モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

職場の愚痴・・・のその後のその後

2020-02-23 12:52:55 | 日記

あまり人への愚痴をあげるのもどうかと思うのだが、

先月、このブログで「職場の愚痴」のその後・・・を綴り、今回はその後日談。

端的に言うと、ユババがグループの異動をさせられることになった。

ユババというのは、60代女性、一応同僚だが、職歴はかなり浅いのに、

口がうまいのか、特に上司を自分の思うように操って、周りは大迷惑だった。

その上司が、先月末で時期外れの異動で転勤。

すると、今までのユババの素行をずっと見ていた隣の部署の上司が、

新しく来た直属の上司に、今までの状況を伝えてくれたうえで、

このままでは、仕事の上でも支障が出ると判断されたのか、ユババの異動ということになった。

ユババの異動先は、ユババの意見など簡単に通用する雰囲気でもないグループだ。

ふつう、我々なら絶対に異動しないグループ・・・だから、

逆に、自分は上司に聞いてしまったくらいだ。

「この異動は、ユババ(とは言わずに姓で言ったけれど)さんの希望ですか?」と。

すると上司は「今まで振り回されてきたの、分かってるから・・・ここのグループから出た方がいいだろう?」と返してきた。

正直言うと、自分は、もうユババとは接触しないようにうまくやっていたので、

どっちでも良かったわけだが、

また、今後何か企みを仕掛けてくる可能性もあったので、その懸念はなくなった。

ユババ、驕れるものも久しからず、だったね~。

でも、どうなんだろう。

案外、次のグループでうまく立ち回りそうな気もする。ユババなら。

ユババは女性には圧倒的に好かれないが(平気で後輩を泣かすなど、辞めた人も数人)、

男性には態度をコロッと変える分かりやすい人だから、

男性が多い次のグループは居心地がいいのかもしれないなぁ。

それならそれで、自分はいいのだ。

でも、やっぱり今後のユババの動向は気になる。職場の同僚も皆、そう思っていると思う。

偶然だが、このブログで職場ネタをあげて、すぐの展開で、自分もちょっと驚き

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給湯器、交換へ。

2020-02-13 17:24:54 | 日記

このマンションに引っ越してきて16年が経とうとしている。

世の中的には、どうなんだろう、給湯器とか。

我が家では数年前から、

使えないことはないけれどちょっとイカレ気味な機器が出てきた。

数年前には、ビルトインガスコンロのスイッチが1個壊れて、3つ口コンロを2つでしのいでいる。

昨年は、お風呂場にある換気扇から温風が出なくなって、乾燥モードが使えなくなった。

ちょっと前に、お隣さんがキッチンのリフォームを始めるってんで、

工事の同意書(近隣の住戸のも必要らしいですね)を持ってこられた。

そのことを相方(夫)と話題にした時に、

相方「そういえば、お隣、給湯器の音がすごく鳴ってるもんな」と言っていて、

自分も、ガラガラ聞こえるのはお隣の給湯器と思い込んでいたのだが・・・。

実は恥ずかしいことに、ベランダ方面でガラガラ鳴り響いていたのは、

我が家の給湯器だったのだ、ショック

壊れるのも時間の問題かと憂慮し、早速、マンションの系列の便利屋さん的なところで、

見積をしてもらった。

ガラガラ鳴っていた給湯器は、中の部品が破損していて、

それが回転する際に何かに当たっているらしく、そのせいで異音がしていた(とりあえずは使える状態)。

ガスコンロとお風呂場の換気扇も、経年劣化だから仕方がない。

この3つの交換で・・・工事費、消費税、を含めて、76万円ですとワ~オいくすぺんしぶ

ひょっとして、もっと安く頼めるところがあるのかもしれないが、

相方も自分も、色々考えたり動いたりするのが得意ではないので、

ここで、交換などをおこなってもらうことにした。

もっとも、相方は当初、「100万くらいかかるかもな」と言っていて、

それに対して自分は「バカ言ってんじゃないよ~そんなにかかるもんか~」と楽観的だったが、

相方の大袈裟な見立てのおかげで、ショックは少なめに済んだ。

そして、先ほど、その支払いを済ませたところなのである。

支払いは現金だったが、某ポイントが付くそうで、ちょっとニンマリ

あとは、工事の日までに、家の中をある程度片付けなければ。

給湯器、キッチンのビルトインガスコンロ、お風呂場の換気扇、

それぞれ、思いがけない恥ずかしい汚れなど付いてなければよいが。

例えば、「まっくろくろすけ」みたいな埃の塊とか。

思いがけない出費となったわけだが、持ち家に住む限り、

これからも色々なメンテナンスが必要になるのでしょうね。

偶然だが、マンションのローンが今月で終わったのだ。

繰り上げ返済を何度もして、夫婦で頑張ってきたのだと感慨深い・・・、

・・・のもそこそこに、我が家にとっては大出費の出来事でありました。

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職場の愚痴・・のその後

2020-01-25 17:49:18 | 日記

2020年も早1か月が過ぎようとしています。

最近の出来事と言えば・・・上司の時期外れの異動発表だろうか?

