との暮らしに戻った。そうこうしているうちに、離婚から1年足らずで、父親が再婚した。それ以来、父親とは没交渉だ。
ミーちゃんは、土日には必ず我が家に泊まりにきた。「パピー、みんな、ただいまー」と言って。
それから、ミーちゃんは大学に進学した。それと同じ時期に祖母が亡くなったので、ミーちゃんは、その部屋を1人で使えるようになった。それまでは、妹と弟の3人で一部屋を使っていた。だから、だいぶ自由度が増した。
それでも、毎週我が家に泊まりにきていたが。
ミーちゃんとは、そんな濃い関係性があった。

「とにかく、パピーには楽をして欲しいんだ。一緒に暮らしていたころ、毎日夜遅くまで働いて、朝早く私たちのお弁当を作る姿を見て、この人は私の本当の親なんだって思ったよ」
涙が、止まらない。
「今回の里帰りは、パピーのための楽チン旅だから、タップリ休ませてあげるよ」
「あ、それに、私マッサージが上手くなったんだよ。毎日若チャマの肩を揉んでいるからね。パピーの肩も揉ませてよ」
いや、それはいいかな。俺、肩が凝らない体質なんだよね。ただ、もし気持ち悪くなければ、ふくらはぎを揉んで欲しいな。最近いつもふくらはぎが夜になるとだるくなるんだ。
「まかしとけ」

あー、楽チン楽チンチンチンチン。

楽チンを存分に味合わせてもらいましょう。

ところで、私はそのとき思った。
子どもが大きくなるというのは、こういうことなのだと。
親に楽をさせるために、大きくなるのだと。


存分に、楽をさせてもらいましょうか。
 


幸せの風

2020-08-02 05:28:25 | オヤジの日記

テクニカルイラストレーターの達人・アホのイナバ君から、段ボール2つ分の野菜が届いた。

かなり大規模な家庭菜園で、イナバ君の奥さんが栽培しているものだ。
トウモロコシ、ヤングコーン、枝豆、ナス、キュウリ、ミニトマト、ラディッシュなど。
助かりますわ。ナスはいま高いし。
早速パソコンで会話した。
はーい、イナバ君、アッホー。
「はいはい、アッホー」
今回もありがとうね。早速トウモロコシを食ったけど、うまかったね、みずみずしくて。
「ああ、今回のは美味しくできたって、奥さんも喜んでました、今年のトウココロモシは上出来だって」
うん、俺もそう思う。日照時間が短いのに、よくあそこまでできたね。
「奥さんが使っている日野の菜園は、まだ比較的日が届いたみたいです。それに僕にはわかりませんけど、いろいろ工夫をしたそうです」
奥さんは、研究熱心だからね。もうノウハウを身につけたんだろう。家庭菜園のプロだね。
「ところてん、今度うちの奥さん、味噌作りも始めたんですよ。Mさん、味噌好きですか」
日本人で味噌の嫌いな人が、いるのだろうか。味噌は万能調味料だ。肉、魚、野菜、その他どんな食材にも旨みを与えてくれる。
もし調味料選手権があったら、私は絶対に味噌に投票する。それくらい偉大な王者だ。
「え? 調味料選手権なんて、あるんですか」
ないよ。
ということで、半年後くらいに、イナバ君の奥さん手作りの味噌をいただけることになった。あらためてイナバ君は、いいひとと結婚したものだと思う。

ここで、イナバ君の許可を得て、イナバ君夫妻のプライベートを暴露しようと思う。
アホと聡明な美女は、どうやって知り合ったのか。それは、いくつかの偶然の重なりによるアホンタジーだった。
当時イナバ君は、東京青山のイラスト事務所に勤めていた。18年前のことだった。
ランチタイム、いつも通うカフェがいつもよりかなり混んでいた。いつもは、テラス席は満席のことが多かったが、店内はそこそこ空きがあった。しかし、この日は店内も混んでいた。順番を待っている人はいなかったが、食べるためには、待たなければならないだろう。
そのとき、入り口でボーッと立ち尽くしたイナバ君に、店員さんが来て言った。「相席でもよろしいですか。よろしかったら、お客様に伺ってまいりますが」
ランチなんて、10分もあれば食える。10分くらいだったら、気まずくてもいい。
伺った結果、OLさんの席に案内された。会社の制服を着て、1人でランチを食べていた。お互い「どうも」と挨拶した。
向かいの人は、パエリアを食べていた。うまそうだっだ。だからイナバ君も「パエリアを」と注文した。そのとき、向かいの人が顔を上げてイナバ君を見た。目があった。
恋が芽生えた。なんてことはない。
イナバ君は高速でパエリアを食い、「どうも」と言って店を出た。10分もたっていない。

