杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

碧巌録提唱拾い読み

2020-04-27 14:22:39 | 仏教

 2020年4月がまもなく終わろうとしていますが、今月は予定していた仕事や集会や旅行がほとんどキャンセルになり、行動範囲もせいぜい清水~藤枝まで。こんなにお出かけしない月は、ライターになって初めてかもしれません。

 最近、親しくお話をさせていただくようになった東壽院(清水区但沼)のご住職に「動いていないと死ぬ回遊魚みたいな自分にはストレス半端ない」と愚痴をこぼしたところ、瞑想の時間を持ちなさいと勧められ、自宅では落ち着いて瞑想できないと愚痴ったら、これを読みなさいと勧めていただいたのが、西片擔雪大老師著『碧巌録提唱』でした。

『碧巌録』は、お茶席の掛軸でよく見かける「日日是好日」「喫茶去」等々、有名な禅語の元となる公案(禅問答)を収めた禅宗の定番中の定番テキスト。中国・宋の時代(1125年)に圜悟克勤によって編集されたものです。この内容を、臨済宗妙心寺派第31代管長の西片擔雪大老師(1922~2006)が神戸の徳光院で10年間講義された内容を全3巻に収めたもので、非売品ながら、ネット古書店で運良く入手することができました。

 500ページ強×3巻セットの膨大な文字量で、宅配便の配達員さんから受け取ったときは「なんじゃこの重さ!」とビビってしまいましたが、奥付をみると、出版元は岡本㈱(日本一の靴下メーカー)の岡本哲治氏とあり、白隠研究でお馴染み芳澤勝弘先生が監修され、沼津の㈱耕文社の長澤一成氏(白隠禅師生家のご子孫)が印刷製本されたと。ご縁のある方々が関わっていたとわかって、この本に出会えた縁を、よけいにありがたく思いました。東壽院ご住職には心より感謝申し上げます。

 西片大老師は、京セラ創業者の稲盛和夫氏が師事したことでも知られ、稲盛氏は大老師のもとで得度(=在家僧侶になる)されています。氏の『生き方』等の著作を読むと、なるほど禅の教えが根底にある、と感じます。

 稲盛和夫氏のことは、この本にちょくちょく登場しています。碧巌録第五則『雪峰粟粒』の解説にはこうあります。

 ある社長さんが「社長の第一の心がけは虚心になることだ」と話しておられた。何らの先入観もなしに、虚心坦懐に物事を見る、そのことによって間違いの無い判断がてきる。(略)昨日、知り合いの方から手紙が来て、その中に日経新聞の切り抜きが入っておりました。私のよう知ってる京セラの稲森社長の記事が出ておったので、それを送ってくれた。その方は「この京セラの社長さんの写真を見て、自分は非常に感激した。何の気取るところも無く淡々としてらっしゃる。素晴らしいお顔に自分は感心した」と。

 日本は政治は三流だけれども、経済は一流と言われております。(略)経済界には実にいい顔してらっしゃる方が多い。経済界の人たちは、毎日毎日が命がけの真剣勝負だ。だから、ああいう立派なお顔になるのではないかと思うのであります。

 

 また碧巌録第十四則『雲門一代時教』の解説。

  技術革新の先頭を走っているような京セラの社長さんがおっしゃったそうです。近頃メガトレンドとやかましく言うけれども、これに乗り遅れまいと焦ることはない。時代の変化は急激ではない。だから、自分の本業に専念していれば時流に乗るチャンスは必ずやって来るのだと。私なんかが時代の変化はそんなに急じゃないよと申し上げると「坊主は頭が古い。今の世の中見てみい。この流れはどうじゃ」と反撃を食らうのが落ちでありますけれども、京セラの社長さんがおっしゃると先見の明がある。技術がいかほど進んでも、それを使うのは人間であります。しかしその人間は千年の昔も今も、ちっとも変わっていないのだ。

 