2年ほど前の3月にこのブログで職場の愚痴をつづって、少し気を晴らしたのですが、

(こんな事で気が晴れるということもないのだが、何かにぶつけたかったのか、自分は

その後、新年度と共に直属の上司が替わって、

その時に、愚痴の対象だった年上の後輩「ユババ」が、どういう手段を使ったのか知らないが、

新しく来た上司にうまく取り入ったのだった。

その上司は、人柄は悪くないのだが、ユババの言う事を何故か信用してしまい、

周りはそれに振り回される日々となってしまった。

自分自身は、2年前にユババとは少し距離を置くグループになったので、

仕事で関わることは少なくなったけれども、

それでも、ユババがこちらに対して競争心を持つことがあるのか、

たまに茶々を入れてきたので、1年半ほど前にみんながいる前で、

「あなたは私の上司ですか?放っておいてください。」と言ってやったら、

それからは自分に対してはおとなしくなったような気がする。

しかし、ユババは凄かった。

ユババより後に入ってきた人間をうまく使って(直属の上司も含め)、

思い通りに周りを動かそうとしたのである・・・しかし、そうそううまくいくわけもなく。

正直言って、自分自身はユババの素行に対してはもう、どうでもよくなっていたので、

高みの見物的に見ていたが(失笑と共に)、

仲が良い同僚たちが被害にあってたりするので、気分は悪かった。

どうして直属の上司はユババの言う事を聞いてしまうのか、

それはかねてよりずっと疑問だったのだ。

私など、「媚薬でも飲まされたのか?」と冗談で言うくらいに。

数か月前に、ユババの被害にあっていた同僚(男性)が、直属ではない別の上司に訴えに行った。

「ユババ(60代女)と直属の上司(40代男)が特別な関係なのではないか?」と。

それを聞いて、自分を含めて仲のいい同僚たちは「そんな事あるわけない」と大笑いだったのだが、

そう思われても仕方がないほど、ユババの言う通りに直属の上司が動いているので、

その話は噂話として、回ってしまったようだった。

12月の下旬に直属の上司から呼び止められた。仕事の話の後、

「俺の話、何か聞いてる?」と聞いてきたから、言っていいものか迷ったが、

「ユババさん(とは言わずに、姓で言ったが)と不適切な関係の話のことですか?」と。

上司「そうか、そう見られることになるのか・・・」とうなだれていたが。

噂としては、ほかにも色々な話を聞いていたのだが、細かい話は上司には伝えなかった。

実はこの上司が着任して2か月後くらいに、ユババがらみで困ったことがあったので、

その時に「ユババさんは以前から自分勝手に周りを振り回す」とこの上司に訴えたことがあるのだ。

しかし、結局、この上司は我々多数の意見を拾わず、ユババの言う事を取り入れてきた。

それ以来、あきらめたのだ、言っても無駄だと。

それどころか、新たに入ってきた人をユババに付けて、ユババが働きやすいようにしたり

(これも、ユババの要望だろうとみんな言っている)、

ユババが事故を起こしても処分が緩いとか、

周りの人間からすると、もう、ユババと上司に関して、疑念が膨らむだけだったのだ。

そんな中、直属の上司の時期外れの異動話である。

例の噂話が関連付けられての異動ではないかと、勘繰る人もいた。

自分はこの上司のことは嫌いではなく、感情に左右されない上司だから、信用したかった。

昨日、その上司と話す機会があった。その時に思い切って聞いてみた。

「自分は、ユババさんとの噂は信じてないので敢えて聞きますけれど、

どうして、ユババさんの言う事がまかり通ってしまうことになるのですか?