その夜、イナバ君は会社の帰り、自宅のある最寄駅の阿佐ヶ谷でカレーを食って帰った。そして、家に帰るとでっかいカゴに入れた洗濯物を抱えて、すぐ近所にあるコインランドリーを利用した。週に1回1週間分の洗濯物をキレイキレイするのだ。アパートに洗濯機はあったが、部屋干しが嫌いなので、完全乾燥のランドリーを利用していた。
夜の9時過ぎ、店内に人はいなかった。そして、イナバ君が店に入ってから5分もすると、店に女性が入ってきた。上下グレーのジャージ姿だった。その人が「あら」と声をかけた。見ると、ランチタイムにカフェで相席した人だった。
阿佐ヶ谷に住んでいたのだ。イナバ君は、少しドキドキした。そのとき恋が芽生えた。なんてことはない。
そのひとは、洗濯物をセットしてコインを入れると椅子に座った。なぜなら、そこに椅子があったから。
このときは、自宅の洗濯機が壊れたので、たまたま利用したのだ。
イナバ君は、思わず女の人に声をかけた。「結婚を前提にお付き合いしてください」。そんなことはない。
「このあたり治安はいいんですけど、酔っ払いが多いんですよ。この間も酔っ払いが突然入ってきてゲロしてましたからね。僕が洗濯終わるまで見てますから。いったん家に帰ったらどうですか」
「え、でも、そんなこと」
「待っている時間があったら、その時間で、ほかにやることがあるでしょう」
イナバ君の説得に女の人は従った。イナバ君のことを信じたようだ。

乾燥が終わって洗濯物をカゴにぶっ込んでから、5分もしないうちに、女の人が戻ってきた。ちょうど洗濯が上がるころだった。女の人は、乾燥機は使わないようだ。洗濯物を大きめのランドリーバッグに入れて。イナバ君にお礼を言った。「結婚してください」。そんなことはない。
コインランドリーを出ると2人は、道の右と左に分かれて帰った。
普通なら、話はここで終わりになるはずだ。しかし、終わりにならなかった。この世には、人に「幸せの風」をふかす何者かがいた。
二人のまわりに、その風が吹き始めたのだ。
ヒューーーー。
それから2人は、阿佐ヶ谷の商店街で、すれ違うようになった。おそらく今までも何度かすれ違っていたのだろうが、そのときはお互いがお互いを認識していなかったから気づかなかったのだ。
すれ違うたびに、その都度、短い会話をした。
そんなことが続いた2002年9月吉日。日曜日の昼間にまた2人は道で出くわした。
そのとき、イナバ君は手に小さなラジカセを持っていた。それを指差して、彼女が言った。「どうしたんですか」
「僕、毎週日曜日に、近所の公園でダンスの練習をしているんですよ、だから、今日も行くんです」
「あ、見せてもらっていいですか」
公園に彼女はついてきた。
公園の定位置に立って、イナバ君はラジカセのスイッチをオンにした。
早速、踊り始めた。曲は、マイケルジャクソンの「ビリージーン」だった。
それを見た奥さんは、驚いた。完全なマイケルのコピーだった。そして、奥さんは若い頃からマイケルジャクソンの大ファンだったのだ。
そのとき「幸せの風」が強く吹いた。ビューーーー。

それから2人は、たまにプライベートで会うことになった。
ドライブ、食事、ライブ、アート展鑑賞、星空教室などに行った。
イナバ君の胸に、徐々に変心恋心が芽生えていった。ビュビューーーー。
そして、星空教室の帰りの車の中で、イナバ君が生まれて初めて真面目な顔を作って言った。
「僕、目の前の人を好きになってしまいました。どうしたらいいですか」
「どうしたらって」
「結婚したいです」
もちろん彼女は婚約いや困惑した。アホはいつも唐突なのだ。
困惑した彼女は「この話はいったん持ち帰らせてください」と答えた。
「持ち帰り、テイクアウトですね。わかりました」
その後、2週間、イナバ君は、ドキドキしながら返事を待った。
2週間目の日曜日、「ラジカセを持って、公園に来てください」という連絡が、彼女から来た。
走って公園に行った。彼女は、もう来ていた。そして、いきなり言った。「結婚します」。そんなことはない。
「お願いがあります。ビリージーンを踊ってください」
困惑しながらもラジカセオン。
マイケルジャクソンになりきって、踊りきった。
たった1人の観客の前で、イナバ君はスターになった。
彼女が言った。「記念日には、これをいつも踊ってくれますか」。
ということは?ということは?ととととということは?
それを聞いたイナバ君は、ムーンウォークを踊りながらクルクルと回った。あまりに高速すぎて、月まで届きそうな勢いだった。

あれから16年、夫婦の間には、幸せの風が吹き続いていた。
なぜ奥さんが、世界のはてまで行ってQしても探し出せないアホと結婚したのかは、わからない。私が思うに、きっとそれは幸せの風のおかげだと思う。

ところで、このアホンタジーには、ただ一つ脚色があります。イナバ君の会話の部分です。当時のイナバ君の言葉遣いは、こんなにキレイではなかったのです。
アホは、20代後半のくせにタメ語しか使えなかった。目上の人に対してもそうだ。そして、一般常識を驚くほど知らなかった。
5年間、奥さんと私が協力して、言葉遣いを矯正した。その結果、一般人に近いところまでレベルを上げることができた。
ただ、一般常識に関しては、それほど強く矯正しなかった。それを直してしまうと、イナバ君の個性が死んでしまうと思ったからだ。

記念日には必ずビリージーンを踊るイナバ君。そのときも二人の間には、幸せの風がビュビューッと吹いているに違いない。


ちなみに、初めて見たビリージーンの衝撃が強すぎたのか、奥さんはそれ以来イナバ君のことを「ビリー君」と呼んでいた。