 碧巌録第三十九則『雲門花楽欄』の解説。

 京セラの会長さんが「自分は時に応じて、無理なく狂気の世界に入ることが出来る。狂気になれぬ人は創造は出来ない、物事を創り出すことはできない」とおっしゃっておった。気配りも非常に細やかで親切で、まことに申し分のないお人柄であるのに、時によっては狂気の世界に入るという。常識の世界というものは、他人との間柄に常に気配りをしておる。そういうことはもちろん大切であるけれども、そこに留まっておったのでは物事を創り出すことはできない。時間も否定し、人との義理も否定し、昼夜も否定し、一切に関知せぬというような人、これがつまり狂気の世界でありましょう。その狂気の世界を持っているかどうかが、大きな仕事が出来るかどうかの境目であるという。言葉を換えて言うなら成り切った世界でありましょう。本当に一つのことに成り切ったならば、すべてものものが消えてしまう。ただそのものそれに成り切ってしまうのであります。

 

 西片大老師はこのように、難解な碧巌録を現代人の言動を例に解説されるので、非常にわかりやすい。私自身、書く仕事をしていて、難しいことをわかりやすく伝える力が最も尊いと思っているので、碧巌録の教えはもちろんのこと、大老師の"伝える力”にも大いに感銘を受けました。

 

 私が心に残ったのは、碧巌録第七則『慧超問仏』の解説です。ここで西片大老師が引用されたのは、山本玄峰老師の「法に心切 人に親切 己に辛切」という言葉でした。玄峰老師はご存知のとおり、白隠禅師の再来といわれた名僧で、昭和天皇の終戦の詔「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・」を鈴木貫太郎首相に助言されたことでも知られます。
 戦前、旭川刑務所へ講演に行かれた玄峰老師は、二千人の囚人を前に合掌し、「すまんこっちゃ、すまんこっちゃ。お釈迦さまのありがたい教えがあるのに、われわれ坊さんがさぼってるもんやから、あんたたちがこの寒い北海道でこのような苦労をしてござる。すまんこっちゃ」と涙を流され、「一人ひとりのお腹の中に、立派な仏さまがちゃんといらっしゃるのだから、その一人ひとりの仏さまをこれからは大切にしてください、お願いしますよ」とおっしゃった。最初は耳を貸さずに無駄話をしていた囚人たちはシーンとなり、講演が終わるとみんな泣きながら合掌し見送ったそうです。
 碧巌録では慧超という僧侶が師匠の法眼文益禅師に「如何なるか是れ仏」と質問し、法眼禅師は「汝は是れ慧超(おまえは慧超)」と答えます。相手の痛みを自分の痛みと受け取り、相手の悲しみを自分の悲しみと受け取り、相手の喜びを自分の喜びと受け取る。真に無心になれば、そういう仏心丸出しのはたらきが出てくる。そういうおまえが仏なんだよ、ということでしょうか。玄峰老師は二千人の囚人の肚の中に飛び込んで、玄峰は囚人に、囚人は玄峰になってお互い泣き合ったのだと西片大老師はおっしゃいました。これこそ自他一如であると。

 長い間、個人で仕事をしてきた自分は "自己実現” を座右の銘に、「自分自身を貫かねば」「自分は自分、他人は他人」と割り切って、ややもすると己の思い込みだけで行動しがちでした。しかし、今の状況下ではこの3つのシンセツが沁みてきます。

 9年前の4月、福島県いわき市に取材に行って、原発事故の風評被害に苦しむ被災者の声を聞いたときは「他人は他人」だなんて考えに猛省させられたのですが、今回はほんの身近で、感染の脅威にさらされている、感染源として差別を受けている、仕事を失いかけている人がたくさんいます。実生活で距離を取らざるを得なくなった人同士、気持ちの上では自他一如でありたいし、私自身フリーランスという立場で、この先、従来通り仕事ができる確証はありませんが、書くという本業を通してシンセツを実践できればと願っています。

 『碧巌録提唱』はトータル1600ページに及ぶ大著ですので、この先、しっかり読みこなし、折に触れてご紹介していきたいと思います。

 


臨済禅に残る疫病退散のお経

2020-04-13 16:40:15 | 仏教

 このところ読書の時間が増えたので、本棚で埃をかぶっていた未読書を少しずつ拾い読みしています。その多くは「いつか役に立つかもしれない」と思って、とりあえず買い溜めていた専門書。衛生用品や食料品の必要以上の買い溜めはNGですが、本の買い溜めはこういうとき実になりますね!