その為に、嫌な思いをして辞めてしまう人とか、振り回される人がいます。今後の参考にしたいので」と。

上司「ユババさんに仕事の内容の提案をされると、それがいいことだと思って、やってきた。

たまたま、自分が思ってきた改善点と似たようなビジョンだったから、多少強引でも、ねぇ・・。」

ちょっと弁解のように聞こえたが、仕事での意見の一致と言われれば、そうなのだろう。

我々はユババの性格()を日頃から見ているが、

上司はユババの性格ではなく、仕事面を重視して見ているということだ。

確かに、ユババは頭の回転はいいし、弁が立つのである。

まずは口のうまさで上司を攻略して、自分の思いのままに周りを動かそうとした。

前任の上司の時もそれに近いことをしたが、

その時は自分も信頼していた先輩がやんわりとユババを抑えていて、

先輩が退職したとたんに、ユババが色々企み始めたのだ(それが、2年ほど前の出来事)。

ちなみに、その時、うっかり企みに乗っかってしまった同僚の Yさん。

今では、被害者側にまわり、被害者ヅラしてるけれど、我々は、そういう人も、もう信用しないよ

結局、ユババは何をしたかったのだろうか。

俗に言う、マウンティングかな。

仕事に対して真面目に取り組んでいれば、自然と周りはついてくると思うけれど

今回、直属の上司の異動話が出たときに、ユババは涙ぐんだらしい。

操れた上司がいなくなることの無念か。

大方の同僚は「どうせパフォーマンスじゃん」と言ってるが。

我々は「次に来る上司が、ユババに染まらないように」というのが願いだ。

ユババの後から入ってユババの後輩となった人たち(おとなしくて反論しなさそうな)も、

ユババの定年まで我慢するていでいるような気がする。

ユババの定年後再雇用も、できれば止めてほしい。みんなの願い。

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秋に歌いたくなる歌

2019-10-06 13:02:22 | 日記

ビワ(と思われる)の葉っぱ 、ゆっくりと4枚になりました。

寒くなると枯れてしまうのか、よく分からない。ちょっと心配。

 