 今、読み起こしているのは、2月あたまに受講した花園大学仏教セミナーで購入した『禅門陀羅尼の世界ー安穏への秘鍵(野口善敬 編著)』。著者の野口善敬先生は花園大学国際禅学研究所所長で臨済宗妙心寺派教学部長をお務めの、禅宗きっての学識者です。

 以前、先生がお書きになった『ナムカラタンノーの世界』についてこちらの記事で紹介し、禅宗の勤行で "ナムカラタンノー・トラヤーヤー~” と提唱する大悲呪というお経の理解に挑戦してみましたが、今回挑戦するのは却温神呪(きゃくうんじんしゅ)というお経。

 却温神呪経は、インドから中国へ伝わった疫病封じの経典。平安時代に真言宗の僧・宗叡が中国から持ち帰り、密教系の経典として真言宗・天台宗に伝わったといわれます。

 まずはどんなお経か、わりと短いので全文紹介します。陀羅尼(だらに=サンスクリット語の原文をそのまま音読し、当て字したお経)なので、そのまま読んでも呪文のようでチンプンカンプンです。

 

南無仏陀耶 南無達磨耶  なむふどやー なむだもやー

南無僧伽耶 南無十方諸仏  なむすんぎゃーやー なむじーほーしーぶー

南無諸菩薩摩訶薩  なむしーぶーさーもこさー

南無諸聖僧 南無呪師  なむしーしんすん なむしゅうしー    

沙羅佉 沙羅佉 沙羅佉  さらぎゃー さらぎゃー さらぎゃー

夢多南鬼  むとなんきー 

阿佉尼鬼 尼佉尸鬼  あぎゃにーきー にぎゃしーきー 

阿佉那鬼 波羅尼鬼  あぎゃなーきー はらにーきー

阿毘羅鬼 波提棃鬼  あびらーきー はーだいりーきー

疾去疾去 莫得久住  しっこーしっこー まくとくくーじゅう

 

 お経の内容は、疫病をもたらす七種の鬼神ー夢多難鬼・阿伽尼鬼・尼伽尼鬼・阿伽那鬼・波羅尼鬼・阿毘羅鬼・婆提棃鬼の名前を挙げて退散させるというもの。

 古来、中国では疫病は目に見えない悪鬼によって引き起こされると信じられ、悪鬼を追い払うには「お前達の正体は見えてるぞ!」とばかり悪鬼の名前を書いて五色の絹糸で結びつけ、これを門に掲げると効果があるとされていました。この民間風習がベースになったらしいとのこと。却温神呪はお釈迦様が弟子の阿難に授けた疫病封じの対処法としてインドから中国に伝わったとされていますが、来歴は不明で、ひょっとしたら中国で創作された可能性もアリだそうです。

 日本に伝来してからは、七鬼神封じ=疫病封じという認識だけが広く定着し、却温神呪そのものが注目されるようになったのは江戸時代になってから。真言宗の僧・亮汰(りょうたい)が延宝二年(1674)の夏、疫病が大流行したとき、このお経を大量に刷って竹筒に納めて門戸に掛けさせ、そのおかげで疫病が鎮まったといいます。

 亮汰はこのお経の解説本『却温神呪経抄』の中で、疫病のことを「湿気疫毒」と称しています。湿気とは発熱性の疫病、疫毒とは今風に言えば疫病を引き起こす直接原因=病原体(細菌・ウイルス)を意味し、七鬼神の冒頭に挙がる夢多難鬼とは、病気(細菌やウイルス)をまき散らす女夜叉のこと。亮汰によれば、七鬼神とは大黒天に仕える7人の女鬼なんだそうです。今風感覚ならジェンダー差別だ!と文句を付けたいところですが、ネットで「七鬼神」を検索してみると、パチスロゲーム「鬼神7」にヒットします(笑)。

 

 現在、真言宗や天台宗では却温神呪を読誦しておらず、意外なことに臨済宗のみが読誦を続けているそうです。なぜ密教系ではなく禅宗系に残っているのか理由はナゾなんだそう。

 野口先生は、始祖達磨大師が"以心伝心・不立文字”と掲げた禅宗で、陀羅尼を唱える理由として、

①読経に限らず故人への供養は、7分の1しか届いていない。

②供養とは回向(えこう=自分が積んだ功徳を他者に振り向ける)すること。

③お経や陀羅尼を唱えるのは功徳を積むための修行。

④サンスクリット語を音読するだけの陀羅尼は意味を理解する必要がなく、特定の功徳が設定されているので目標を立てて唱えることができる。功徳の分量まで図れる便利なお経。

と解説されています。

 

 大悲呪(ナムカラタンノー)ではあらゆる災厄の消去と家内安全、消災呪(ナームーサンマーダー)では惑星や星座による災厄の回避と国家安寧、そして却温神呪は流行伝染病にかからない、というように現世利益の功徳設定です。最もポピュラーな「南無阿弥陀仏」は死後に極楽浄土へ行くための念仏。陀羅尼は確かに難解だけど生きてるうちにそれなりの効果アリ、ということでしょうか。

 

 野口先生は「今は、病気になったからと言って一生懸命に陀羅尼を唱えるだけで、病院に行かない人はいない」「少なくとも実用品としての価値は認められていないのが現状」としつつも、読経は国の平和を祈り、自らの修行の成就を願って行うものであり、これに価値を見いだせるかどうかは一人一人の生きる姿勢にかかっていると強調されます。一人一人の姿勢を問われるって今の過ごし方そのものですね。

 

 仏壇のあるお宅でも、実際に自分でお経を読む機会はあまりないと思います。今読むのに一番タイムリーなお経ですから、長い在宅時間のほんの一時でも心の修養になると信じて、Let's Reading!

 

 

 

 


お施餓鬼とバイオミミクリー

2019-07-17 11:14:37 | 仏教

 令和最初の7月盆が終わりました。今年は期間中、お手伝いしている禅寺で汗をかく時間を過ごしました。檀家さんの多いお寺なので棚経回りは同門の和尚さんたちに手分けをしてもらうのですが、お寺で留守番していると、ひっきりなしに「何日の何時に来るの?」「こっちも予定があるんだけど」という電話や問い合わせが来ます。お盆のときぐらい家でゆっくり待てないのかと思いつつ気忙しい現代人には無理からぬ話・・・のようで、おたくまで行った和尚さんが「家の中が汚いから今年はいい」と断られたり、いつのまにか家がなくなって空き地になっていたというケースも珍しくないそう。だからこそ、仏壇を大切に手入れされているおうち、読経する和尚さんを丁寧に迎えるおうちはやっぱり〈気〉がいい、とおっしゃいます。

 お施餓鬼法要で説教をされた和尚さんによると、「イスラム圏の国から日本にやってきた留学生が言っていた。‶日本では個人の家にも礼拝所があって素晴らしい。でも熱心に祈っている日本人はあまりいない と」。こういうお話を聞くと、故人が里帰りするお盆という素晴らしい風習がある以上、仏壇のあるおうちはお盆のときくらいきれいに整え、きちんと手を合わせないといけない、と痛感しますよね。

 ところでその和尚さんの説教で面白かったのが、無門関に出てくる公案『趙州、因に僧問う、如何なるか祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子』の解説でした。「(禅宗の祖師)達磨がインドから中国へやってきた理由は何ですか?」の問いの答えが「庭先の柏の木」だという禅問答。凡人にはチンプンカンプンですが、説教師の和尚さんはバイオミミクリーの事例で解説してくれました。

 バイオ(生物)とミミクリー(模倣)を組み合わせた「バイオミミクリー」はサイエンスライターのジャニン・ベニュスが造った造語で、神経生理学者オットー・シュミットが1950年代に提唱していた「バイオミメティクス(生物模倣工学)と同じ意味合い。理系の学生さんたちにとっては常識かもしれませんが、私は初めて聞く単語ばかりでワクワクです。さっそく復習しようと購入した新書本『生物に学ぶイノベーション』によると、70年代にはバイオミメティックケミストリー(生物模倣化学)、90年代にはバイオインスパイアード(生物にヒントを得て生物を超える)へと発展。ようするに、生き物の形態・機能・しくみを模倣または活用した科学技術の開発のことです。