 小学校高学年、中学生の頃、合唱団に入っていました。

毎年秋に定期演奏会があり、それ以外にも地域のイベントに出演したり。

その頃、先輩たちが歌っていた合唱曲、

「四つの秋の歌」・・・三善晃作曲・高田敏子作詞は今もとっても好きで、9月に入ると口ずさんでしまいます。

合唱団ではこの曲を歌えませんでした。

入団1年目で小学生だったので、まだ歌わせてもらえなかったのでした。

アルトパートはハミングが多い印象ですが(子供の頃は歌詞が少なくて可哀そうと思った)、

ハーモニーが子供心に美しく、ピアノの伴奏もポロポロ~ンと高く軽いところとか、

歌詞も、場面を想像すると、気持ちが落ち着いてくるような・・・そんな感じ。

結局、合唱としては自分自身体験できないまま、秋が来ると口ずさむ。今年も。

先々週に栗を頂いたので、数年ぶりに渋皮煮を作ってみました。

砂糖が控えめだったかなぁ・・・とちょっと反省。

甘さ控えめが好きだけれど、やはりある程度甘みを強くしないと「お菓子」にならんのね。

おいしいはおいしいけれど、ね。

そして、先週は、相方(夫)が会社から「蒸し栗」のサンプル品みたいなのを1㎏ももらってきて、

連日、栗ご飯だのなんだの・・・ということになりました。

このところ、ちょっと仕事が忙しいので、ゆっくり調理するということもできないので、

凝った事ができないのが残念。

今日は、娘Bと相方は、ラグビーを見にスタジアムに行ってます。自分はテレビで観戦しよう。

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2019年7月のつぶやき。骨髄バンク卒業

2019-07-15 16:30:52 | 日記

 連日、小雨や曇天続きです。涼しめ。

暑い暑い・・・と言っているのと、どちらがいいのでしょうかね。

先日、日本赤十字社からハガキが届きまして。

骨髄バンクに登録しているので、その関係だとは思いましたが、

内容は、登録の継続の意思があるかどうかの確認のものでした。

というのは、自分が登録した時の年齢要件は、「満50歳まで」。

その後、見直しされて「54歳まで」引き上げられたので、継続するかどうか・・・ということです。

骨髄バンクに登録した頃は、今ほど骨髄バンクはメジャーではなかったと思います。

登録した日には、NHKのカメラが入って、「取材があるかもしれません」と言われました。

そして、少し質問されたような気がしますが…内容は覚えていません。

その日の夜、NHKの「首都圏ニュース845」を相方(夫)が見ていたら、

「お~い、なんか映ってるぞ~」と。

そしたら、斜め後ろからズームアップで撮られていてびっくり(横顔が少し)。

インタビューは採用されていなかったけれど、採血の後のリラックスした様子も映って、少しウケました。

ちなみに、NHKに映像をダビングしたいと電話で尋ねたら、断られた

その後、郵便で送付される骨髄バンクニュースにも、問診を受ける自分の後ろ姿が表紙になっていた。

そんなこんなで、20年以上が経ちましたが・・・。

一度も一致(提供依頼)の連絡は来ませんでした。

自分の祖父は、50代で、血液の病気で亡くなっています。

入院先のベッドの上での姿しか覚えていません。

高校2年生の時には、小学生の頃に地元のポートボールチームで仲が良かったアリちゃんが、

血液の病気で亡くなりました。

バンクに登録する少し前には、高校の後輩が白血病で亡くなりました。

特に若い二人の死は、ただただ悲しかった。

そんなこともあって、登録する気持ちになったのです。

アリちゃんのことは、今でもたまに思い出します。

自分が小学校を卒業して、その春休みに引越しした時、

引越しの当日に見送りに来てくれたそうで

残念ながら、自分は一足先に出発していて、会えず、

代わりに妹が見送られたと、あとで妹が教えてくれました。

引越し先には一度遊びに来てくれましたが、あとは部活などで会えないまま、中2の時に発病がわかり、

もう、会えることはありませんでした。

告別式には、ポートボールの友人と参列したけれども、悲しくて写真は見れなかったです。

アリちゃんは今思い出しても、人格者(小学生時代の彼女に言うのもなんだが)でした。

骨髄バンクのことから、昔の友人のことに思いを馳せてしまいましたが・・・。

話は元に戻りますが、バンクに登録し続けて、もし、一致の連絡が来たら・・・。

今の自分に、骨髄提供の元気があるのだろうか?

会社の健康診断でも、血液の数値がよく引っかかるし。

我が家では、娘Bが数年前に登録したから、もう、バンク卒業でもいいのかな。自問自答の7月。

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戸越銀座を友とぶらぶら

2019-06-30 14:28:21 | 日記

先日、高校時代の友人Kと7年ぶりに会いました。

Kとは高校卒業後の学生時代に、一緒にオーストラリアに旅行に行ったりして、

気心が知れている仲です。

会おうと思えばもっと短いスパンで会えるのかもしれないけれど、

なんとなく、日が過ぎてしまったね~。

「どこで会おうか」という時に、これもなんとなく、戸越銀座に行ってみようということになりました。

Kは足は速いが、生粋の文科系人間で、たいして自分は、高校時代も運動部活中心だったので、

Kとは、放課後に遊ぶということはできず、自分の部活がたまに休みの時、街歩きなどをしたものだった。

自由が丘とか、横浜の山手方面とか、代官山とか。

ネット情報が無い時代だったので、多分、るるぶとかの雑誌でKがお店の情報を調べてくれたのだろうな。

その頃のお店のこととか、自分の記憶の中で、かわいいおもちゃ箱に入れられたように入っています。

7年ぶりの再会・・・顔を合わせた途端、お互い笑う「変わってないね~」と。

多分、細かいところでは年相応に老化しているのだが、不思議なことに本当に変わってないと感じる。

2週間前に中学時代の友人たちと会った時も、こんな感じだったし。

戸越銀座はテレビの情報番組などで、ぶらつくのが楽しそうだったので行ってみましたが、

思ったより、チェーン店が多いのですね。

賑わっている印象だけれども、個人でお店をやっていくのは大変なのでしょうね。

そんな中、Kと喋りつつ、お惣菜をちょっと買ってそこで食べたり、おしゃれなお店を覗いてみたり。

途中ホットケーキのお店に入ったりしましたが、5時間くらい、行ったり来たり、4往復くらいしたのではないだろうか

そうそう、この日は天気予報では傘マークがついておりましたが、

またもや、晴れ女(←自分)の念が強かったのか、曇りでお散歩にはちょうど良く

Kはメインストリートから横道に入ったところのお店も気になるみたいで、

喉が渇いたね~と、横道を覗いたところで「コーヒー」ののぼりを見つけて、

アイスコーヒーを注文したら、もう、カップに半分もないということで、

1杯¥300のところを、¥100で販売してくれて、

縁台みたいなところにKと二人で腰掛けて、ゆっくりアイスコーヒーを味わいました。

アイスコーヒーにマドレーヌもついていたので、店主のおじさんに「赤字になっちゃいませんか?」と聞いたら、

「コーヒーは儲かるから大丈夫だよ」と言ってたけれど、ほんとかな?