 バイオミミクリーではシャープが家電に積極的に導入していて、

〇省エネ技術ネイチャーウイング/トンボの翅、アホウドリ・イヌワシの翼を参考にしたファンの総称。エアコンの送風効率、騒音削減を向上させた。

〇サイクロン掃除機/猫のザラザラした舌を模倣し、スクリューの表面に多数の突起をデザイン。

〇液晶カラーテレビのモスアイパネル/モス(蛾)の眼の構造を参考に、外光の反射を抑えて自然で見やすい液晶パネルを開発。

等が知られています。

 また東海道山陽新幹線500系は、先頭部分の尖った形状をカワセミの口ばしを参考にしたことで有名です。カワセミが餌を取るために水中に飛び込むとき、水しぶきをほとんど上げないことに着目し、空気抵抗を抑える設計で騒音対策に貢献。『生物に学ぶイノベーション』には、ザゼンソウという僧侶が坐禅する姿に似ている多年草の例も紹介されていて、寒冷地で生き延びるため1週間も自ら発熱する機能があり、このしくみを解明・応用した温度調節計が開発されて半導体や金属熱処理炉の制御装置に活用されているそうです。

 

 『生物に学ぶイノベーション』の著者赤池学氏(科学ジャーナリスト)は、生存競争の中で生き残った生物と市場競争の中で勝ち残った技術には、3つの共通点があると述べています。

①変えること、変わることの勇気を放棄したものは淘汰される

②絶えず変化する状況に対し、変革・革新を行ったものだけが生き残る

③その変革・革新は、他者とのつながりや環境への配慮といったバランスマネジメントの上に成り立つ


 これを読んだ後、本棚にあった禅語の本に手を伸ばし、自然に「行雲流水」「結果自然成」「花枝自短長」「応無処住而生其心」といった禅語に目が留まりました。とりわけ、心の実態も認識の対象も、その正体は移り変わる現象以外に何もなく、空としか表現できない・・・ということを意味する「応無処住而生其心」は、バイオミミクリーの研究者ならストンと落ちる言葉ではないかな。調べてみたら、禅祖達磨から数えて6代目にあたる禅の大家・大鑑慧能が悟りを開くきっかけになった金剛般若経の言葉でした。


 そして「庭前柏樹子」。趙州和尚の弟子が「そもそも達磨がインドから中国へやってきた理由は?」と訊ね、和尚が「目の前の柏の木だよ」と答えた。弟子は「私は禅とは何かを訊いているのです。境(心の外の物)で答えないでください」と反論するのですが、和尚は「境で答えてはいないよ」と答え、毅然と「庭前柏樹子」とひと言。この意味するところとして、弟子は心と物質を境界あるもの=対立軸として見ているが、師匠は境も対立軸もなく、達磨が西からやってきた理由やら禅の意味やら何やらの理屈にこだわることなく、ただひたすら無心に、目の前の柏の木に成りきってみなさいと諭した。

 柏の木には特別の意味はないようで、目の前に桜の木があれば桜に、静岡人なら毎朝目にするお茶の木でも富士山でもいい。とにかく身近に目にする自然に仏法を感じることを説いた言葉なんだろうと解釈しました。

 

 お施餓鬼法要で説教師の和尚さんは動物や植物の生態機能が人の暮らしに役立つテクノロジーの源泉になっている事例を紹介し、「庭前柏樹子とは、環境に合った暮らしをしましょうという意味」と噛み砕いて説明されました。お話をうかがい、生物学と機械工学は、現代人にしてみれば境界ある対立軸そのものに見えるけれど、生物への畏敬を基調とした禅の教えや日本人に生来備わった自然観は、地球に生きるもの同士、対立ではなく共生を導いてくれるだろうと思えてきました。こういうことを年に何回か考えさせてくれる場となるお寺や仏壇って、やっぱり大切にしなきゃ、ですね。