なんだか我々らしい、お散歩の一コマ。なんか楽しい。

その後、夕飯のおかずになりそうなものを少し買って、戸越銀座をあとにしました。

そうそう、ちょっと驚いたのが、自分が手帳をバッグから出したら、Kが「同じのを使っている」と出してきた。

気が合いすぎでしょう

お互い、子供のこととか、健康のこととか、気にかかることはあるけれども、

こうしてたま~に会っても昔のリズムでいられることに、感謝です。Kありがとうね。嬉しい散歩でした。

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30年ぶりくらいに恩師と会った

2019-06-16 10:30:14 | 日記

  先日、およそ9年ぶりに、中学時代の友人たちと集まりました。

きっかけは、我々が中学1年生の時の担任の先生が、そろそろ退職するのではないかと・・・、

それなら、お花でも送りたいね~・・・と友人たちと連絡を取り、

そこから、「では、ランチでも…」という流れで、集まりました。

結局のところ、担任の先生は再任用という形で定年後も先生を続けていることが分かったのですが、

ランチに誘ってみたら、来てくださるということで、

ちょっと、特別なランチとなりました。

先生は、我々が中学入学の時に、新卒で先生になって、

なおかつ、我々が入学と同時に中学校が開校となったので、

何もかもが新しい感じで、これから作り上げていく感がみなぎっていたのでした。

そんなこともあり、先生と我々は多分、仲が良かった(というと語弊があるかもしれませんが)です。

でも、かなり叱られました

げんこつで叱られることも、何度もあり・・・。

現在なら、体罰で騒がれるのかもしれませんが、

昭和のこの頃は、金八先生みたいに熱い先生というのに、近かったのかもしれません。

・・・ちなみに、先生は男性ですが、我々は誰も先生に恋心を抱かなかったなぁ

今だったら、「え~っ?」ってなるのかもしれませんが、

我々はたくさん同級生を募って、30人くらいで先生の親戚の畑で、スイカ狩りをしたり、

中学を卒業してからは、7人くらいで先生のお宅に遊びに行ったり、

先生にとっても、思い出深い生徒だったと思います。

そのうち、それぞれ忙しくなり、自分自身は先生とは年賀状だけのお付き合いでしたが、

今回、お会いするのは多分30年ぶりくらいで・・・。

さて、ランチの当日、我々友人たち(7人)もしばらく会ってなかったから、

お互い「老けたなぁ・・・」とか思ったりするのかなぁと心配しましたが、

「変わらないね~」で再会を果たし、

・・・そして先生、待ち合わせ場所ですぐに分かりました。現役の先生だからか、枯れてない

ランチは和食のお店で、友人Yが予約してくれたのですが、

一つ一つのお味が、おいしかった~

先生が、我々の中学生時代の写真とか持ってきてくれて、

本来は、我々が用意するべきところなのに・・・いやぁ懐かしかった。

そして、先生の記憶力のすごさ。

40年も先生やっていても、初期の頃だからか、色々覚えていてくれてびっくり。

もっとも、げんこつの話になったところ、

自分は先生と隣だったので表情が分からなかったのですが、

あとで友人Yが「あのげんこつの話になった時、ばつが悪そうだったよ」と教えてくれた。

げんこつのことはさておき、先生の教えもあってか、

自分は、「ごまかさない生き方」に近づけるよう、心掛けてきました。

近づけるように心掛けるだけで、徹底はできていないけれど

先生は60代前半で、我々は50代前半・・・なかば、同年代になってしまったのだな。

また、会える機会を作ります。先生、自分の生き方の一つを作ってくれてありがとう。

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横浜 大さん橋で

2019-04-30 10:21:43 | 日記

もう1週間以上前のことですが、

家族5人で横浜の大さん橋へ出かけてきた。

相方(夫)、娘A、娘B、末っ子息子、そして自分。

娘B(24歳)は旅行というか、船に乗って世界一周のクルーズへ旅立った。

その見送りにその他の家族は物見遊山的に行ってきた。

幸い天候は良く、見送りには最適な日和だったのではないかしら。

自分は、大さん橋へ来るのは初めてで、

大さん橋のバス停は、小学生の頃通っていた合唱団の練習場所が近辺だったので何度も来たけれど、

桟橋に入るのは初めてだった。ちょっとワクワク

娘Bは出航の2時間以上も前に乗船(出国)手続きの為にゲートの向こうへ。

我々家族は「行ってらっしゃい」というごく普通の見送りだったが、

中には涙しながら、または大騒ぎで見送っている人々もいた。旅行のはずなのだが

このクルーズは、自分が学生の頃(30年位前)はちょっと政治活動的なイメージがあったので、

娘Bが参加を決めた時も「宗教とか、政治活動には気を付けて」とくぎを刺してしまったのだが、

現在は年配の方の参加が多いらしく、

どちらかというと比較的手頃に(とは言え、100万円は超える金額)世界を回れるツアーという位置づけらしい。

娘Bはせっかく得た仕事(親から見ると勿体ない!)を退職し、

世界を見たいということで、さっさとツアーに申し込んでしまった。

仕事は好きだったみたいだが。

世界を見たいなら、バックパッカーにでもなって、

もっと貪欲な、不便極まる旅でもすればいいのに・・・と思いつつ、

やはり、それは親としては怖いもので、

船旅は洋上の時間が長くて世界を見るには物足りないかもしれないが、

安全面を考えると、こちらを選んでくれて良かったのである。

出航までの間、赤レンガ倉庫まで歩いて、家族4人でランチしてきた。

このメンツでお洒落な昼ご飯というのも珍しいわけだが。

そしてまた、のんびり大さん橋に戻って、娘Bの出航を待った。

大きなクルーズ船の出航を見送るときには、ここのイベントとして、

黄色いタオルを振る・・・ということで、タオルを配っていたのでもらってきた。

乗船する船は35000トンクラスらしい。

ふと、自分が学生時代に父島へ行ったときに乗った「おがさわら丸」は何トンだったか気になって、

調べてみたら3500トンくらいらしいから、

それに比べたら、当たり前だがかなり大きいので、揺れも少ないであろう。

船酔いがひどかったらかわいそうだな・・・と思っていたので、ちょっと安心した。

桟橋からは、船にいる娘Bがすぐに確認できた。

出航のセレモニーで紙テープを投げたりするわけだが、娘Bは失敗した模様で、

あとで、見送りに来てくれた娘Bの友人が、失敗シーンを動画で見せてくれて、笑わせてもらった。

まあ、このセレモニーが長いこと!

出航の感動を今か今かと待っているのが、「まだなのか?」と間が抜けてきた頃に、

ようやく船は汽笛を鳴らし、おしりの方から桟橋を離れ、ゆっくりと湾内を航行し、

横浜ベイブリッジをくぐりぬけるのを、我々は見届け、大さん橋を後にした。

数日後、娘Aに娘Bからラインが来て、

洋上ではWi-Fiもお金がかかるらしいので、通信はあまりできない・・・と。

自分はそもそも、スマホを持たないので、ラインをすることもなく、

旅先の娘Bには、親のことも忘れるくらいに旅を満喫してほしいと思っている。

帰国は、約100日後だ。

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久しぶりのブログ

2019-03-02 18:10:01 | 日記

前略、更新、久しぶりです。

昨秋に我が家のパソコンが壊れて、新しいのを買うまでに間が開いたのと、

買ってからも、新しい機種に触れるのが億劫だったため、

ブログは放置状態になってしまっておりました。

娘A(社会人)が、「使ってない小さいパソコン貸してあげる」と言ってくれたので、

最低限のことはそれでこなしていたけれど、

ここへきて、Jリーグが開幕してDAZNで観戦するとなると、大きな画面で見たくなって、

ようやく新しいパソコンに触れるようになった。

ついでに、本日、ブログも更新してみた。

応援しているV・ファーレン長崎は、今年はJ2に降格してしまったけれど、

ワクワクするするような試合を期待しております。 草々

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ウォーリーをさがせ!展

2018-08-14 12:31:24 | 日記

たまたま娘A・B(二人とも社会人)と休みが合ったので、

横浜の赤レンガ倉庫で開催されていた「ウォーリーをさがせ!展」に行ってきました。

自分自身は実はあまり興味がなかったのですが、

ランチに、娘たちとランドマークタワーのロイヤルパークホテルでビュッフェを楽しんで、

そのついでに・・というノリで行ってきました。

桜木町駅から歩いていくと思ったら、娘たちは「バスでしょう~」と。

どうやら、バス「あかいくつ号」に乗ってみたかったようです。観光客気分です。

赤レンガ倉庫では、ポケモンのイベントか何かで人がわんさかいて、

ウォーリー展は混んでいないように・・・と向かってみると、

意外と、混雑状態ではなかったので安心して入場しました。

ウォーリーは誕生30年だそうで、自分が学生の頃ということになります。

ちなみに、「ウォーリーをさがせ」の本は、我が家では買ったことがありませんでした。

子どもたちが小さい頃、

似たような本で「ミッケ」シリーズのほうを買っていたくらいで。

ですので、正直、このイベントも娘たちにつき合う感じだったのですが、

実に面白かった

初期の作品では、ウォーリーをさがすことより、周りに描かれているネタ的なものをさがすのが、

我々には楽しかったです。時にブラックでシュールなネタも有り

一つ残念なのが、自分が老眼ぽいもので、

後半は目が疲れて、探すことはほとんど諦めておりました

それでも楽しめたし、作者の幼少期の作品(ウォーリーに通じる作品で驚く)や、

作画の様子の映像も興味深かったです。

感動したので、記念にグッズを買ってきました。

正直、ウォーリーのグッズなんて・・・と以前なら思っていましたが、

これ見て仕事したら明るい気持ちで仕事できるかも

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実家にて・・・

2018-06-24 17:52:26 | 日記

実家は車で30分くらいの所ですが、しょっちゅうは行っていません。

本当はもっと頻繁に行けば良いのでしょうけれど、

自分て本当にぐうたらだな・・・と、反省する・・・で終わる。

さいわい、両親80歳前後で達者と言えば達者で、末の妹も同居しているもので、

そんなことから、ご無沙汰しがちになるのかもしれない。

さて、父は元気とはいえ、ガンと共存している。

ガンが分かった時、進行が遅いタイプと分かったので、むしろ、

ガンで良かったと本人が安堵した。

父は、例えば動けなくなって、周りの世話になり続けることをとても嫌がる性格なので。

年齢的に、本来の寿命が先か病死(ガン)が先か、・・・という父の論理。

何年か前から、両親にはエンディングノートを書くことを勧めてきた。