 とりあえずこの夏はどこかの高原に、ブッポウソウを見つけに行こうかな。

 





花びらは散っても花は散らない

2018-03-11 10:07:18 | 仏教

 東日本大震災の慰霊月となる3月は、震災以来、毎年、静岡音楽館AOIの鎮魂コンサートに通っています。きっかけは、震災の前年2010年秋に、AOIの企画会議委員で新国立劇場の演出家である田村博巳先生にインタビューしたこと。田村先生はこのとき『平泉毛越寺の延年の舞』を翌2011年3月12日にAOIで開催する準備をされていて、延年の舞を紹介した江戸時代のトラベルライター菅江真澄に惹かれた私もチケットを購入し、楽しみにしていたのです(こちらをぜひ)。

 公演は残念ながら震災によって中止になりましたが、田村先生のご尽力でAOIでは翌年から3月11日前後に震災復興支援のプログラムを定期開催するようになり、今年は3月10日に『聲明 鎮魂の祈り~四箇法要「花びらは散っても花は散らない」』が開かれました。

 今回は、声明の2大潮流といわれる天台宗と真言宗の僧侶による超宗派の合唱団〈声明の会・千年の聲〉による、いわば仏教のゴスペル。四箇法要というのは、経典から導かれた声明の曲「唄(ばい)」「散華」「梵音」「錫杖」から構成された、いわば声明の交響曲。交響曲といっても楽器を一切使わないお坊さん30人の声楽アカペラで、AOIのホール一杯に響き渡る物凄い迫力です。

 声の良く通るお坊さんの読経はお一人でももちろんパワフルですが、30人の声が重なると、交響楽団のフル演奏に勝るとも劣らない、いや、この世の音とは思えないほどの荘厳な響き。ステージはイスが置かれただけのシンプルなデザインながら、目を閉じるとそこはさながら仏教大伽藍。視覚イメージを見事に引き出す声楽のチカラを、まざまざ実感しました。

 伝統的な声明交響曲である「四箇法要」のほかに、現代作曲家による新作声明「海霧讃歎(うみぎりさんだん)」が披露されました。津波で亡くなった陸前高田の佐藤淳子さんが生前詠まれた短歌「海霧に とけて我が身もただよはむ 川面をのぼり 大地をつつみ」を旋律に載せたものです。

 田村先生はプログラムで「七万本あった松原の一本を残し、すべて津波に流された陸前高田の自然に死者の魂は還っていった。その一本松も塩害で立ち枯れてしまう運命にある。〈海霧讃歎〉には、自然界の風景の中にとけこんで、そして、大地にひろがっていゆく死者の魂を誉めたたえ、畏敬の念を示すという意味が籠められている」と紹介されました。

 作曲した宮内康乃さんも登壇され、「震災の犠牲者や被災者の方々への祈りの気持ちだけでなく、自分の身近な人々の死や自分自身の苦しみなど、想いはさまざまでも、この歌を聴くことによって、一度苦しみや思いを響きに乗せて天へと放ち、響きと一体化することで自然界の一部であることを感じ、心が少しでも軽くなるようなら幸いです」とご挨拶。2012年に神奈川県立音楽堂で初演され、2016年には和歌ゆかりの地・陸前高田で、そして今回のAOIが3度目の公演となったようです。身近な死を経験したばかりの今年、こういう曲を聴くことになろうとは、と心の中で合掌しました。

 事前に、短歌の作者が津波の犠牲者だと聞いたせいか、海霧讃歎の響きに身をゆだねていたら、自分も海の底に沈んでいくような錯覚にとらわれます。数日前に観た映画「シェイプ・オブ・ウォーター」のように、この世のものとは思えない存在に抱かれて、静かな眠りに堕ちていく・・・。そして次の演目「錫杖一條」の錫杖(修験者が振り鳴らす杖)の音にハッと覚醒。ほんの数分の出来事ですが、海の中で意識を失うという疑似体験をしたような演奏時間でした。


 実は1週間前の3月4日、京都の天龍寺塔頭永明院で毎月第一日曜日に開かれる坐禅会に参加したときも、不思議な体験をしました。いつものように坐禅をし、和尚さまに警策を打っていただいたとき、全身がものすごく温かくなったのです。血の巡りが滞っていた身体に程よい刺激があったからかな、と生理分析しながら、一方で、なんともいえない有難味がじわじわ湧いてきました。

 2度目に打っていただいたあとは、はっきり異変を感じました。涙がスーッと落ちて来たのです。人の話を聞いたり映画を観て泣けることはあっても、ただ坐禅をしているだけで涙が出てくるとは、一体自分に何が起きたんだろうと、少しばかり混乱してしまいました。

 思えば、大晦日に父が突然亡くなり、葬儀やら家のことやら初めてづくしの雑務に追われ、父を偲んで泣くという機会はまったくありませんでした。こちらに書いたように「お父さんは幸せな最期だったね」と言われ、最初は素直にうなずけなかったものの、最近では「理想の死に方ですねえ」と自分から笑って言えるようにさえなっていたのですが、どこかで自分を縛っていたものが、ひとつ、ほどけたのかもしれません。

 警策をいただいて合掌低頭したとき、大げさでなく、本当に心のうちからじんわり「有難いなあ」と思えてきました。感謝の対象が目の前の和尚さまなのかこのお寺のご本尊なのか、はたまた彼岸にいらっしゃるかたなのか、よくはわからなかったのですが、今まで頭で理解しようとしていた仏教を、心で感じるようになれたとしたら、この体験はひとつの成長なのでしょうか。


 今回の声明公演には、四箇法要に「花びらは散っても花は散らない」というサブタイトルが付いていました。仏教思想家で真宗大谷派僧侶・金子大栄が歎異抄を要約した言葉で、正確には花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なぬ」

・・・言葉や歌というかたちのないものが、人に、底知れないチカラをもたらすことを、我が事として自覚できた震災慰霊月、です。




経年変化の因果律

2017-08-07 11:44:55 | 仏教

 このところ体調の変化を如実に実感しています。今までにない腰痛と片足の痺れに悩まされ、母親が通院しているペインクリニックを受診してみたら「腰部脊柱管狭窄症」と言われ、生まれて初めてお薬手帳を作りました。立て続けに歯茎が痛み出し、歯周病かと思ってデンタルクリニックを受診したら、歯や歯茎に異常はなく、「顎関節症」だと言われてマウスピースを作りました。

 同じころ、左手の親指の付け根にポキポキ違和感を感じるようになり、親指全体が硬くなって折り曲げるたびに痛みが生じ、1か月ぐらい経て本格的に痛み出し、モノが持てなくなってしまってペインクリニックで診てもらったら「ばね指」との診断。

 50半ばまで病気らしい病気をせず、お薬手帳も持ったことがない健康優良児を自認していたのですが、今まで聞いたこともない病名を3つももらって、自分もやっぱり人並みに更年期を迎え、身体は確実に経年変化しているんだと自覚しました。腰も顎も指も、なるべく安静にって言われても動かさざるをえない部位だし、効果的な治療法もない慢性疾患。年齢相応の持病持ちになったようです。

 

 それよりなにより、もっと単純に自分の加齢を実感するのは白髪の量。暑さ対策でベリーショートにしてみたら、つむじのあたりからおばけのQ太郎みたいにツンツン白髪が立つようになりました。髪をたくしあげると奥に白髪のカタマリがいくつも発生していたのにギョッ!美容師さんからヘアカラーを勧められたものの、10代の頃から時々円形脱毛症に悩まされていた私は、なんとなく毛染めに抵抗があって即答ができず、「白髪まじりでもいい感じになるようカットしてみます」と慰められ?ました。

 

 白髪ばかりはクリニックでも美容院でも治療は出来ないだろうと、原因と対策をネット検索(こちらを参照)してみたところ、根本的には成長ホルモンの減少が原因。成長ホルモンの分泌量は20歳を100%とすると、30代後半で早くも25%まで減少し、50歳ではわずか12%なんだとか。道理で身体のあちこちに不具合が出てくるわけです。