それにはまず自分から書いてみようと思って買ったのだけれど、

・・・まだ書いていない。ぐうたらな性格がここにも

母は昔ながらの気質で、「縁起でもない」などと言って、真剣には取り合わないのだが、

先日、実家に行ったら、父は「エンディングノート書き始めたよ。」と見せてきた。

書いた内容ははじっくり見なかったが、

ついでに父が、「これを棺桶に入れてくれ。」と見せてくれたものは、

父が小学校5年生の時に同級生が描いてくれた、父の似顔絵のスケッチだった。

これが、ものすごく素晴らしい出来映えなのだ。

小学生が描いたとは思えない描写で、ノートの1ページに鉛筆で描いたものが、

70年たってこんなに人を感動させるとは。

ちなみにその同級生の方は、後に九大に進み、医師になったそうですが、

頭がいい人はスケッチもすごい・・・と二重に感激した。

そして、その似顔絵が、真ん中の妹(自分は3姉妹)の子ども時代とそっくりなのだ。

真ん中の妹は父に似ていると言われたことはないのに、である。

もう、三重に驚いた。

父が他に見せてくれた、今で言うサイン帳(卒業の時に書いてもらうような)も感動した。

中学卒業時に先生方が書いてくださったものである。

みな、筆書きで、達筆、言葉の深みもあって、

文字を見るだけで涙が出そうだった。

こうしたものは、色々と父が片付けをしはじめたことで、自分の目にも触れることになり、

時代を越えて感動をもらえた。

感動に浸っていたその時に、「家庭菜園で採れたけど、持ってくか?」とくれたのが、冒頭のだいこん。

形は微妙だが、家庭菜園できる元気に感謝。

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職場のちょっとだけ愚痴

2018-03-31 22:12:51 | 日記

この1か月は本当に忙しかったのである。

パートの身分でありながら、結構仕事を任されて、

取りあえず、一段落ついた今日この頃であります。

2か月前に、信頼していた職場の先輩が退職しまして・・・、

と同時に、気の合わない年上の後輩が、職場で幅を利かせようと、たくらみ始め、

そんな感じで神経をすり減らせて体重が2キロくらい落ちまして。

・・・たかが2キロですが、ワタクシ、出産以外では高校卒業時からほぼ体重は変わってないわけで

(食べ過ぎた時や、バドミントンの後の体重の増減はすぐに戻るし)。

気の合わない後輩ユババ(影のあだ名)とは最小限でしか接点を持ちたくなかったので、

ユババのたくらみには特に抵抗もせず、悶々としたまま、仕事すること1か月・・・。

3月初めに上司から、新しく始まる仕事の中心となるように転がされて

「忙しいのは嫌ですよ~」と言いながらも、ユババと離れて仕事できるのがこの上なく楽しく、

忙しくても、やりがいのある仕事をさせてもらえた。

本当は、ユババが自分(私)のポジションにいたかったのだろうなぁ。

変な策略などするから、上司たちからも煙たがられるのに。

ちなみに「ユババ」というのも、上司たちの間での隠語なのだそうです。

時に、自分の生き方は不器用なんだよな~と思いつつ、

策略とかたくらみとかできない性格でよかった。

仕事は一段落したとはいえ、まだまだ順調とは言えず、まだ波が来るかもしれないので、

楽観できないことは肝に銘じているし。

ユババに関しては、心に揺れを感じることが少なくなってきた。

自分の中で、どうでもいい人になりつつある。

職場の愚痴なんて、誰が読んでも面白くもないのに、

自分の憂さを晴らしたくて、パソコンに向かってしまった。ちょっと反省。

プロ野球は開幕してスワローズが2連勝。素直に嬉しいです

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苔盆栽っていうのかな?

2017-11-25 14:31:30 | 日記

ここ1か月くらい、久しぶりの人に会うことが多くて・・・。

先日はこの地に移って最初に知り合ったSさんとランチしてきました。

Sさんの長女と次女が我が家の長女と次女と同じ年齢で、

同じマンションに10年ほどいたのですが、お互いに近場ながら引越ししたため、

なかなか顔を合わすこともなく・・・。早いものでSさんももうすぐオバアチャンになるのだ

うらやましい

偶然ながら、以前一緒に働いていた人たちと4人ほど街で出会った。

なんだか、たてつづけに久しぶりの人に会うなんて、何かの前兆か?