 20歳の若者の1割程度しか分泌されない成長ホルモンをなんとかキープ&できればアップさせるには、無酸素運動(加圧トレーニング、スロートレーニング、チベット体操等)で成長ホルモンの分泌を促す「乳酸」を増やすことが効果的。有酸素運動ではあまり効果がないそうです。

 よく知られる白髪原因はメラニン不足。メラニンとは白いものに黒く色を付ける絵の具のような役割をする細胞で、今の時期は日焼けの原因として悪者扱いされてますよね。皮膚に元からある細胞ではなくて、食物に含まれる分子チロシンの作用が生み出すそう。つまりチロシンを含む食物(大豆-とくに豆腐、チーズ等)を多く摂取するのがよいということになります。日焼け対策と育毛サイクルを考慮したら、夜に摂取するのがベターのようです。

 メラニンは身体に蓄積された過酸化水素に攻撃されやすいため、過酸化水素を無害水と酸素に分解するカタラーゼという酵素が“武器”として必要になります。このカタラーゼも加齢によって減少し、食物では直接摂取できないそう。また糖質がカタラーゼの活動を低下させることも。したがってなるべく糖質を控え、カタラーゼの栄養源「鉄分」を積極的に摂取せよ、ということになります。

 成長ホルモンやカタラーゼを活性化させるには「断食」も効果的だそうです。米国心臓病学会の研究によると、まる一日断食した後、成長ホルモンの平均分泌量をはかったところ 男性で2,000%、女性で1,300%も増加。ラットの実験では30%の食事制限によってカタラーゼが26%増加したそうです。カタラーゼを増やすって、イコール、ダイエット効果も期待できるわけですね。

 

 

 痛みと同居するようになったこの1か月、お寺の仕事でお盆の行事に関わったり、花園大学の歴史講座や禅学フォーラムに参加したりして、仏教に真正面から向き合う日が続きました。

  白髪になるメカニズムを調べていくと、仏教で言うところの「因縁」を感じます。変化の原因は一つではなく、因と縁が織りなした因果律によって起きるということ。自分の身体に起きる変化も、単に「加齢」だと一括りで終わらせるのではなく、因と縁を丁寧に見つめ直していけば、「因縁」そのものから解き放たれることもあるかもしれない。・・・少し希望が湧いてきます。

 

 説教や講演をするお歴々を「お坊さんは白髪を気にしなくていいなあ」「でもカンカン照りの時期は頭皮が熱いだろうなあ」と下世話に眺めていましたが(笑)、よくよく観察してみると、高僧や名僧といわれる方々は厳しい修行をしながらもご長寿で晩年までエネルギッシュに活動されていた方が実に多い。88歳で亡くなった一休さんは77歳のときに盲目の女性森女(当時30歳)と出会って恋に落ち、艶歌をたくさん書き残し、末期の言葉は「死にとうない」。成長ホルモンを死ぬ間際までトコトン分泌させようとしていたんだなあと思います。

 

 今現在、ご縁をいただいている和尚さんがたも、結構な御歳にもかかわらず肌ツヤよく姿勢もよく、今風にいえば全身デトックス済みって居住まいの方が多いのです。禅の修行者は定期的に断食をし、日頃から低糖質低カロリー食、とくにカタラーゼの宝庫である大豆食品を多く摂取しています。剃髪しなければ、きっと黒くてふさふさなヘアになるかもしれませんね。もっとも体調がよく、いつまでもお達者であれば「色欲」なんかとも闘わなければならないのかな・・・。

 白隠さんの「南無地獄大菩薩」の教え=地獄と極楽の当体は表裏一体で同じもの、というように、物事には表と裏の二極性があります。日焼けの大敵であると同時に白髪を防ぐ絵の具にもなるメラニンがまさにそう。

 長い間、円形脱毛症に悩んできたことも、何かの機会に「因果」を発見するかもしれませんが、とりあえずの白髪対策としては安易に毛染めに走らず、食生活を見直し、体調を考慮しながらプチ断食にも挑戦してみようと思います。断食経験のある方はよきアドバイスをお願いします。