あとは、今月上旬に学生時代の友人・久美ちゃんと横浜の柴漁港でアナゴを食べてきた。

久美ちゃんとは数年前から、ちょっと面白いところへ行く・・・というようなことをしていて、

学生時代に一緒に旅行した時のワクワク感を甦らさせてもらってます。

せっかくアナゴを食べたけれど、若い子のように写真を撮ったりするのを忘れてしまいました。

久美ちゃんと漁港のそばを歩いていたら、道端にきれいなビロードのような苔が生えていて、

純粋に「持って帰りたい」と思いましたが、それは無理。

代わりに苔盆栽(というのかな)を可愛がることにしました。

雑貨屋さんでたまたま苔盆栽のイベントコーナーがあって、作ってきました。

植物をすぐ枯らすぐうたらな性格ですが、苔は・・・どうでしょうか?

来月にも、高校時代の部活の人たちと20年ぶりくらいに会う予定です。楽しみ

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コップのふちのつば九郎

2017-06-29 21:24:54 | 日記

ちょっと前に、娘Aが、ガチャガチャでつば九郎を買ってきてくれました。

コップのふちのつば九郎です。

狙っていたのは、画用紙にひらがなでコメントを書いてあるバージョンだったようですが、

残念ながら出てこなかったようで、

その後、売り切れるのは早かったもよう。

この片手バージョンはちょっと安定が悪いです。

つば九郎の人気とは裏腹に、スワローズは現在最下位です

スワローズのファンの方は良く知っているネタだと思いますが、

バレンティン、高井雄平選手、坂口選手、大引選手、今浪選手、森岡コーチは、

同学年で、かに座なのです

これだけ、同じ年齢で同じ星座って珍しくないでしょうか?

選手名鑑で見つけた時、家族に「面白くない?」って聞いたら、

なかば、呆れられました(選手名鑑を熟読したことに)、が、笑ってくれました

けが人が多いスワローズですが、楽しい試合を期待してます

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子どもの頃暮らした街

2017-05-03 15:29:19 | 日記

5月上旬の気持ちの良い日本晴れの日、

我妹と、小学生の頃まで住んでいた街に行ってみました。

地名を出してしまうのはちょっと躊躇する・・・のですが、

もう、引っ越してから40年近くたっているのでいいか・・・左近山という団地です。

昭和40年代に横浜市内のあちこちに公団住宅が建てられましたが、

左近山もその一か所で、小学校が3つもあるマンモス団地でした。

現在は小学校はひとつになり、自分が通った小学校は何年か前になくなりました。

グラウンドや建物はそのまま残っていて、壁画がうっすら見えます。

妹の家からも、我が家からも、1時間くらいで着くところにあるのですが、

二人揃って来たのは30年ぶりくらいだろう。

二人とも、あえて、歩いて昔の思い出に浸りたくて、てくてく歩きまわりました。

子どもの頃に感じていた距離感よりもすごく狭く感じられて、

あっという間にぐるっと廻ってしまった。

なじみ深いゾウさん公園に続く道。

こんなに緑豊かだったかなぁ。

子どもの頃に楽しんだ遊具の多くは、危なくて撤去されている様子ですが、

ゾウさんを模した滑り台は残っていた・・・。

団地のはずれの小山からは保土ヶ谷バイパスも良く見えます。

幼児の頃、ここが開通する前に砂利が敷かれていた時、お散歩をしたものです。

その当時、小山では凧揚げをするおじさんがいたのですが、

保土ヶ谷バイパスが開通してからは、凧が落下すると危険という理由で凧揚げが禁止になった・・・、

という噂で(自分も子供だったから真偽は定かではなく)、

凧揚げおじさんは思い切り凧を揚げたくて、湘南に引っ越したと、これも当時の噂話であります。

人が聞いたら「それがどうした」というネタなのですが、

なんだか自分の中では笑えるエピソードなのです。

その後、小山は家庭菜園の区画にされ(我父も借りていた)、今回見たら駐車場になっておりました。

てくてく歩いているうちに、小腹がすいてきて、

商店街の中のおいしそうなパン屋さんでパンを買って、ベンチで食べました。

商店街はシャッターが下りているところが目立ったのですが、

どうやら、GWで連休にしているお店もあるようです。

それにしても、街全体が静かだなぁ。

自分が子どもの頃がきっと賑わい過ぎていたのだろう。

小腹を満たしたら、歩きついでに、二俣川の駅まで歩いてしまおうということになりまして、

二人で喋りながらだと、駅まであっという間に着いてしまった。

二人の中での目下の話題と言えば、末の妹(自分は3人姉妹)のことと、親のお墓のことで、

結局、二人で愚痴って終わるのですが、結論は出るのかな

こうやって愚痴っている時間も楽しいような気がする

二俣川の駅に着いても、まだ喋り足りなくて、

喫茶店に入って、しばらく思い出話をしておりました。

この日の歩数は17000歩あまり。

お散歩にはいい日和でありました

 

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